桃色に光るタワーマンション

広河長綺

桃色に光るタワーマンション

高級ホテルは、光輝いていた。過剰なまでに設置された防鬼蛍光灯の桃色の明かりが、窓から外に漏れている。


まだ日没していない以上、太陽光で死滅する吸血鬼が襲ってくることはない。だが念のため、昼間から防鬼蛍光灯を灯しているらしい。


吸血鬼に致死的な太陽光を再現する防鬼光は素晴らしい文明の利器なのだが、波長がどうしてもピンクになってしまうせいで、センスの悪い配色になる。


相手方が手配してくれたウーハータクシーから降りてホテルを見上げた時、過剰な桃色に、呆れて笑ってしまった。私のような人間が住む貧民街では、一生懸命節電しても電気代を払えず、防鬼蛍光灯を点けることができなくなり、吸血鬼に殺される人が毎晩でているというのに、なんて贅沢なのだろう。


――この格差社会に抗うために、私は今日、ここに来たのだ。

自分の胸の奥にある決意を確認して、私はホテルの中に足を踏み入れた。


ホテルの入口の自動ドアが開いた、その瞬間、私が普段吸っているのとは全く違う空気が口に入ってきた。


今日の待ち合わせに指定された高級ホテルは、私という貧乏人が来れていることからもわかるように、夜薄暗い貧民街と、夜になると過剰な量の防鬼蛍光灯で桃色に染まるタワーマンションエリアの中間に位置している。


だから上級国民であるタワーマンション市民にとっては、ここは辺境に位置する最低レベルのホテルであるはずなのだ。


にもかかわらず、ホテルの内部は、吸っている空気からすでに、私の日常とは違う世界のものだった。空調で成分を整えられ、エアコンで快適な温度になり、タワーマンション市民が体に着けた香水の匂いがほんのりと混ざった空気は、柔らかく上品で、呼吸するだけで圧倒されてしまう。


吸いこむ空気で身の程を知るなんて、みじめすぎる。


自己嫌悪を感じながら、フラフラと進んでいたら、いつのまにかロビーに着いていたらしい。


歩きづらさを感じるほどにフカフカの絨毯。落ちて来たらどうするのか不安を感じるほどデカいシャンデリア。高級感で溢れるホテルロビーには、チェックインやチェックアウトを待っている客らしい富裕層の人たちがいる。


その中から1人の男が私の方へ向かって歩いてきて「藤田誠也です。マッチングアプリで見た時から思ってたんだけど、真夜ちゃんは僕とは釣り合わないくらいかわいいねぇ」と、挨拶してきた。手にはその男の顔写真が貼られたT電力会社社員証のカードがある。


身分証明のつもりなのだろうが、防鬼電灯という社会のインフラを支えるエリートの証を見せつけているように見えてしまう。


貧乏人の僻みのせいでうろたえて、数秒間言葉が出てこなかった私は、慌てて「こんにちは北川真夜です。藤田さんの方がカッコいいと思います」と、返した。


実際お世辞ではなく、藤田はカッコいい男だった。確かに最近の若い女の子が好むような韓流アイドル的な見た目ではなく、かなりがっしりした顎と肩が目立つ。だが、電力会社で整備作業を担当しているとマッチングアプリプロフィール欄に書いているだけあって、健康的なたくましさがある体つきは、女の子から需要はありそうだ。


「いや、でも実際真夜ちゃんみたいなかわいい子がさ、まだ電力会社職員の妻じゃないのって珍しいじゃん?なんか理由ってあるの?」

私の仕草に不審な点でもあったのか、藤田の声色には本気で私の経歴を怪しんでいる気配があった。


私は、ある程度正直に言わないとダメだなと思い、「私は真面目な人間なので、男に買われずに生きれないか模索してたんですけど、先日無理だと悟ったんです」と答えた。


「なるほど」藤田は無感情に短く頷いた。タワーマンション生まれじゃない女が男に買われず生きていけるわけないのは常識だろ、と思っているようだった。


頷いた後に藤田は「立ち話もよくないし、この階にある僕の宿泊室に行って、真夜ちゃんが僕の第2妻になる契約について話そうか。支払いもそこでしよう」と提案してきた。


藤田に対する嫌悪感が心の奥で広がっていくのを感じながら、私は頭を下げた。「本日は私なんかのために契約のお時間をとっていただきありがとうございます。いきなり下品な質問をして申し訳ないのですが、支払いはどういう形でしていただけるのでしょうか?」


「あぁ、現金だよ。電力会社の職員がタワーマンションエリアの外から女性を愛人として買うのはみんな普通にやっていることだけど、日本国の建前上は人身売買NGだからね。クレジットカード会社は認めてくれないんだよねぇ」


