①-2

 アガヅマはそのまま格納庫の壁伝いに裏へと足を向けた。司令棟のほうだ。

 嫌な予感がした。だって、彼が司令棟に顔を出すことなんて滅多にない。

「アガヅマ」呼びとめる。

 彼が首だけで振り返った。

 でも、言葉が続かない。

 そんな僕に、アガヅマは煙を吐いて笑う。

「報告なんかしない」

 彼女のことだろう。僕についてかもしれない。違う、そんなことを心配しているんじゃない。

「アガヅマ、辞めないよね?」

 彼は煙を空に逃がして、踵を引いて、体ごと振り返った。右手の指で煙草をつまんで、左手で帽子の鍔を下げる。

「あいつの、一つ目の願いってなんだ?」

「え?」僕が質問したはずなのに、全然別のことを訊かれて少し戸惑った。言ってもいいだろうか? と一秒だけ迷う。いいだろう、もう彼女は帰ってこないんだから。

「僕がエースになることだよ」

「あんたが?」

「そう、僕が。彼女じゃなくて」

 ふん、とアガヅマは息を漏らした。冗談のつもりはなかったけれど、彼はそう受け取ったらしい。

「あんたは」彼は司令棟に向き直る。「自分があいつ以上に飛べると思ってるのか?」

「彼女は……亡霊だよ。僕らはみんな、彼女に思い出って名前のフィルターをかけて美化しすぎてる」

 僕は、そのセリフが嘘だと自覚している。

「あいつの願いを叶えてやる気はあるのか?」

「なくはないけど……現実問題として、難しいと思ってる」

 正直、彼女に勝てるなんて思っていない。ナンバー・ワンのアツジなら、なんてことも思っていない。彼の腕がどうのってことよりも、才能の問題だ。強いていえば、神さまの気紛れってやつだろう。習わなくてエンジンの異音に気づく奴とか、初フライトから風が読める奴とか、敵の機動が二秒先まで見える奴とか、そういうのは訓練とか経験とかでどうこうなるものじゃない。

 そういう意味で、本人は否定していたけれど、彼女は間違いなくエースだった。

 それを超えろっていうのは、ずいぶんと無茶だと思う。

 アガヅマは肩を竦めると、もう僕には興味がない様子で司令棟に消えていった。彼の残した紫煙が、エンジンに被弾した戦闘機の最期みたいによたついている。

 まさか、本気で辞める気じゃないだろうな。

 僕は駐機場でうなだれているバンシーを見る。キャノピがないし、動翼も足りない。主翼の装甲板も剥がされている。この基地を放棄することに異論はないけれど、アガヅマがいなくなるのは困る。

 僕にとって、信頼できる整備士は彼だけなんだ。たぶん、彼女がそうであったように。

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