第四話 マークⅠ
第四話 マークⅠ ①-1
〈4〉
ニケとは一度だけ飛んだことがある。物凄く昔のことみたいに思えるけれど、僕がこの基地に配属されて初めての任務だからたった一年前のことだ。
僕とニケの他にはアツジがいた。
ずっと憧れていたニケやナンバー・ワンだっていうアツジと一緒に飛べるってことに浮かれたりもしたけれど、今になって冷静に考えれば二人が新人の腕を観察しながら任務もこなせる唯一のペアだった、というだけだ。
ニケは出撃前になると極端に口数が減った。人懐っこい笑みがなりを潜めて、自分を守るみたいに両腕を固く組んで、自分の機体を睨みつけていた。まるで、誰かが機体に細工しやしないかと警戒するかのように。
逆にアツジは饒舌になるタイプだった。空を飛べることが嬉しくて仕方がないって顔で、初めて散歩に出た仔犬みたいにいろんな人に話しかけていた。
僕はというと、別段ルーティーンと呼べる行動がなかったこともあって、早々にコックピットに引きこもった。気を抜くと口元が緩んでしまいそうだったからだ。浮かれた顔を、ニケに見られたくなかった。彼女が初日に僕に対して抱いた『初心者』という印象を拭いたかった、というのもある。
三機で編隊を組んで離陸したとき、ニケだけがわずかに遅れた。それがマークⅠのクセだというのは、帰投してからアガヅマにきいた。
初期型のマークⅠと改良型のマークⅡ、そして最新機のマークⅢ。一見してバラバラの編隊だ。
規定の高度に達すると、みんなが一斉に機体をバンクに入れた。遙か眼下に広がる海面を見渡す。仄かに水平線の湾曲が感じられた。
ヘルティア艦隊の影なんかひとつもない。いつもなら退屈な任務だ。でも今日は違う。
三機種が空で、しかも暇を持て余した状態で揃うなんて、滅多にあることじゃない。誰からともなくバレルロールやフォーポイントロールなんかを披露して、互いの機体性能を自慢しはじめた。まるでじゃれ合う仔猫だ。
マニュアルに書いてあったスペックで考えれば、一番古いマークⅠなんて僕のマークⅢの足元にも及ばないはずだった。でも、ニケはマークⅡどころか、マークⅢすら墜とせるんじゃないか? って思えるくらい鋭く、機敏な機動を見せる。
もっとも、ニケやアガヅマに言わせれば、これは低速での機動性を誇るマークⅠのクセに一つにすぎないらしい。
さあ還ろう、という段階になってニケがそれに気づいた。
水面に影を落とすほどの低空に、四機編隊がいた。雨を運ぶ雲に似た色の、小さなエンジンを二つ抱いた、敵機だ。
正直に言えば、僕はこのとき初めて、敵を見下ろした。これまでは首都の近くに配属されていたこともあり、敵機とは空襲警報の鳴り響く地上から仰ぎ見、迎撃するものだった。あるいはブラウン管テレビの向こう、燃料が焼ける匂いやエンジンの振動とは無縁の世界に浮かんでいる白黒の物体だった。
それが今、僕の眼下に、いる。敵はまだ、僕らに気づいていない。
喉の奥で心臓が脈打った。唾と一緒に心拍を腹まで落とす。深い呼吸を繰り返す。
先頭を飛んでいたアツジが機体を倒して僕の隣に並んだ。『燃料は?』と手信号で訊いてくる。
遊んでいたから心配してくれたらしい。燃料配分ができないくらい初心者だと思われているのは心外だったけれど、メーターを確認してから親指を立てる。
なら行こう、とアツジは立てた親指を下に向けた。
興奮したように翼端を震わせながらウンリュウがスライドする。気流を強引に横切れるパワーと軽やかさを併せ持つマークⅡらしい降下のしかただ。
同じ単発でもバンシーなら、もっと急激な降下ができるだろう。
続いてニケが機体を立てた。
その瞬間、空の濃度が変わった。
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