「なるほど。ありがとうございます」


「じゃあ真夜ちゃん、僕についてきて」


「はい」私は藤田の後ろを歩き始めた。


こうして藤田の道案内が始まったのだが、ホテルは私がイメージしていたより、ずっとずっと大きかった。ロビーと同じ1階の客室まで歩くというから、数分で着くかと思っていたが、それは非タワーマンション市民の先入観にすぎなかったらしい。


この世には、こんなに多くの金持ちがいるのかと驚くほどに、客室は延々と並び、ハイブランド品やジュエリーを身に着けたタワーマンション市民と何回もすれ違った。


藤田が「ここが僕の部屋です」と言って足を止めたのは、20分近く歩いた後だった。指紋認証でドアを開けて、藤田は部屋に入っていく。


後ろに続いて私も客室に足を踏み入れ、ドアを閉めた時、私は彼と2人っきりになった。この瞬間、自分でも意外なほど大きな心細さが発作的に胸の奥に溢れて、息苦しくなった。


ホテルに来た時点で、いや、マッチングアプリでやり取りを始めた時点で、今のようなシチュエーションになることなど分かっていたハズだ。


でも、いざ、社会の勝ち組と1対1になると怯えてしまう。これは男に襲われるかも、という具体的な恐怖とは違う。そもそも性的なことは私がタワーマンションエリアに行った後で行われる契約なので、理性的な藤田はそんな野蛮なことはしない。私だって、それくらいはわかっている。


従って暴力への懸念は全くなく、「自分のような貧民が、タワーマンション住民という神聖な存在の横で息をしていてよいのか」という申し訳なさで、ものすごく居心地が悪いのだった。


どうしようもない居たたまれなさを誤魔化すように、私は「でも藤田さん、わざわざタワーマンションエリアから遠く離れたスラム近くのこの土地まで来て、私にお金払うだけなの、本当に大変じゃないですか?申し訳ないです」と世間話を振ってみた。


「あぁ、じゃないよ」藤田は、私に払う札束が入っているらしいキャリーバックを取り出しながら説明した。「今日の遠征で、君以外にもあと2人の妻を購入する予定だよ。わざわざここまで来たんだから、用事はまとめて片づけたいしね」


あまりにドライな藤田の言葉を聞くうちに、委縮していた心に落ち着きが戻ってくる。


そうだった。私のような立場の人間はタワーマンションの人間から買われる「商品」でしかない。そんな世の摂理に抗うと、ホテルに入る前に自分に言い聞かせていたはずなのに。


決意を思い出すと同時に、右ポケットの重さも意識にのぼってくる。


私はキャリーバックから札束を取り出そうとゴソゴソしている藤田の背後で、1回大きく深呼吸した。


それから即座に、右ポケットから拳銃を取り出し、藤田の後頭部に向けて撃った。


藤田の体がつんのめるように倒れて、動かなくなった。思ったよりあっけない。


殺したら後は逃げるだけ。

私のような下級市民よりも藤田のようなタワーマンション民の命は重いので、藤田の死に対して警察は本気を出し、緻密な監視ドローンシステムを駆使した捜査をするだろう。

従ってここから先はスピード勝負になると、昨日の時点で考えていた。


だから私は一切の躊躇なく、藤田の死体のズボンのポケットに手を突っ込んだ。まだ冷え切っていない死体の体温を感じながら、奥からトランクの鍵を取り出し、鍵付きトランクを開けた。


中には私に支払われる金額の三倍ほどの現金がある。なるほど。私以外に2人の女性を買う予定だ、という藤田の言葉は嘘じゃなかったらしい。


お金があったのは喜ばしいが、私のような貧民が鍵付きトランクを持っていたら怪しすぎる。


だからトランクの中の札束を、私のリュックに移していった。もちろん、大金を前にして心臓がバクバク音をたてても、現場からはやく離れるべきという原則は忘れない。


程よいところで金を運ぶ手を止め、最後の仕上げに藤田の財布を投げ入れたら、スマホに持ち替えて「もしもし、ウーハー配車をお願いします」と電話をしたので、殺して30分後という好タイムで、殺人現場から去ることができた。


防鬼蛍光灯で輝くホテルから離れていくウーハータクシーの後部座席で、私はやっと、ため息をついた。


カバンの中にそっと手をつっこむと、ちゃんと、札束のザラザラした感触がある。これだけの金があればどれほどの期間電気代を支払えるのか、捕らぬ狸の皮算用な計算をして、ひとりにやけていると、ウーハータクシーが止まった。


