③-2

 僕は火のついていない煙草を吸いこんで、むせた。空気が乾燥している。

「えっと」誤魔化すために無理に声を絞り出す。「姉が二人と弟が一人いて、父と母も一人ずつ」

「わたしだって、両親は一人ずつよ」

 きゃらきゃらと、マブリは商売女みたいに媚びた高音で笑った。

「ああ、うん」僕は首に爪を立てて、その痛みで冷静さを呼び戻す。「君、どうしてパイロットになったの? 女性パイロットは特別に選ばれるんだよね?」

「どうして? うーん、どうしてだろう? わたしは飛行機の組み立て工場で働いてたんだけど、視察に来た政府の人に飛行学校に通わないかって誘われたの。弟たちの疎開先を手配してくれるって言うから、それでなんとなく」

「ニケ」マブリが弾かれたように僕を見上げたけれど、気づかないふりをした。「って名前を貰うパイロットはみんなそうなの?」

 彼女は少し失望したように顔を歪めたけれど、すぐになんでもない顔に戻る。

「そうって、誘われたかってこと?」

「それもあるし、家族の安全を引き換えにってやつも」

「オノガミさんは知らないけれど、同期の候補生はたいていそうだったわ。ああ、あとは顔がいい子が多かったかしら」

 マブリの顔を、まじまじと見下ろす。昼間の太陽みたいな笑みが張り付いている。僕には少し眩しい明るさだ。

 ニケは、秋風に涼む満月に似ていた。

 二人とも、方向性は違うけれど、確かに美人だと思う。僕はもう少しふっくらしている娘が好みだけど、広報用に映えるのは彼女たちみたいな細身の美女だろう。

「その沈黙は失礼よ」マブリは僕の鼻先の空気を弾いて笑う。「わたしたちの本当の任務は広報活動と前線での士気向上だから、適当なところで墜ちるか、降りて結婚するべきなのよ。オノガミさんみたいに、変な希望を持たせちゃダメなの」

「変な希望って?」

「あの人と飛ぶと生き残れる。そんな希望を持たせるなんて、残酷じゃない」

「希望を持てるのは、いいことだよ」

「いいえ、残酷よ。ニケはね、引き継がれる名前なの。先代が過度な希望を育ててしまえば、名前を継ぐ次の世代が苦労するでしょう」

「つまり、一緒に飛ぶ兵士じゃなくて、ニケの名前を継ぐ女の子に対して残酷って意味かな?」

「そう。戦争に、伝説や英雄は必要ないの」

「じゃあ、他になにが必要なの?」

「犠牲」

 え? と聞き返した僕を、彼女は見ていなかった。基地を包む黒煙の行方を追うように、遠くへ視線を向けている。

「膨大な犠牲だけが、この戦争を止められるの。上層部からの妥協を引き出して、停戦に持ち込める。だから、わたしは子供を産んで、兵士にするの。最低でも三人」

「なに、言ってるの?」僕はマブリの横顔を呆然と見る。「自分の子を、戦死させるために、産むの?」

「だって、二ヶ月戦争が証明したじゃない。大きすぎる犠牲の前には、戦争を止められるんだって」

 マブリは目を見開いて、燃え盛る基地を見下ろしていた。その口元が、笑みに歪んでいる。誇らしそうに、声が上擦っている。

 僕は、いつかのアガヅマの真剣な眼差しを思い出していた。ニケの、泣き出しそうに歪んだ顔を、思い出す。

 あの二人は、その膨大な犠牲を目の当たりにして、今まで生き延びてしまった。だから、心のどこかが狂ってしまったんだ。

 たぶん、マブリも。

「君……二ヶ月戦争のとき、どこにいたの?」

 彼女は真っ直ぐに腕を伸ばした。新月の空を炙る炎の先に。

「知ってる? バンシー。国境のね、最前線付近にも村はあるの。戦争の度に国境が引き直されるんだもの。避難なんてできないくらい、道が破壊されるんだもの。食べ物もない瓦礫の村にも、取り残される人はいるの。でも、そんなところだって、戦争は焼いていくの。爆撃で死ねるのは、幸せなのよ。なにもない瓦礫の村で飢えて、治らない傷に苦しんで死んでいくよりずっと、幸せなの」

「……だから、戦死させるために、子供を産むの?」

「わたしの子が犠牲になれば、次の世代の子供たちは平和に、戦争のない世界で暮らせるかもしれなでしょう? だから、わたしたちニケは戦意を向上させるの。兵士がもっと頑張るように、煽るの。それが、ニケの仕事よ」

「……イカレてるよ」

 ふっとマブリが目尻を下げた。炎を受けて真っ赤に染まった顔を僕に向けて、まるで恋の秘訣を教える母親みたいな甘い声音で、囁く。

「戦争をしているんだもの」

 僕は、立ち竦む。彼女の、彼女たちの狂気を前になにも言い返せない。だって僕は二ヶ月戦争を体験していない。飛行学校にあったテレビ画面越しにしか、知らない。

 それはずっと遠くのところで起きた、教科書に載っていた、ただのイベントだったんだ。

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