②-1
どれくらい無意味な考えに沈んでいたのかはわからないけれど、そんなに長い時間じゃなかったはずだ。
それに気づいたのは僕のほうが半瞬だけ早かった。
アガヅマも、顔を上げる。
二人で一瞬だけ顔を見合わせて、店の外に飛び出した。風が強い。でも、耳元でごうごうと渦を巻いているのは風の声じゃなかった。
空を見上げる。奥行きのない単色の空だ。
聞きなれた周波数が体の芯に響き渡る。
見えた。
黒の濃淡で夜から飛行機が現れる。二機だ。高度が恐ろしく低い。脚が出ていれば電線に引っ掛かるんじゃないかってくらいだ。
双発の、ロストだ。
ちか、と胴体の真ん中が光った。
撃たれる! と体を強張らせたけれど、次の瞬間にはぞっとした。
機銃なんかじゃなかった。背面姿勢で僕を見下ろすロストの、コックピットキャノピだ。計器の照明を消している。
ロールをして水平姿勢に戻る数秒が、僕の目にはやけにゆっくりと刻まれる。コックピットの下で翼を広げる首のないカラスが、夜に紛れることなく網膜に焼付いた。
コルウス――ニケだ。
風が吠えた。廃品の山からいくつかの部品が転がり落ちる。
僕は姿勢を低くして風圧とエンジンの爆音から顔を庇う。舞いあがった砂が頬や首を叩いて痛かった。
砂嵐がおさまるより早くアガヅマが店に駆けこんでいくのが視界の端っこにかかる。きっと基地へ連絡をするんだろう。
僕はぼんやりとロストの消えた方角を眺める。
イカレてる。
新月の夜に飛ぶなんて自殺しようとしているとしか思えない。しかもあんな低空を飛ぶなんて正気じゃない。
不意にマブリを思い出す。空でキャノピを開けて手を振っているところだ。
女性パイロットっていうのは、みんなイカレてるのかもしれない。もしくは、そういう女性ばかりを選んで飛行機に乗せているんだろうか。だから女性パイロットは、広報用に飛んでいる人を含めたって、とても少ないんだ。
アガヅマが出てきた。乱れた髪をさらにかき回して舌打ちを一つする。
「やられた」
「うん」ロストの飛び去った方向を見たまま僕は頷く。「マークⅢのエンジン音だ」
「違う」アガヅマは真新しい煙草のパッケージを乱暴に破ると、箱の底を指先で叩いて飛び出てきた一本を咥えた。「そんなことはどうでもいい、とっくに知ってる」
僕は驚いて彼を見たけれど、彼のほうはその一言で次の話題に移ってしまう。
「電話が通じない。どっかで電話線が切断されてる。ニケが俺たちの気を引いてる間にもう一機のパイロットがやったんだろう。悠長に給油までしてやがった」
「給油?」
アガヅマは顎で背後を示す。褐色の光で満たされたバラックの窓越しに、マスターが顔を半分だけ覗かせているのが見えた。
「親父が燃料を売ったって吐きやがった」
彼女が最初に渡していた、妙に分厚い札束の理由だ。どうして思い至らなかったんだろう。
「本当に飛行機で来てたなんて……」
「誰が聞いたって冗談だと思うさ。新月だぞ」
アガヅマは火もつけていない煙草を吐き捨てた。安全靴の先でそれを汚水に蹴り入れながら、ジャケットから鍵の束を取り出した。
きっと今から基地に帰ったって間に合わない。たった二機だったし、戦闘機だから爆弾だって多く積めて四発ってところだろう。壊滅はしないはずだ。でも、それに近い被害は出るだろう。
てっきり「おまえの責任だ」って詰られるのかと思ったのに、彼は「あんな高度で」と舌打ちをした。
彼女の飛行高度だ。
こんな状況でも、彼は彼女を心配している。それを知ったら彼女はどうするだろう?
僕は自分の靴を見た。そこに彼女の断片が転がっている気がして土を踏みしだいた。全部を、僕が彼女に抱いていた憧れとか、アガヅマが彼女に抱いている思慕とか、彼女が僕らに抱く罪悪感とか、とにかく全部を踏み潰してしまいたかった。
いや、違う。本当に踏み潰したいのは──。
「アガヅマ……」僕は地面に呼びかける。「彼女の予測は、当たってる。タルヴィングは、ヒノメへの技術供与を引き揚げたがっている」
「……なんで、あんたがそれを知ってるんだ」
アガヅマは不思議そう、というよりは面倒くさそうに問う。
「……ヒノメの戦闘機は、タルヴィングから提供された技術を基にしてる」
「そうだな」
「ヒノメが勝手に戦闘機を開発したり、改良したりすることは禁じられている。そういう条件で、タルヴィングはヒノメに手を貸した」
「そう、言われてるな」
「でも、マークⅢのエンジンが……君が整備して、たぶん改良もして、ニケが情報を運んで、ヘルティアにマークⅢの情報が漏れた。タルヴィングは、それを理由にヒノメの援助を打ち切る気だ」
僕は顔を上げる。アガヅマを、真正面から見据える。
「アガヅマ、コッチに、ついてほしい」
「コッチって?」
「タルヴィング。君の腕なら、タルヴィングでも十分活躍できる。彼女が望んだ、平和な暮らしが、できる」
「ああ、だからか」アガヅマが、場違いに平淡に言った。「だから、初めて会ったとき、あんたのエンジンがあのザマだったのか。おかしいと思ったんだ。腐っても最新機の不調が、転属のときまでそのまま放置されてるワケがない。あんた、誰がアレを直して、改良するかを調べるためにわざと細工してたな」
そうだ。僕は、ヒノメの誰かが勝手にタルヴィングから供与された技術を改造しているんじゃないかを探るために送られた、スパイだ。いや、監視員というほうが正しい。
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