②-4
下方で、ウンリュウが旋回するのが見えた。無事らしい。でも主翼の先が欠損している。
『悪い。離脱する』
「了解」呼吸の合間に、喘ぐ。「先に帰って」
『バンシー、お前も引け。そろそろ燃料切れだろ』
「まだやれる」
ウソだ。もう帰投分の燃料に手をつけている。でも、引く気にはならなかった。
ずっと高い場所に裁定者気取りなのか、マブリの赤いマークⅠが浮いている。それだけだ。他にはもう誰もいない。
僕らしか、いない。
彼女が旋回してこっちを向いた。僕も旋回に入れる。お互いにお互いを頭上に見ながら、二人で螺旋を描く。
一機討ちだ。
『バンシー』とアツジの声がした。
小さすぎる旋回角に肺を絞られて、答えられない。
『バンシー』アツジが、諦め悪く囁く。『死ぬなよ』
「わかって、るよ」
『帰ってこい』
僕は応えなかった。
操縦桿を引く。バンシーが滑るように内側に入った。ラダーペタルを踏んで機首を調節、トリガーを弾く、直前で逃げられた。と思ったのに、彼女はいつの間にか僕の腹側で姿勢をたて直している。
ぞっとするくらい機敏だ。そして、勘がいい。
僕はスロットルを絞ってフラップを出す。ぐん、と首が後ろに引かれて急減速。スナップで彼女のほうを向いた。
互いにヘッド・オン。
機首が光る。ほとんど同時だ。
その瞬間、彼女がバランスを崩した。僕の弾があたったか? いや、あたっていないはずだ。あたっていたとしても、姿勢が崩れるほどの損傷を与えられるほどの発砲時間じゃなかった。
それなのに、彼女は激しいロールで墜ちていく。
なにが起こったのかわからない。
彼女を追うために背面に入れる、寸前で、僕の眼前を赤い機体が横切った。
深紅のマークⅠ──マブリ、だ。その機首が、機銃の辺りが、鈍くフラッシュする。
まさか、そんなことってあるか? と混乱する。ニケを撃ったのは、僕じゃない。──マブリだ。
ダイブで、追いかける。
高高度に浮かんでいたはずのマブリが、すぐ隣にいた。機体の前方で火花が弾けている。
機銃の、発砲だ。
なにが起っているのか理解できない。呆然とする僕を、黒煙が包んだ。キャノピに細かい破片が当たる音がする。
墜ちていくニケの、煙と破片だ。
マブリは、落ち着いた機動で水平姿勢に戻り、降下を止めた。僕だけが、ニケを追って降下し続ける。
『バンシー』マブリの、平淡な声がした。『戻って。終りよ』
うるさい!
スロットルを叩きこんだ。シートに背中が沈む。雲に突っ込んで、すぐに抜ける。
彼女が──ニケが機体をたて直しているのが下方に見えた。右翼が半分ない。エンジンも脱落している。左翼に残っていたプロペラも、気流で逆回転をしていた。火災を止めるために燃料供給を絶ったのだろう。
「脱出して!」叫ぶ。
彼女の答えは、歌声だった。
いつかのバラードだ。敵国の女性に恋をして祖国を裏切る兵士の歌だ。
無線のノイズ越しにもよく通る。高くて伸びやかな歌声が場違いに優しく響いてくる。サビのワンフレーズだけ。
続きの歌詞なんかもう忘れてしまった。だって、最後に聞いたのは随分と前だ。いや、あのカフェで最後に三人が揃った新月の夜以来だ。ほんの最近のことなのに、歌詞が出てこない。
なにも、思い出せない。
彼女に追いついて、追い越して、彼女の真下に入り込んで、スロットルを絞る。フラップを出して減速して、すれ違った。
衝撃波がバンシーを揺さぶる。
避けた? 僕じゃない。彼女が、右翼をもがれてなお、僕との衝突を回避するために舵を切ったんだ。そのせいで、彼女はまた激しい錐もみに入っている。燃料オイルと破片とが尾を引いて、彼女の墜落を描いている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます