①-3

 二人の背中と足音が消えるのを待ってから、男の顔を見た。ずいぶんと引き攣っている。アガヅマにもマブリにもないがしろにされて、拗ねているのかもしれない。僕は努めて無表情を作る。

「黒い鳥のマークをつけた隊と交戦しました」偵察任務がどうして交戦になったのかって経緯は、隊長が報告するべきだから省く。「八機編隊ですべてロストでした。しかし精鋭部隊と呼ぶには動きが悪く、脅威になるのは指揮を執っていた二機ほどでしょう。おそらく今回も初撃が奇襲でなければ、これほどの損害は出なかったかと思われます」

「つまり、こちらが先手を取れれば問題ない、と?」

 頷いてから、「ただし」と付け加える。

「マークⅢ本来の性能が発揮できれば、ですが」

 情報部ごときが実働部隊に余計な口出しをするな、という牽制だ。僕だって、不意打ちでエンジンがグズらなければ撃たれたりしなかった。

 男は唇をひん曲げて、アツジに視線を移す。僕の発言が嫌味なのか否かの判断を求めたのかもしれない。でも。

「俺も」アツジは平然と頷く。「同感です。凄腕も……確かにいましたが、そうじゃないのもいて、実際に二機も墜とせています」

「こちらは二十七機も墜とされたわけだが」

 男が忌々しそうに喉の奥で愚痴ったけれど、無視をした。だって、それは僕らの責任じゃないし、こんな地上でぐだぐだ言ったところで結果が変わるわけでもない。そもそも二十七機も墜とされるような計画を練ったのは上層部だ。

「密集隊形なんてとるから」

 自分の声が聞こえてから、しまった、と顔をしかめた。どんな飛行隊形なんて僕たちが口を出すことじゃない。まして、今の言いかたじゃ編隊長が無能だと言っているようなものだ。実際に無能だったから犠牲が出たわけだけど、これじゃ告げ口になる。

 どうフォローしようか、と考えていると、アツジが控えめに挙手した。男の視線が僕から逸れる。

「敵は常に、交戦中も二機で行動しているようでした」

 ああ、そう言えば、と僕も思い出す。最初に上から奇襲をかけてきたときはバラバラだったけれど、編隊を組み直した後は常に二機で仕掛けてきていた。だから僕が片方を撃った瞬間の隙をつかれたんだ。

 確かに、二機編隊で飛び続けられるなら精鋭部隊と呼んでもいいだろう、と僕は認識を改める。

 でも、男はぴんときていないらしい。太い首に襟を食い込ませて僕とアツジを見比べた。

「特殊な事例ではないだろう、君たちだって二機や三機で行動している」

 アツジが沈黙した。たぶん、絶句したんだ。あまりにも空戦を知らない発言だったから。

「飛び立つときではなく」と僕は彼にかわって説明役を買って出る。「会敵してからの話です。戦うときに一機が攻撃に専念し、もう一機はその援護に徹するんです。当然、乱戦になれば二機で飛び続けることは難しくなります。特に自分の隊よりも数の多い隊と交戦する場合は、各機が少しでも多く墜とそうとして散開し、各個撃破をしたくなります。実際、僕らはそう命じられることが多い」

「そうなると」ようやくアツジが復帰する。「敵に向く銃口は増えますが、こちらも眼前の一機に気をとられるため被弾する率も上がります。二機で行動し、一機が攻撃、一機が援護と周辺警戒に専念すれば、結果として自分と仲間との被弾率を下げられます」

「二機でかたまったほうが危険だろう。的が大きければ、それだけあたり易くなるんだから」

 自分の言葉に頷いた男を殴りたい衝動に駆られたけれど、僕は言葉を吐き出すことでそれを耐えた。

「空戦でもっとも危険なのは、ひとつのものを集中して見ているときです。自分を狙う敵に気づければ、敵の射撃軸に対して機体を垂直にして、向ける面積を最小にすることもできます」

 男は上を睨んで曖昧に頷いた。濁った陰影を浮き上がらせる天井の向こうに戦場があるんだろうか、って錯覚するくらい長い時間、男は視線を泳がせながら小刻みに頭を振った。

 きっと僕らの告げた空戦をうまく想像できていないんだ。

 僕は自分の足先を見る。いつものスニーカーじゃなくてスリッパだったけれど、足の裏には床がある。階下にはいくつか部屋があって、その下には地面がある。ここはうっかり躓いたって死ぬような場所じゃない。

 空とは違う。

 地上に慣れてしまえば二度と飛べない気がした。目の前にいる男みたいに、濁った天井に天国の欠片を探すようになるのかもしれない。

 それはずいぶんと、墜ちるよりずっと、恐ろしいことのように思えた。

「他に」いつの間にか男の視線が僕に落ちてきていた。「報告したいことはあるかな」

「ありません」考えるより先に僕の舌が応じている。

「ニケに、会わなかったか」

「さっきまでここにいた彼女は、僕の幻覚ですか?」

 声は震えなかった。苦笑すら作って、僕は男を見上げる。アツジのおかげだ。二度も同じ失態を演じるほどバカじゃない。

 男は目を細めて「ふむ」と唸る。

「昔の馴染みが、敵側で飛んでいたりは、しなかったか?」

「交戦中に」僕はさらに苦笑を深めた。「相手の顔を確認するなんて無理ですよ。誰かみたいに、ゴーグルを外して手を振ってくれるわけじゃないんで」

「君たちなら飛びかたを見ただけで誰が乗っているか、わかるんじゃないのか?」

「どうでしょう?」僕はアツジを見た。俺に振るな! って雄弁に語る彼に肩を竦めて、自分の口で続ける。「機種の特性に合わせて飛びかたも調節しますから。パイロットのクセは残るかもしれませんが、よっぽど知り尽くしている相手と一機討ちにでもならない限りパイロットを当てるのは無理だと思います」

「ふむ」とまた男が唸る。今度は頷きが一つついてきた。

 彼は僕とアツジを均等に二度ずつ見てから、「これからも期待しているよ」と言って踵を返した。

 どうやら僕の報告は合格点だったようだ。

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