④-2

 別にこの仕事がいやってわけじゃない。飛行機は純粋に好きだし、空に上がるのは楽しい。でも、だからって遊んでいるわけじゃない。僕らは命をかけて戦っているんだ。それを、上層部のパワーゲームの駒だなんて思われたくはない。

 僕はため息ついでに挙手する。キヨミズは指先を閃かせて、僕の発言を許可した。

「交戦は禁止ですか?」

「任務は、敵部隊の観察よ。でも、そうね、狙われたら戦うしかないでしょう。死人からは報告を聴けないもの」

 キヨミズは唇を歪めた。眉が下がっていたから自分の冗談に満足したってわけじゃないだろう。それだけが救いだ。

 彼女は短い息を漏らすと表情を引き締めた。解けた髪に違和感が拭えないけれど、間違いなく司令官の顔で口を開く。

「ブリーフィング開始時間はいつも通り掲示板を見てちょうだい。この任務についての他言は無用、もちろん整備士にも言う必要はありません。質問は?」

 僕らは素早く立ちあがって敬礼する。

「ありません」とアツジ。

「一つだけ」僕は再び手を挙げる。「訊いてもいいですか?」

 キヨミズは黙って頷いた。

「マブリも僕らと同じ任務ですか?」

「違う」

 即答だった。さっきまであんなに時間を無駄にしていた奴と同じ人間とは思えない速度だ。最初からこのテンポで話せばいいのに。

「じゃあ攻撃部隊に?」

「それは二つ目の質問?」

「いいえ」

「退室を許可します」

 これ以上訊くなってことだ。僕らは敬礼して踵を返す、寸前で「タカナシ」とキヨミズの声に阻まれた。

「彼女が出撃することを誰から聞いたの?」

 唇を開く一秒以下の時間でごまかしかたを考えて、実行する。

「他の基地との合同出撃と聞いたので、てっきり彼女も出るのかと。違うんですか?」

 キヨミズは獲物を探すカマキリみたいに大きく眼を動かして僕を睨んだ。嘘の気配をさがしているようだ。

 僕は眼を逸らさなかった。睨まないように注意してキヨミズの視線を受け止める。

 たっぷり五秒くらい見つめ合ってから、ようやく彼女が目を伏せた。

「聞かなかったことにしてちょうだい」

 なにを、とは言われなかったけれど、僕は「わかりました」と頷く。もともと本気でマブリの任務を知りたかったわけじゃない。

 ただ、本当に彼女が飛ぶなら心の準備をしておきたいと思っただけだ。マークⅠのエンジン音に、僕が動揺してしまわないように。

 アツジとそろって敬礼して司令室を出た。

 階段を下りて、どちらからともなく、人気のある談話室を避けるように外に出た。灰色の雲が低い位置にあって、正直寒い。空調の利いたコックピットに逃げ込みたい気分だったけれど、アツジが煙草を咥えて壁に凭れてしまったから、僕も付き合うことにする。

 僕のライターで二人一緒に火をつけて紫煙を吐く。その延長でアツジが笑った。

「どうよ、あれ」

「どうって?」

「観察任務だってよ」

 ああ、と僕も煙を吐く延長で応じる。

「たぶん、君と同じことを考えてるよ」

「くそったれ?」

「まあ、否定はしないけど。もっと根本的なほう」

 アツジが舌打ちをする。

「今さらだよなぁ」

「今さら、だね」

 はあ、と二人で灰色の雲に白い煙を吹きかけた。

「俺、マークⅢに換えたばっかなんだよな。勝てると思うか?」

 誰に、なんて口にはしない。彼も僕も、同じ相手を想定している。

「交戦は極力避ける任務だよ」

「冗談だろ?」

「どうだろう。そのときになってみないとわからないよ」僕はまだ長い煙草を地面に落とす。「でも、アガヅマは喜ぶと思う」

 吸殻をスニーカーの踵で踏みつけながら、肺から最後の煙を追い出した。

 アツジの視線を頬に感じたけれど、僕は黙っていた。喉の奥に絡みついたニコチンだかタールだかが苦い。今まで墜ちていった仲間たちの恨み節だろう。キヨミズの髪みたいなもので、生き残っているパイロットたちは、そういうものに絡みつかれていないと不安なんだ。

「バンシー」アツジの囁き声がした。「アガヅマには、言うなよ」

「言わないよ」僕は吐息で笑う。「僕だって、命は惜しい」

「バンシー」

 肩をつかまれた。驚いて顔をあげたら、アツジの怖い顔があった。

「なに?」

「死ぬなよ」

「死人は報告できないからね」

「バンシー、茶化すな」

 彼があまりにも真剣だったから思わず「ごめん」と謝る。唇の端に力を入れて、僕はアツジの目を見つめた。

「死なないよ。少なくとも、手を抜いて死んだりはしない」

 それは相手のパイロットに対して失礼だから、とは言わなかった。僕自身が過剰な期待を抱かないように、自制するためだ。

 まだ、敵部隊は海の向こうだ。

 アツジは指先に力を入れて、僕を睨んだ。すぐに僕を放す。彼は自分の唇から煙草をつまんで、指先で弾いて捨てた。

 僕はその軌跡を目で追う。

 細い煙を引きながら灰を撒いて、白いコンクリートの上で跳ねて、落ちて、また小さく跳ねる。炎の名残が風に抗って僕のスニーカーの先まで飛んできた。

 アツジの大きなスニーカーが吸殻と灰と炎を一度に踏みつぶす。

「大丈夫だよ」と口の中で呟く。「戦える」

 唇の端が引きつったのを自覚した。たぶん、僕は笑ったんだろう。

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