第7章:展示

 東京の中心部にある現代アートギャラリー。その白亜の建物は、今宵、特別な輝きを放っていた。薫子の変貌を発表する展覧会の日、会場は人々で溢れかえっていた。ギャラリーの入り口には、「Metamorphosis - 人間と蝶の境界線」という展示タイトルが大きく掲げられていた。


 夕暮れ時、空は紫がかった橙色に染まり、ギャラリーの大きなガラス窓に反射して、幻想的な雰囲気を醸し出していた。批評家、アーティスト、そして好奇心に駆られた一般の人々が、続々と会場に足を運んでいた。彼らの表情には、期待と不安、そして少しばかりの戸惑いが混在していた。


 会場内部は、柔らかな間接照明で満たされていた。壁には薫子の変容過程を記録した写真が、時系列に沿って展示されていた。その写真の数々は、人間から蝶へと変貌を遂げていく過程を、克明に物語っていた。


 中央には、大きな白い舞台が設置されていた。その周りを取り囲むように、観客席が配置されていた。人々は小声で語り合いながら、舞台上に現れる薫子の姿を今か今かと待ち望んでいた。


 突如、会場の照明が落とされ、静寂が訪れた。そして、舞台上のスポットライトがゆっくりと点灯し始めた。


 薫子が舞台中央に立つと、会場から驚きの声が上がった。彼女の体は淡い光を放ち、背中の羽はゆっくりと開閉を繰り返していた。それは人間を超越した、新たな生命体のようだった。


 薫子の肌は、月明かりを受けた水面のように、かすかに波打つように輝いていた。その輝きは、時に虹色に変化し、観客の目を惹きつけて離さなかった。彼女の背中に生えた羽は、薄紫色の繊細な模様で彩られており、光を受けるたびに七色に輝いていた。


 薫子はゆっくりと腕を広げた。その動きに合わせて、背中の羽も大きく開いた。会場からは息を呑む音が聞こえた。羽が完全に広がった瞬間、舞台全体が虹色の光に包まれた。その光景は、まるで異世界の入り口が開いたかのようだった。


 薫子の動きは、人間離れした優雅さを持っていた。彼女が舞台上を歩くたびに、足元から光の粒子が舞い上がり、幻想的な雰囲気を醸し出していた。その姿は、まさに生きた芸術作品そのものだった。


 観客席の中で、玲奈は複雑な表情で薫子を見つめていた。愛おしさ、誇り、そして少しばかりの後悔。全てが入り混じった感情が、彼女の胸を締め付けた。薫子が観客に向けて微笑むのを見て、玲奈は小さくつぶやいた。


 「美しい……」


 その瞬間、玲奈は自分の体に異変を感じた。心臓の鼓動が早くなり、呼吸が浅くなる。そして、玲奈は自分の秘部がすでに熱い蜜ですっかり濡れていることを初めて自覚した。彼女は慌てて周囲を見回したが、幸い誰も彼女の様子に気付いていないようだった。


 舞台上の薫子は、ゆっくりと腕を上げ、指先で空中に何かを描くような動きをした。その瞬間、彼女の指先から光の糸が紡ぎ出され、空中に美しい模様を描き始めた。観客は息を呑んで、その光景を見つめていた。


 薫子の動きが加速していく。彼女の体から放たれる光も強くなり、舞台全体が眩いばかりの輝きに包まれた。その光は、まるで生命エネルギーそのもののように、会場全体に広がっていった。


 観客の中には、感動のあまり涙を流す者もいた。また、恐れにも似た表情を浮かべる者もいた。しかし、誰もが薫子の姿から目を離すことができなかった。


 玲奈は、自分の体の熱が増していくのを感じていた。薫子の姿を見つめるたびに、二人で過ごした日々の記憶が脳裏によみがえる。手術室での緊張感、薫子の体が少しずつ変化していく様子、そして二人で過ごした熱い夜……。


 玲奈は、自分の感情を抑えるのに必死だった。しかし、薫子の姿が放つ美しさと官能性は、彼女の理性を少しずつ溶かしていくようだった。


 突然、薫子は舞台中央で静止した。そして、ゆっくりと観客に向かって両手を広げた。その瞬間、彼女の体から強烈な光が放たれ、会場全体が一瞬にして真っ白になった。


 光が収まると、そこには羽を大きく広げた薫子の姿があった。彼女の体は、まるで内側から光を放っているかのように輝いていた。その姿は、もはや人間というよりは、神秘的な生命体のようだった。


 会場は、長い沈黙の後、突然の拍手に包まれた。その音は、次第に大きくなり、やがて轟音となって会場全体を揺るがした。


 薫子は、ゆっくりと頭を下げ、観客に感謝の意を示した。そして、彼女の目が玲奈と合った。二人は、言葉なしで互いの思いを伝え合った。


 玲奈は、自分の中に湧き上がる感情の波に身を任せた。それは愛であり、欲望であり、そして芸術に対する畏敬の念だった。彼女は、薫子との新たな人生が始まったことを感じていた。


 展示会は成功を収め、薫子の名は一夜にして芸術界に轟いた。しかし、それは同時に、二人の人生に新たな挑戦をもたらすことになるのだった。


 会場の外では、夜空に輝く星々が、まるで薫子の羽のように美しく瞬いていた。新たな夜明けを迎える東京の街は、二人の物語の新章の舞台となる準備を整えていたのだった。

(了)

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【SF百合小説】蝶の羽ばたき ―愛と変容の物語― 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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