②-1

 二人の目的地は、不思議な町にあった。

 地図では湾の出口に近い場所にあって、町の内陸側の端には国境線代わりの細い川が流れている。そこを渡ると中立国のエリュシだ。中立といっても『まだ敵にはなっていない』国ってだけだから油断はできない。もっとも、この町について習ったのは国民学校の三年生のときに一度だけだったから、実際に海と川に挟まれた細長い町を見るまですっかり忘れていた。

 そんな危険な場所にあるのに、町はとても静かだった。

 どの店も自分たちが扱う商品を示す看板だけで、ヒノメ国旗を掲げていない。首都じゃ日の出とともに町中に響いていた軍の宣伝文句や国営放送も聞こえてこない。静かすぎて、ここが本当にヒノメ領なのか疑いたくなってくる。

 窓の外を行き交う人たちだって、石造り町並みに似合いの疲れた表情をしている。

 とても戦争をする気力があるとは思えない。エリュシがその気になれば半日も保たず占領されてしまうだろう。

「どうしてエリュシが攻め込んでこないんだろう」と呟いた僕に、ニケとアガヅマは「は?」と頓狂な声を上げた。まるで、そんなことを考え付いた僕のほうが不思議で仕方がない、って顔だった。

「どうしてって……」アガヅマが首筋を撫でながら通り過ぎた靴屋の看板を振り返った。もちろん靴に興味があったわけじゃなくて、その方角に国境線があるんだ。「こんな痩せた土地をとり返したって、労力に見合うだけの利がないだろう」

「とり返す?」

「ああ」とニケが肩を竦めた。「そうか、最近は習わないんだっけ? この辺り一帯、ウチの基地から湾の出口まではもともとエリュシの領土だったんだよ。川の向こうから湾まで、ずっとエリュシ領」

「え、ホントに?」

「軍の広報じゃあるまいし、あんたにウソ言ってなんの得があるんだよ」と鼻で笑ったのはアガヅマだ。「俺たちの時代は……なんだったっけな? ナントカ神話に出てくる土地を盗り返すとかって正当な理由でエリュシ領を侵略し奪取した歴史を教えられてだな」

「もはや」ニケは喉の奥で笑いを噛みつぶしているような低い唸りを上げた。「神話とか言い出す時点で正当じゃないよね。何千年前の権利を主張してるんだか」

「ついでに言えば、エリュシからこの辺を盗ったのだって四百年も前だぞ」

 数字を出されたって、僕にはどれくらい遠い時代かわからない。ヒノメが独自の文化を失った百四十年前だって想像できないのに、四百年なんて神話とどう違うっていうんだ。

 そんな僕の心を読んだみたいにニケが笑った。ひょっとしたら僕の顔は僕が思っているよりも雄弁なのかもしれない。

「四百年前っていったらね、空を飛ぶのは昆虫と鳥の専売だった時代だよ」

 人が空を飛べない時代なんて、やっぱり神話の域だ。

「それこそ、エリュシ側にしたら正当な理由ってやつの出番じゃないの?」

「うーん」とニケが視線を空に逃がしながら唸った。「まあ、確かにそうなんだけど、今さらエリュシ領に戻っても困ると思うよ、ここに住んでる人たちが」

「どうして?」

「もう言葉も文字も、文化だってヒノメと……というかヒノメを実質的に支配し始めてるタルヴィングにって言った方が正しいのかな? ともかく、こっちの言語や文化と同化しちゃってるからだよ。君だって、今さらヒノメが百四十年も前に使ってた独自の言葉とか習慣に戻すって言われたら困るでしょ?」

「どうだろう? 言葉がかわるのは確かに困るけど、ヒノメ固有の習慣っていうのがどんなものか知らないから興味はあるよ」

「なんなら教科書、貸そうか?」

「やめとけ」ニケの誘いをアガヅマが即座に叩き落とす。「今どきあんな教科書読んでたら、それだけで憲兵に引っ張られるぞ」

「憲兵が怖くて空なんか飛んでいられないよ」

「だいたいお前、当時の教科書なんか残してるのか?」

「君が残してるでしょ?」

「俺かよ」

 貸さないからな、と呻いたアガヅマがトラックを停めた。

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