第八話 二人

第八話 二人 ①

〈8〉


 アガヅマとニケ、それに僕との三人で出かけたのは、僕がTAB-9に配属されて三日目のことだった。三人そろって出掛けたのはそれが最初で最後になったから、僕はいつまでも、あの日のことを忘れられずにいる。

 あの日、アガヅマが駐車場から平然と出してきた車をみて、僕は口を開けた。

 小さな運転席はどう見ても二人乗りだけど、その後ろに伸びている荷台は飛行機の胴体だって運べるんじゃないかって広さと長さを備えていた。タイヤだって二重になったやつが四組もついている。昼休みに隊員たちを運んでいる四本しかタイヤのないやつなんか圧し潰してしまえそうだ。

「え、軍用車両?」

「まさか」アガヅマは一抱えもあるハンドルを回しながら唇の端だけで笑った。「俺の自前だよ」

「ラジオつけていい?」とニケが腕を伸ばして、僕やアガヅマが「もちろん」って答える前にスイッチが入っていた。

 正直、二人に挟まれている僕は肩身が狭かった。

 運転席からは大きなハンドルを回すアガヅマの肘がひょこひょこと出てくるし、僕と助手席を共有しているニケの体はパイロットのくせに妙に柔らかい。

 前の基地も女性隊員はいたけれど、事務員だったり伝令だったり、僕とは違う部署の人だったから、こんなに接近する機会なんてなかった。

 ニケはラジオのチューナーを回して音楽チャンネルを引き当てる。低いビートがシートを通して心臓に響いた。首都近くでは聞いたことのない曲だ。

 明言されているわけじゃないけれど、激しい曲調は禁じされている、と感ずることがある。戦争向きじゃない、不謹慎だ、もっと国に誇りを持てる重厚な曲を、となんとなく方向性が決まっているのだ。それに反すると、憲兵が言いがかりをつけて乗り込んでくる。

 だからたぶん、これは首都の憲兵に聞き咎められない、隣国か国境ギリギリのラジオ局から発信されているのだろう。

 ドラムの音に合わせてニケが足を揺すった。タタン、とアガヅマまでハンドルを叩く。

 間奏が終わるのと同時にニケが口を開いた。ひゅ、と短く空気を吸った彼女が、同調してアガヅマが、歌いだす。

 こう言っちゃ失礼だけど、二人があまりにも上手に歌うものだから、僕は心底驚いた。

 スピーカーから流れてくる女性ヴォーカルだってかすんでしまうくらい、ニケの声はよく通る。高い音が秀逸で、空を目指す鳥みたいにどこまでも伸びるんじゃないかって声だった。低音は少し掠れていたけれど、耳に心地好いアガヅマの声が巧く絡んで、かえって美しく聞こえたくらいだ。

 ロックからバラードまで幅広く、といえば聞こえがいいんだろうけれど、どう考えても節操なしのラジオに合わせて、運転席はちょっとしたスタジオになった。

 DJが各地の戦況報告を読み上げ始めてから、僕は「ひょっとして」とようやく口を挟む。

「歌手だったの?」

「誰が?」とアガヅマがニヤリとする。

「二人とも」

 はは、とニケが声を上げて笑った。アガヅマも短く息を漏らす。

「国歌なら」ニケは僕の膝先にあるスピーカーを指で弾いた。「周波数に乗せたことがあるよ。これでも広報部に所属してたこともあるんだ」

「へえ、凄いね」と言ったけど、それがどれくらい凄いのか、本当に凄いことなのかもよくわからなかった。でも。「上手いわけだ」

「国歌なんか上手くてもいいことないぞ」アガヅマが鼻で笑った。

「それ、威張るトコじゃないよ」これだけは僕にだって断言できる。「誰かに聞かれたら収容所送りになる」

「こんなこと言ってるけど」ニケは窓に向かって肩を竦めた。「アガヅマの国歌は折り紙つきだよ。マイクテストはいつもアガヅマだったしね」

「あの頃は毎日、朝礼と終礼で歌わされたからな」

「あの頃って?」

「二カ月戦争」

 僕がまだ飛行学校にいたころの戦争だ。ヘルティアとの戦端が開いたというニュースを、僕は娯楽室のテレビで知った。

 電撃的に攻めてきたヘルティアにたった三日で国土の一割を奪られ、さらにたった四日で奪い返し、互いの領土を焼き払い更地にし、物凄い激戦の末に結局国境はほとんど動かなかったという。二カ月で停戦になるくらい戦死者がたくさん出て、生き残った兵士たちはそれだけで英雄扱いだった。

 ニケも、その一人だ。

 二人は、僕がブラウン管越しの白黒画像でしか知らない戦場を体験して、生き残っている。

 そんな二人の間に座っているんだと思うと、背中がむずむずした。なんだか自分だけが甘やかされて育った場違いな人間みたいで、わけのわからない恥ずかしさがこみ上げる。

 でも、二人は激戦の欠片だって覚えていないって顔で国歌の前奏をハモった。高音と低音が絡む小節をきれいに再現して、いよいよ荘厳な歌が始まる、というところでブツ切れに二人は口を噤む。

「国歌に始まり国歌に終わる一日」ニケがため息をついた。「悪夢だね」

「あれで上達しない奴ってのは、死ぬまで下手だろ。それに、音がわかるってのも不幸だぞ。当時はいつ整備主任を謀殺してやろうかと、真剣に考えてた」

「どうして整備主任が関係あるわけ?」

「音痴のくせに指揮者気取りで……」

 言っているうちに昔の苛立ちを思い出したのか、アガヅマは舌打ちをした。

 くっとニケが喉で笑う。

「ある日とうとうアガヅマの忍耐が尽きて、その地位を奪ったんだよ。今でも音楽隊の間では語り継がれて」

「ない」

 アガヅマが否定とともに、ファン、と車体に似合わない軽いクラクションを響かせる。その反応速度から考えるに、どうやら全部がニケの作り話ってわけじゃなさそうだ。

「奪ったて、どっちの地位を? 指揮? それとも主任の座?」

「両方」と答えてくれたのはニケで、アガヅマは眉間にしわを寄せたまま歌い始めた。

 ラジオは西岸部の戦況を淡々と囁いていたから、完全に独唱だ。

 一小節遅れてニケの声がアガヅマの旋律を追いかけて、追いついて、サビできれいに絡んだ。

 僕も知っている曲だった。

 敵国の女性に恋をした兵士が祖国を捨てる物語仕立てになっていて、発表されてすぐに放送禁止になったやつだ。レコードも回収されたけれど、僕の旅行鞄の底には幻のそれが隠してある。

 二人につられて思わず息を吸い込んで、でも音にする寸前で飲みこんだ。なんとなく、二カ月戦争を生き抜いた二人の間に僕なんかが入っちゃいけない気がした。

 かわりにラジオが耳障りな声を寄越す。

『……部隊はヘルティア軍の航空部隊を壊滅させることに成功しました。この戦闘により勇敢なパイロット三人が名誉の戦死を遂げました。我々はこの犠牲を忘れることなくヒノメ固有の領土の奪還を』

 ニケの腕が僕を掠めて伸びた。

 スロットルを押しこむための彼女の手がラジオの周波数を変える。軽薄な愛を歌う男性の声にチャンネルを合わせたニケは、流れてくる音楽に反抗するように放送禁止のバラードを口遊みながらシートに沈み直した。

 仲間が撃墜した敵のことも、墜ちて逝った仲間のことも知りたくないって横顔だった。

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