②-3

「それは」背筋に走った緊張を噛み殺す。「マークⅠのエンジンが空冷式だったからだろ」

「ロストは双発だ。重たい」

「機動は僕が勝つ。バンシーは軽い」

「機速はロストが上だ」

「その分、高速での機動は鈍い」

「あいつに限っては、当てはまらない」

 僕は煙草を灰皿に突っ込む。アガヅマが放り込んだ吸殻はまだ温かかった。

「女性の腕力じゃ舵をきれない」

「そのイメージがあるから勝てないんだ」アガヅマは、フロントガラスの中に映った僕を嗤った。「あいつ自身が一番、その欠点を理解してる。克服しないはずがないだろ」

 彼女に腕を振り払われたことを思い出した。同時に、細い指の感触も覚えている。

「あいつは最初に下がる。海面近くまで誘って、しかけてくる。ロストの馬力なら一気に高度を上げてから落ちてくる手も考えられる」

 つまり、最初の誘いに乗ってしまえば、僕は高高度からの落下を利用した加速ができなくなるってことだ。なによりも海面が近いっていう心理的な圧迫感はパイロットの判断力を鈍らせる。嫌な戦い方だ。

「上に誘え」

「わかった」

「旋回はあいつが勝つ」

 機体の性能だけで言えばバンシーが勝つはずだ。でも、彼女の体重は僕よりも軽い。僕よりも過重に強いんだ。

 僕は黙って、フロントガラスに映り込むアガヅマの虚像を見つめた。

「ロールはあんたが勝つ」

 これは純粋に双発機のロストと単発気のマークⅢの機体性能だ。

「あいつは失速しない。バンシーは意図的に失速させやすい」

 つまり、そうやって勝てってことだ。

「どうして僕を勝たせようとするの?」

 ひょっとして僕へアドバイスするフリで、本当はバンシーになにか細工をしているんだろうか、なんてバカなことを一瞬だけ、でも本気で考えた。

 だって、彼女の敵に回るアガヅマなんて想像できない。あの新月の夜だって、僕らの基地がどうなるかわかっていて彼女を心配してたのに。

 紫煙にかすむフロントガラスの奥で、彼が目を眇めた。唇だけが薄い笑みを作る。そして囁き声。

「バンシー」

 ぞっとした。彼のたった一声で、鳥肌が立った。

 どうして、だって? どうしてそんなバカなことを訊いてしまったんだろう。わかっていたはずだ。とても簡単な理由だ。

 ──エースになって。

 彼女が僕に願ったことだ。それをアガヅマに教えたのは他でもない僕だ。彼は、それを叶えてあげようとしているだけだ。

 心底、彼が怖いと感じた。空で遭う乱気流や敵機なんて、アガヅマの前ではなんでもない。

 僕はトラックから飛び降りる。蹴り開けた扉を閉める、なんて行儀も忘れて駐車場を走る。

 なんだ、あれ。なんだアレ。

 口の中で呪文みたいに呟きながら司令棟の前を駆け抜けて宿舎に飛び込んだ。

 アガヅマは彼女が好きだったのに、いや、今でも好きなのに、どうしてあんな願いを抱けるんだろう? どうして僕に、彼女の最後の願いを押しつけたりできるんだ。あんなのが、あんなにドロドロとした感情が好きってことか? そんなはずない。そんなのおかしい。

 僕が彼女に抱いていたのとはまるで違う。全然、違う。

 それは憧れだろ、って嘲笑が鼓膜の深いところに巣食っていた。

 じゃあ、アレはなんだ?

 彼女は、アガヅマが大事だと言っていた。大事だから、去るのだと。じゃあアガヅマも、彼女が大事だから、彼女を墜とす手助けをするのか?

 部屋に入ったら、イヂチが驚いた様子でベッドのカーテンから顔を出した。でも、どうでもいい。

 僕は靴も脱がずにベッドにもぐりこむ。

 イヂチがなにかを言ったけれど、理解できなかったから聞こえないふりをした。

 毛布をかぶって真っ暗になった視界の中にアガヅマの薄い笑いが浮かんできた。口元と眼が別の感情を宿している複雑な顔だ。

 好きだから、殺したい、大事にしたい、だから墜とす。矛盾でできた、大人の表情だ。

 きつく瞼を閉じると世界が白くフラッシュした。力を入れ過ぎて眼底が鈍く痛む。

 雲の中みたいだ。一筋だけ光が差し込んでいる。

 あれが愛ってやつだろうか。もしそうなら、僕は要らない。アガヅマのあれは、狂気だ。

 でも、と僕は瞼の裏を染める光の奥に滑らかに空を滑る影を見る。

 翼を広げた、死神だ。首と両腕を断たれた女性が、背に唯一残された翼で空を渡っていく。

 ニケは、と紫煙の雲で乳白色に染まった世界を夢見ながら、なぜか新月の夜を思い出していた。

 あの夜ニケは、優秀な整備士たちやパイロットを撃たなかった。滑走路と通信設備を破壊するだけで、宿舎には一発だってあてていない。確かにそれでも、基地機能を奪うにはじゅうぶんな損害だった。

 でも本当は、彼女はアガヅマを、自分の母親であるキヨミズを、撃つことができなかっただけなのかもしれない。

 もちろん、僕の勝手な想像だ。

 僕の瞼の裏では、背の翼をはためかせたニケが母親にもアガヅマにも囚われることなく自由に飛翔している。

 その幻影を追って僕の親指が、機銃のトリガーを押しこんだ。アガヅマが新しくした機銃が、彼女へと吼え猛る。

 でも、その弾筋が彼女を捉えることが怖くて、目を開けた。毛布の中に閉じ込められた薄闇が、荒い呼吸と汗で湿っている。僕の弾が彼女を捉えたかは、わからない。わかっていることは一つだけだ。

 僕とアガヅマは彼女の愛し方を、決定的に間違えてしまった。それだけは、わかる。

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