②-2

 首をひねって地上を振り返る。すでに管制塔や司令棟、さっきまでバンシーが納まっていた格納庫だって小さくなっている。人影なんかどれも小さな点だから、アガヅマを見分けることはできなかった。

 十六機と一機は二つに分かれて楔形の編隊をつくる。全員同じ基地で寝食を共にしている面子だけど、顔と名前が一致しないやつも結構いる。

 戦闘が激しくなると仲間はどんどん入れ替わるから、どちらかといえばアツジみたいに一年近く一緒に飛んでいるほうが珍しかったりする。もう一人、ナキって男も同じくらいの付き合いだけれど、普段は別の班で飛んでいるから話したことはない。

 僕を入れて三人も生き残っているパイロットが前線にいれば、TAB‐9は優秀だって噂になるのも当然だ。そういう業界なんだ。

 森を抜けて海に出たら、遠くのほうに雲が浮かんでいるのが見えた。白くてきらきら光っている。かなり高高度にあるから、あれが天国の切れ端なのかもしれない。

 数分飛ぶと左後方から別の編隊が合流した。パワーを重視した双発タイプがざっと三十機くらいだ。

 さらに五分くらいして、前を飛ぶ部隊に追いついた。

 いつもは多くても八機編隊だから落ち着かない。上も下も、左右の間隔だって狭くて、風の気紛れ一つで接触してしまいそうな圧迫感がある。

『こちらニケ』

 いきなり無線が女性の声を発した。危うく操縦桿を動揺させそうになる。天国みたいな雲を見た直後だったこともあって、本気で彼女の亡霊かと思ったくらいだ。

 でも、そんなはずもない。落ち着いて聞けば全然違う。マブリの声だった。

『現在、わたしたちはヘルティアへの先制奇襲攻撃をかけるべく飛行中ですが』

 僕は天国の高度を仰ぐ。世界を真っ白に塗りつぶす太陽と、死体をついばむカラスみたいに漆黒の影になった仲間の機体とがあった。

『この戦争はヒノメが古から有する領土を取り戻すための正当な争いであり』

 ロールで背面に入れて海を見上げる。翼を重ねるようにして戦闘機が群れている。その隙間から、ガラスをぶちまけたみたいに光る海面が見えた。

 その中に一滴だけ、血が落ちていた。マブリのマークⅠだ。

 キャノピが光っていて中は見えなったけれど、広報雑誌にそのまま載っているような文句を喋っている彼女の顔なんて見たくもなかったから、少しほっとする。

 こんなことがマブリの仕事だっていうなら、ニケとは全然違う。

 彼女とは一度しか飛んだことがないけれど、もっと真摯に空とかパイロットとか死ってものに向き合って飛んでいた。

 しばらく背面状態でいたら視界が赤くなった。頭に血がのぼったんだ。ゆっくりとロールで順面に戻す途中で、隣を飛んでいたウンリュウの翼が揺れた。

 高度を調節してコックピットの高さをそろえると、アツジが手信号を送っているのが見えた。無線はオープンチャンネルで全機につながってしまうから、いつもの面子ならともかく、個人的なお喋りはこっそりと手信号で交わすのが礼儀だ。

『ショータイムだ』

 もちろん交戦予定空域はまだ先だし、ざっと見まわしたけれど敵の編隊なんて見えなかった。

『気が早いよ』と手信号で応じる。

『サーカスは好きか?』アツジは下方を指す。『とびきりの女神サマが見られるぞ』

 僕は機体を大きくバンクさせる。下の、やや後方にマブリがいた。僕の位置から爆弾を投下すればちょうど仕留められそうだけれど、残念ながらバンシーの装備はいつも通りの対空だった。

 マブリの機体に反射していた光が妙な揺らぎを見せた。風に煽られたのか? って思ったのは一秒に満たない時間だけだ。僕の目は正しく、彼女の愚行を捉える。

 ──キャノピが、開いた。事故じゃない。彼女の両腕がキャノピを開けるために大きく動くのが、確かに見えた。

 低空だし低速だけど、正気じゃない。

 なのに、彼女はさらにヘルメットを外した。それを腕にかけて大きく手を振っている。周りを飛ぶパイロットたちに笑顔を作りながら、彼女はシートの上に立ちあがった。長い髪が翼みたいに──その鮮血色の機体に描かれているマークみたいに、広がる。片足で操縦桿を支えているのが見えた。

 耳元で悲鳴が響いた。いや、誰かの歓声が無線を通して聞こえただけだ。

 イカレてる。

 僕は咄嗟に無線を切って機体を水平に戻す。バカなパイロットの声なんか聞きたくないし、それ以上に空って空間をバカにしているマブリを見たくなかった。

 彼女がパイロットだってこと自体に腹が立つ。

 アツジの手信号が視界の端にかかったけれど、僕は俯いて気がつかないふりをした。

 きりきりと奥歯が鳴る。顎が痺れた。怒鳴りたいのか詰りたいのか、泣き叫きたいのか、わからない。今マブリのマークⅠを見たら、どんなことをしても撃ち墜としてしまいそうだ。僕は機銃の安全装置を睨みつける。うっかり僕の意思から逃げ出した腕がそれを外してしまわないように、全身を緊張させる。

 と、コックピットが陰った。ギョッとして仰げば、直上に機影が迫っている。

 ウンリュウかと思ったけれど違う。バンシーよりも二回りも大きい。後ろに機銃担当者を乗せる複座タイプだ。あれにだけは乗りたくないと思う。

 空っていうのは孤独に飛ぶものだ。

 たとえ地上からはアリの群みたいに見える大編隊を組んでいたって、コックピットの中のパイロットたちはとても孤独に闘っている。

 躓いたときにつかまれるものがなにもない、誰にも支えてもらえない、誰の手もつかんであげられない。空を飛ぶっていうのは、もう、それだけで闘いだ。

 そんな空間でいきなり機体を寄せてくるなんてどこの礼儀知らずだ、それとも僕が近づきすぎたのか? と眉を寄せたところで、複座機がお大きくバンクした。

 操縦席側でパイロットが手を振っている。でもゴーグルとヘルメットで顔がわからない。誰だ? とパーソナルマークを確認して、ようやく理解する。

 前の基地で組んだことのある奴だった。

 首都近くからも参加者がいるのか、と驚きながら、僕は義務感だけで翼を振って応じる。

 前の基地じゃ散々「バンシーは死を告げる妖精だ」と言っていたくせに、今日は挨拶にくるのか。調子のいい奴め。

 もっとも、彼の名前を思い出せないあたり僕だって誰かを詰れるような立場じゃない。

 僕の素っ気ない対応に気分を害した様子もなく、複座機のパイロットは忙しなく手を動かして雑談を続けようとする。

 でも、僕は咄嗟に機体を立てた。周囲の機体に接触しないように注意しながら、可能な限り大きく回避運動に入る。

 理由なんかない。あるとすれば、勘だ。

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