③-1

 キヨミズの命令通り、パイロットとしての鍛錬をするべくトレーニングマシーンの置いてある娯楽室に行くと、先客がいた。

 ナキだ。あの新月の夜、ニケが墜としたと言っていたけれど、別段幽霊っぽくもない。紺色のスウェットスーツ姿で力強く自転車型のマシーンをこいでいる。

 僕は半秒だけ迷って、彼の隣のマシーンにまたがった。

 視線を一度寄越したきり、ナキはなにも言わずにマシーンをこぎ続ける。負荷をかけるためのモーター音だけが、僕らの間に満ちる。飛行機を脅かす低気圧のように不気味な粘度を持った音だ。

 五分ほどして、ナキがマシーンを降りた。そのまま出ていこうとする彼を、僕はマシーンを睨んだまま「君」と呼び止める。

「無事だったんだね」

 ナキのスニーカーが床をこすった音がした。きっと立ち止まって、体ごと振り返っている。でも、僕は気づかないふりで自転車をこぎ続けた。

「あの大規模戦闘で撃墜されたって聞いたから、心配してたんだ」

 ナキは長い息を吐いてから、マシーンに戻ってきた。浅く腰をかけて、「それ」と雑談ついでみたいな軽い口調で言う。

「誰からきいたんだ」

「機体と一緒に爆発したり海に沈んだりする奴って多いからさ。てっきり君もそのタイプかと思ってた」

 自分勝手に喋る僕に、ナキは苦笑だ。

「機体に執着しなきゃ、そうそう死にゃしない。お前、なんのためにパラシュート背負ってんだ」

 僕も苦笑を浮かべて、ついでを装って切り出した。

「君、スパイなの?」

 ナキは、沈黙した。虚をつかれた、わけじゃないことは、彼の呼吸が整っていることからわかる。たぶん、僕の真意を探っていたんだ。

 二秒して、ナキはマシーンから立ち上がる。

 万が一攻撃されても対応できるように、僕は神経を研ぎ澄ませる。

「人聞きが悪いから」ナキは、拍子抜けするくらい穏やかに言葉を発した。「情報局員って言えよ、バンシー」

「……君の、本当の所属って、どこ?」

「そういうお前は、オノガミの後任か?」

 違う、と否定するより先に、彼がニケの所属を把握していたことに驚かされた。同時に危機感が増す。

「僕の機体にも、細工する気? ニケに、そうしたように」

「お前がヒノメの脅威になるとは思ってないが」彼は唇を歪めた。でも、その眼はどこまでも無表情だ。「国からの指示があれば、誰にだってやるさ」

「君は本当に、ヒノメの情報局員なの?」

「ああ、おまえとは、違う」

 思わず彼の顔を仰ぐ。マシーンのペダルを踏み外した。空回ったマシーンが唸りの余韻を引いて停止する。

 どうして僕の所属を──タルヴィングに情報を流していることを、知っているんだ。彼のつかんだ情報は、どこまで上層部に伝わっているんだろう。

 そんな僕の反応に満足したのか、ナキは目を眇めて笑った。

「安心しろよ」ナキは僕の項に囁く。「おまえについては、まだ証拠がそろってない。今、手を引くなら通告しないでいてやる。つく国は、慎重に見極めたほうがいいぞ」

「……君は、ヒノメが勝つと、信じてるんだね」

「戦争ってのはな、戦力で勝ち負けが決まるわけじゃないんだ。国の上層部同士の駆け引きで、決まるんだ。兵士なんか、何人死んだって、意味がない」

 ナキはそう言い捨てて、僕から離脱する。大股で娯楽室を横断して扉を開けた。ところで、「よう」と明るい挨拶をする。

 アツジが入ってくるところだった。制服だったからトレーニングをしに来たわけじゃなさそうだ。アツジもまた、気安い調子で「よう」とナキの肩を叩く。

「トレーニングか?」

「いや、もうヤメだ。隣町でビールでも飲んでくるさ。どうせ飛べないんだ。せいぜい酔っ払ってやる」

「いいな、薄まってないビールをグッとやるんだ」

「キンキンに冷えたやつな」

 拳をぶつけ合って、二人は「じゃあな」と別れる。

 ついさっき「命令があれば、誰の機体にだって細工をする」と豪語していたナキを思えば、人間不信に陥りそうな光景だった。

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