②-3

 どっと爆発音がした。上だ。立てた機体を切り返した瞬間、直上にいた複座機がきりもみに入った。あっという間に墜落し、下を飛んでいた仲間を巻き込んで朱色の炎を吹く。

 僕も爆風に叩かれてバランスを崩した。

 キャノピ越しに仲間の引きつった顔が見えた。反射的に操縦桿を振って避ける、その先にまた機体だ。スリップで避けた。眼前の機体のキャノピに赤が弾けた。

 うっかり仲間を撃ったか? 機銃の安全装置は外したんだっけ? 確かめる余裕なんてない。ようやく機体を安定させたと思ったら、今度は上から仲間が降ってきた。

 ロールで逃げる。

 炎の尾がバンシーの翼端を掠めて、危うくまた体勢を崩すところだった。

 ここまできて、ようやく無線を入れる。途端に耳元で悲鳴とノイズが弾けた。音が割れて聴き取れない。

 編隊を崩すな、いや崩して各個応戦しろ、なにが起きた、そんな無意味な言葉のなかに唯一『敵襲』って価値のある声が混ざっていた。

 僕は浅く息を吐く。

 機体をロールさせながら首をひねって全方向を二秒で確認する。

 味方は五十機くらいに減っていた。敵は、見逃していなければたったの八機だった。随分と効率よく落してくれたものだ。

 密集隊形で群れているからこうなるんだよ、と僕は冷酷にこの隊を指揮していた隊長の無能さを思う。でも思うだけだ。罵ったり恨んだり、ましてや墜ちていった仲間に抱く同情なんて感情はない。

 そんなのは、地上に降りてからでいい。

 膝をコックピットの内側に押しつけてスロットルを一段押し込んだ。バンシーのエンジンが吠える。キャノピから射しこむ光が一瞬で腹側に消えていった。翼を立てて、空間を削ぐように降下する。

 編隊の中央まで食い込んで離脱に手間取っている一機の敵に狙いを定める。

 あんな愚鈍なパイロットを乗せなきゃならない最新機が、、かわいそうだ。双発パワータイプのロストは一撃離脱で戦うべきなんだ。こんなに混み合った空域に突っ込んでくるなんて、敵部隊の隊長もかなり頭が悪い。

 機銃の安全装置を指先だけで外した。あと数秒で射程に入る、と思ったけれど僕は咄嗟に左に急旋回する。

 ほとんど同時くらいのタイミングで仲間の機体が体当たりをかけてきた。

 ガンサイトの中央にとらえていた敵機は右に離脱している。射程外だ。

 舌打ちを一つして、次の敵を探す。

 僕を含めた何機かはすでに狙いを絞って飛んでいるのに、まだ役立たずに動揺している大勢の仲間たちが空のあちこちでニアミスや衝突をして、邪魔だった。

 そんな中を敵の八機は器用に飛びぬけて編隊の右側面、空いている空間で隊列を組み直した。

 落ち着いた迅速な行動だ。中央付近まで突っ込んでくるなんてバカだと思ったけれど、実は撹乱作戦の一部だったらしい。

 敵の編隊の左翼についていた一機がローリングした。子どもが手を振っているみたいに、翼に反射した光が円を描く。

 誘われている。自信があるってことだ。精鋭の切り込み部隊なんだから、単なる挑発ってわけじゃないだろう。

 乗るべきじゃない。でも無視したら、まだたて直せていない本隊が餌食になる。

 僕の上を掠めて仲間の一機が前に出た。応戦するつもりらしい。

「左翼は引き受けるよ」

 僕は呟く。無線は混乱していたから返事なんて期待していなかったけれど、前の仲間は一度だけ翼を振って応じてくれた。

 大きく旋回して敵の左側面に回り込む軌道をとる。敵も緩やかに広がっていく。もう一度本隊に突っ込んでくる気だろうか。

 僕は慎重に敵機との距離を測る。

 あと三秒で射程に入る、と予想したのに左の一機が撃った。と思う。機首が光ったのが見えたときには反射的にロールしていたので確かじゃない。背面で降下しつつ機速を稼ぐ。

 射程外じゃないのか? とロストのスペックを思い出そうとしたとき、すぐ頭上に影が被さってきた。敵機の腹だ。あまりにも接近が早すぎる。相対速度を考えたって、まだそんな距離じゃなかったはずだ。

 首をひねってすれ違った機体を確認しながら、旋回する。相手も旋回して戻ってくる。編隊の端から撃ってきたやつじゃなさそうだ。それにしたって、全速で僕を狙って突っ込んで来ない限り、こんな短時間で交差するか? これが精鋭部隊の判断力と速度ってことだろうか。