いつの間にか私の住むアパートの前まで着いていたらしい。


人生で最高レベルに機嫌がいい私はタクシー代金を確認せず札束を運転手に渡し「お釣りはいいから」と言って車を降りたのだが、数歩歩いたところで、路地から出てきた男4人に囲まれた。


黒いタオルを口元に巻いた屈強な男の、入れ墨が入った手には銃が握られている。「そのバッグを渡せ」と簡潔に要求してきた。


一瞬だけ、藤田を殺すのに使った銃で反撃しようかとも思ったが、私は不意打ちで暗殺するための銃撃練習しかしていない。メリットとデメリットを考えると抵抗するべきではないと思いなおし、バッグを男たちに渡した。


そして私は、帰宅した。


色々大変なことがあったが、結局1円も増えていない。その虚しさに笑っていると、部屋が薄暗くなってきた。

日没時間だ。


反射的に、部屋の電灯のスイッチをカチッと押したが、電気代を払えていないので当然点かない。


溜息をついて、ふと振り返ると、いつの間にか白髪の少女が立っていた。とんでもなく整った顔をした18歳ほどの美少女だが、完全な無表情なので冷たい印象がある。


「吸血鬼はどんな分厚い壁もすり抜けるし、幻術でターゲットを気絶させるので、気がつくと襲われている」と聞いたことはあったが、マジだったらしい。


「ねぇ」私は吸血鬼の少女を見て、笑った。「どうせ殺すなら私を抱いてからにしてくれない?私って男で興奮することがどうしてもできなくて、でも電力会社の職員は力仕事と理系ゆえに男ばっかりで、買ってもらえずにタワーマンションに住めずじまいなの。最期にあなたみたいな、顔がいい女に抱かれたいんだけど」


「見事な偽装だな。人間よ。警察は騙せるだろう」

吸血鬼は、私の言葉を無視して、炎のように輝く赤い瞳で私を見つめ、言った。


「偽装?何の話?」


「藤田という男を殺したのは、金目当てじゃないということだ」


「藤田を殺したのを知ってるだけで、さすが吸血鬼って感じだけど、じゃあ、何目当てなの」


「藤田の財布の中にある、電力会社社員証の磁気テープデータだろ」


「そんなハイテクな物を私が手に入れても、どうもできないでしょ」


「だから、タクシーから降りた後に、男たちに渡したんだろ。つまりあの強奪は狂言で、大量の現金は最初から最後までカモフラージュだ」


私は軽口を返すのをやめた。完全にバレている。


――この格差社会にために、私は今日、ここに来た。

電力会社社員に買われるのでは、抗ったことにならないと思っていた。


――右ポケットの重さも意識にのぼってくる。

私みたいな一般人が銃を手に入れることができたのは、「組織」から、役目を託されたから。その責任の重さを思い出し、殺害を実行できた。


――これだけの金があればどれほどの期間電気代を支払えるのか、な計算をした。

最終的に「組織」に渡す予定の金だったが、電気代に当てたらどうなるか夢想してしまい、一瞬だけ裏切って自分の金にしようかと魔が差したが、思いとどまったのだ。


「お前たちの目的は、電力会社職員から社員証を奪いその磁気データを読み取り真似するスキミングというサイバー犯罪を行い、最終的には偽造社員証でタワーマンションエリアに侵入しテロを行うことなのだろう?」吸血鬼の少女は、微笑みながら尋ねた。


「あなたから見れば私はディナーでしょ?どうせ死ぬ人間からそれを聞いて、何になるの。知的好奇心?」私は、自暴自棄な気持ちになりながら聞き返した。


「お前たちのテロ組織名は消灯劇団。最終目標はタワーマンションの完全停電だろ」


「だから?」


「実現すれば、我々吸血鬼としても、嬉しいんだよ。タワーマンションの防鬼蛍光灯が消えれば、金持ちの人間の血が吸えるから。つまり利害の一致だ。吸血鬼は協議を重ね、昨日、お前たち消灯劇団の団員は殺さないことに決定した。頑張ってテロを成功させなさい。吸血鬼も応援してる」そう言い残し、吸血鬼の少女は、来た時と同じように、いつの間にかいなくなった。


殺されると思っていた相手からサプライズプレゼントな応援を貰っても、困る。「さあ明日からテロ活動を頑張るか」とすぐに気持ちを切り替えられるほど、私は器用じゃない。


死にぞこなった私は、戸惑った心を落ち着けようと、窓を開けて夜空を眺めることにした。


東の方角に目をやると、黒い夜の色を塗りつぶすようなピンクが遠くの地平線のあたりに見える。


富裕層の命を守るタワーマンションの防鬼電灯だ。その醜悪な桃色の光をじっくり見つめているうちに、夜が明けていった。

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