③-1
町を抜けたころで、空に赤い閃光が走った。かなり遠くに見えたけれど、夜だから距離感がつかめないだけだろう。
スクーターを停止させた。エンジン音が邪魔だったから、切る。
鈍い爆発音が聞こえた。でも一度きりだ。あとはどれだけ耳を澄ませたってなにも聞こえない。
まさか、墜ちたんじゃないだろうな。
急に不安になって、スクーターを再始動させる。アクセルをいっぱいに開けて砂煙が上がるのも構わずに基地を目指す。
基地へと通じる一本道も終盤に差し掛かった辺りでなにかが燃えている臭いがした。オイルと排気ガスの臭いも鼻をつく。
タワーが燃えているのが見えた。滑走路を見下ろす監視台だけが炎に包まれて、蝋燭みたいだ。
もう少し近づくと風が温かくなった。
一般道と基地の敷地を隔てるゲートをくぐる。出かけるときに挨拶をした守衛はいなかった。きっと消火の手伝いに行っているんだろう。
敵はもう逃げたあとだ。
意外なことにタワー以外には、小さな倉庫が一つ燃えていただけだった。
でも、それが一番厄介で、地下室に保管してある燃料に引火すれば大爆発を起こす。運が悪ければ格納庫も吹き飛ぶだろう。
一階部分に保管してあるはずのオイル類は、わざわざとりに行く手間を面倒くさがった整備士たちによって格納庫に移されているから、今燃えているのは倉庫本体ってわけだ。少々の爆撃にも耐えるように地下の天井は分厚いコンクリートだったはずだから、爆発するまでには時間がありそうだ。運が良ければ爆発する前に鎮火するかもしれない。
風と炎の機嫌次第ってところだろう。
整備士やパイロットは消火を諦めて、機体を避難させることに専念している。賢明な判断だ。
僕はスクーターを邪魔にならない場所に停めてから、基地の惨状を見物するために基地の裏手を目指す。
道すがら聞こえてきた怒号から考えると、もう飛行機の大半は避難し終えていて、その機体をどこに停めておくかを整備士たちが相談し合っているところのようだ。
宿舎の裏の小さな丘には、すでにパイロットたちが何人も突っ立って基地を眺めていた。
中腹まで登ったあたりで「バンシー」と上からマブリに呼ばれる。
「よかった、巻き込まれたのかと思った」
「被害は?」
「滑走路がひどいの」
彼女はわざわざ僕のところまで下りてきて、また僕の歩調に合わせて丘を登る。ワンピースの裾とカーディガンが妙に浮かれた調子で跳ねていた。
「ひどいって?」
振り返ってみたけれど、暗くてよくわからなかった。滑走路の辺りからは煙も上がっていないから無傷に思えるくらいだ。
「機銃で蜂の巣よ。舗装が全部だめになったんじゃないかな」
思わず足を止めて体ごと振り返った。
彼女の機体は対空戦闘機だった。下方を狙う銃座が装備されていない単座機だ。機銃の弾は前方にしか跳ばない。そんな機体で地面を撃とうとすれば機首を下に向ける必要がある。つまり、降下しながら撃たなきゃならない。でも、司令棟の屋上には対空砲がある。高度をとれば対空砲をくらう。
新月の夜に、対空砲を潜って地面を撃つなんて芸当が、できるものなのか? これだけの仕事がこなせるパイロットが、少なくとも彼女の他にもう一人いるってことになる。
ゾッとした。彼女には軽口を叩いたけれど、今になってヘルティアの精鋭部隊に対して畏怖が湧いてきた。
「他に被害は?」
「今わかっているのは滑走路と燃料庫とタワー、あと対空砲で迎撃した情報局の人が」マブリは一度、言葉を切る。「被害はそれだけよ」
情報局員って迎撃作業に参加するんだ、と思ったのが正直なところだ。彼の怪我がどの程度なのか、もしくは生きているのかすら、どうでもよかった。本題は。
「襲撃者は?」
「わたしが見たときは、もう燃料庫が燃えてたから詳しいことはわからないけれど、他の人の話だと南から超低空で、二機が侵入して来たって」彼女はゲートのほうを指した。「で、一度目は燃料庫を撃って、上空を通過。すぐに引き返して来て、今度はタワーを撃ったらしいわ」
なるほど、明かりを確保するために燃料庫を狙ったわけだ。タワーはアンテナや回線を破壊して通信を混乱させるためだろう。
「それから滑走路への集中攻撃よ。情報局の人が対空砲をつかったけど角度が合わなくて一発もあたらなかったわ。司令棟の屋上とほとんど同じ高さで銃撃されて、終わりよ」
信じらんない、とマブリは肩を竦めた。あまりにも一方的な展開に、もうどうしていいかわからない、ってところだろう。
さすが、と感心してもいいんだろうか。それとも、飛行機やパイロット、それに優秀な整備士たちを見逃すなんて甘い、と言うべきだろうか。
変な二択を悩みながら煙草を咥えた。思いついてマブリにもパッケージを向ける。被害報告をしてくれたお礼だ。
でも、彼女は首を振った。
「煙草は吸わないの」
「へえ、珍しいね。パイロットなのに」
「子供によくないでしょ」
「へ?」全然予想していなかった言葉に変な声がもれた。「子供? 君、子供がいるの?」
「今はいないけど」マブリは唇を上げてきれいに笑った。「将来は最低でも三人くらい産みたいと思ってるから。バンシー、兄弟は?」
「え? あ、うん。え、兄弟? 僕の?」
混乱して、彼女の質問をうまく処理し損ねた。
急にマブリが僕の知らない生物になった気がした。
将来ってなんだ? 子供? そんなのもの、僕は欠片だって考えたことがなかった。
だって、僕はパイロットだ。将来っていえば、次のフライトではもう少し燃料をケチろうとか、来週は新しく飛行機の部品が届くはずだとか、どんなに先まで夢想したってせいぜい来月まで生きてたらアガヅマに蓄音機を作ってもらおうとか、その程度だ。
女性はみんなこんなに未来を信じているんだろうか?
いやニケは、彼女は違った。煙草も吸っていたし、どちらかといえば二カ月後の生よりも明日の空戦を望むタイプだった。
じゃあキヨミズは? 煙草を吸うかは知らないけれど、アツジと付き合っているんだから、ひょっとしたら将来は子供を持ちたいと思っているのかもしれない。でも、アツジはパイロットだからそんな発想はないだろう。
思考がもつれてきた。そもそも、パイロットと女性っていうのは相いれないんじゃなかったか? だから女性パイロットはニケ一人だけだったんだ。
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