 敵の尾翼に、黒い羽のマークが見えた。さっきまでマブリが広げていた髪に似ている。

 そういえば、シートの上に立つなんて曲芸をやるためにはシートベルトも外さなきゃならない。奇襲をくらって機体から転げ落ちてなきゃいいけれど。

 もっとも、僕が心配しているのはパイロットを失った機体が誰かを道連れに墜ちてやしないかってことだ。

 生きているだろうか? と瞬きの間だけ、マブリを思う。

 すぐに消える。

 僕の前には空しかない。敵と味方、生と死、雲と風、そんなものが混在する不思議な場所だ。今、僕の前には黒羽マークの敵がいる。

 でも一機だけに気を取られてやるほど、僕だって初心者じゃない。右後方から二機が向かってきているのがわかった。

 そっちの二機がまだ射程外だと確認してから、少し高度をあげた。これで後ろから撃たれても避けられる。

 黒羽の旋回半径が小さくなった。僕の後ろをとる気だろう。セオリーに忠実だ。

 僕は一秒だけ左に舵を振るって、すぐに右に戻す。

 僕が旋回を解いて逃げると勘違いしてくれた黒羽は旋回を緩めていた。機速が落ちている。

 機体を倒して機首上げ姿勢で旋回する。最少半径まで絞ったから、ひどいGに呼吸が苦しくなった。

 それでも黒羽は逃がさない。後ろについた。

 黒羽が全速で離脱を図る。左右に機体を振って僕を誘うけれど、下手だ。焦りで機動が雑になっている。

 機体の性能を理解していないのは致命的だよ。加速はロストのほうが上なんだから降下しながらスロットルを焚けば、僕が狙いを定める前に射程外に逃れられたはずだ。

 僕は小刻みにラダーを切って狙いを定める。

 黒羽がまた右に振れた。でもすぐに戻ってくる。

 ガンサイトに入る一瞬前、半呼吸だけ我慢してからトリガーを引く。一秒に満たない時間だけ。

 すぐに左に旋回して離脱した。

 すでに敵の二機が機首をこちらに向けている。射程ぎりぎりか? と思うと同時に一機の機首が光った。

 スナップ気味に左に振って逃げる。視界の端に、僕が撃った黒羽が引っかかった。マークと同じ黒色の煙で螺旋を描きながら墜ちていく。

 すぐに意識からも視界からも切り離して上昇する、途中でエンジンが空ぶった。一瞬パワーが逃げる。

 ぎょっとしたけれど、動揺を悟られるわけにはいかないから、そのまま背面に倒れてストールで機首を下に向ける。

 ヘッド・アップに敵がいた。脊髄反射でトリガーを引く。

 弾筋が尾を引いた。撃ち過ぎた! でも運良く、弾筋の最後の方が敵の片方のコックピットに吸い込まれた。キャノピが赤く染まった気がしたけれど、確認する余裕はなかった。

 生き残った相手が──今まで撃たなかったほうの一機が撃った、と思うけれどわからない。一瞬だけ、弾なんか出ていないんじゃないかって短い時間だけ機首が光った。

 ビッ、と音が背筋を駆け抜けた。

 被弾したか? 反転して、降下しながらメーターをチェックする。異常はない。まだ飛べる。

 そういえば空気混合率の電子制御を切ったってアガヅマが言っていたな、と今さら思い出した。さっきのエンジン不調はそのせいだろう。でもチョークを調節しているヒマはない。

 敵が旋回して僕の後方についている。

 どこに被弾した? 操縦桿を左に振った。水の中みたいによたつきながら左に旋回しかけて、一呼吸もしないうちに切り返して右に逃げる。

 なぜかバックミラーが見当たらなかったから、首をひねって後方を確認する。

 敵はぴったりとついてくる。

 もう敵の射程に入る。バンシーの機動は鈍い。死ぬ、かな? なんて冷静に考えて、それでも悪あがきだけはやめない。

 スナップで左に切り返して、ロールで背面に入れて、急速に機首を上げる。ガンサイトの端っこに敵の翼端がかかった。

 撃つ、外れた。当たり前だ、あたるなんて思っていない。ただの威嚇と嫌がらせだ。

 でも、相手は動揺したみたいだ。弾かれたようなロールとループとで僕から距離をとる。それでも僕を見逃す気はないらしい。後方上空に占位して、機銃でじっと僕を狙う。

 僕を殺すには十分な時間、相手は僕を見下ろしていた。

 あれ? とこんなときなのに、妙に落ち着いた気持ちで相手を振り返る。僕は相手の射撃軸上にいて、機動に切れはなくて、射程だって十分なのに、相手はいつまで待っても僕を撃たない。

 それどころか、バンシーの上を飛び越えて旋回に入っている。まるでよたつく僕を見守るようだ。

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