②-2
いつの間にかマブリの演説が終わっていた。無線封鎖の指示が出たところで、みんなで雲の上まで上がって静かに滑るように飛ぶ。太陽は僕らの斜め後ろだから、迎え撃つにはちょうどいい。
スロットルから手を放して額の傷に触れてみた。ゴーグルに邪魔されたけれど、確かにそこに傷があるんだって実感は湧いた。
彼女にもらった傷痕だ。
シートに座りなおしてシートベルトの締まり具合を確かめる。操縦桿を小刻みに振って空気の粘度も確かめる。
──来た。
前方に小さくシミが散っていた。四十機はいる。
どれが彼女だろう? と目を凝らしたけれど、すぐに無意味だって気づく。見分ける必要なんてない。
最後に残るのが、彼女だ。
無線を入れる。聞き分けられないくらいの雑言が飛び込んできた。あいかわらずうるさい連中だ。
機銃の安全装置を外した。
敵は増速してわずかに上昇する。
あらかじめ大雑把にだけけど、どの班が敵編隊のどの辺りを担当するかは決めてあったから、それぞれが高度を合わせて編隊を解いていく。
最初の機動は敵が先だった。太陽光を反射して次々に機体が倒れて、滑る。僕らの右へ回り込むつもりらしい。
アツジの班がスリップ気味にそちらへ流れていく。
その直後に攻撃許可が下りた。
正面の部隊に向かって真っすぐに飛ぶ。高度を微調整、でも必要なかった。敵の一機が撃つ。
気が早いよ、射程外だ。
でも、僕の腕は勝手に左へ回避する。少し高度を落としてしまった。これが狙いか?
右に切り返して、敵の八機編隊の最後尾に狙いを絞る。同時に増槽を投棄。これで身軽になった。
操縦桿を引く。ぐっと腹が圧迫された。スロットルを押しこんで空を駆け昇る。
敵が編隊を解いた。
鈍いな、と欠伸でも噛み殺したい気分で、急旋回する。獲物を追ってループしながら周りを見る余裕があった。
射程に入る一瞬手前でトリガーを押しこむ。ほとんど同時に弾が出た。早すぎる! 外れた。
舌打ちしながらアガヅマの顔を一瞬だけ思い浮かべて、でも背面でダイブするときには忘れている。
左に逃げた敵の先を呼んでスナップ気味に機首を振る。
今度はガンサイトに引っ掛かってからトリガーを引いた。弾くように短く。
弾筋は見えなかったけれど、敵のキャノピが赤く弾けた。
すぐに反転して目の前を横切った敵に食らいつく。
冗談みたいにバンシーは軽やかに舞う。僕自身の腕が伸びて主翼になっているんじゃないかってくらいに思い通りに踊れる。
後ろに一機ついてきた。
スロットルを一段絞ると同時に機首上げ姿勢をとる。パワーを逃がしつつ、お尻を落とした。後ろについていた敵が対応できずに、僕の真正面を横切った。余裕で撃つ。
黒い煙が弾けたのを横目に、今度は機首を下げて降下し機速を戻す。
さっきまで狙っていた敵はもうたくさんの飛行機に紛れてどれかわからなかったから次を探してロールを描く。
不意に右手が反応した。本能のまま左に逃げる。
左手側に海面、右には雲。その間から双発のロストが飛び出てくる。
僕は旋回してそれを追う。
同じく旋回行動に入った相手の鼻先に、スナップで機首を向けた。勘だったけれど、ちょうどガンサイトのど真ん中だ。
トリガーを弾いて反転離脱。
ちぎれた雲の中に飛び込んで少し高度を上げる。雲の薄くなった所から周りを見まわした。黒い渦と白い煙と、ときどき炎が咲いている。
まだ混み合っている。もう二、三機墜としてからだ。
僕は燃料を確認する。増槽を大事に抱い来たたおかげで、まだ大丈夫。残弾は十分にある。油圧も油温もつまらなさそうに正常値を指していた。エンジン音は滑らかに高い。期待ばかりが膨れていく。
背面で雲を出た。
撃たれる。でも外れ。どこから来た?
首をひねって雲の中を確認する。いない。ロールで姿勢を戻した、つもりが、ちょうど真上に太陽があった。ということは、僕は水平面に対して垂直姿勢に入っている。雲の中で空間把握に異常を来したらしい。
半瞬だけ計器を見て、姿勢を立て直す。改めて水平姿勢をとり、太陽と向かい合う。その中心が鈍い。
僕を撃った奴だろう。
スロットルを押し上げて旋回上昇に入れる。相手もバンクで降下してくる。お互いに相手を頭上に見る位置だ。
操縦桿をじわりと引いて少しずつ旋回を縮めていく。体がシートに沈む。息苦しくなったけれど、まだ平気だ。
射程に入る二秒手前で斜めに切りこんだ。相手もほとんど同時に入ってくる。互いにヘッド・オン。
相手が半秒先に撃った。ロールでかわして、撃つ。
あたっただろうか? 外した気がする。
首をひねって後方を確認。相手がスリップで下りていくところだった。やっぱり元気そうだ。
背面からダイブに入れて追う。ほとんど一直線に海面に墜ちる軌跡を描く。ラダーペタルで微調整して、撃つ。
相手の尾翼が吹き飛んだ。きりもみに入る。
見送らないで操縦桿を引く。
体の中で内臓がずれるのがわかった。物凄い圧迫感に喘ぐ。
『バンシー』耳鳴りみたいに割れたアツジの声がした。『どこだ?』
「ここだよ」声が掠れていた。「高度一八〇〇」
『上がってこい。亡霊退治の時間だ』
上はどっちだっけ? 計器で確認して上昇する。喉が渇いていた。唾を飲み込んでから唇を舐める。鉄の味がした。
僕が墜とした敵の血だろう。
周りはほとんど雲と黒煙になっている。もう大半が海の中か、帰投コースだろう。燃料をもう一度確認。
あと五分くらいしか猶予がない。
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