④-1

 それから二日して、僕とアツジだけが司令に呼び出された。

 相変わらずブラインドを下ろした湿っぽい司令室にそろった面子を見て、僕は逃げ出したい衝動にかられる。

 アツジとは同室だし、キヨミズから直接二人きりで小言を貰うシチュエーションにも慣れている。けれど、この三人で同じ空間を共有するのはたまらなく気まずい。

 せめてもう一人、この際マブリでもいいから居てくれれば、なんて身勝手なことを願いながら敬礼する。

 珍しく、キヨミズは髪を解いていた。長い髪が首や肩に絡まって息苦しそうだ。墜ちていった仲間たちの怨念が見えれば、あんな感じかもしれない。

「座って」と、アツジを顔を見合わせた。てっきり立ち話で済むものだと思い込んでいた。作戦の説明のために呼ばれたわけじゃなさそうだ。互いに諦めた表情で応接セットに座る。

 ソファーのふわふわとした感覚で、空に浮かんでいるような気分になる。でも、キャノピもない世界で味わう浮遊感っていうのは苦手だ。空の上で風に散らされる雲たちも、こんな不安を抱いているのだろうか。僕たちは皮膚とフライトスーツ、それに強固な機体で人の形を守っている。

 だからこそ、支えもない空を飛んでいられるんだ。

 キヨミズはため息を吐いた。そのまま沈黙が落ちる。

 落ち着かないソファーの上で、僕らは辛抱強く待つ。

 アツジの両膝が少し伸びた。ラダーペタルの位置で止まる。スロットルを押し込む左手と操縦桿を握る手とが、膝の上で握られている。ときおり機銃を撃つ親指が引き攣っていた。

 彼も、ソファーの上で空の上を夢想しているのだろう。

 空で一秒も呆けていたら天国の門が開く。

「明日」ようやくキヨミズが囁いた。掠れ声でとても聴き取りにくい。「他の基地との合同編隊で出撃します」

 出撃するのは僕たちであってキヨミズは地上で偉そうに座っているだけど、僕らは素直に「了解」と顎を引いた。それだけで済む話ならわざわざ座らせないはずだから、二人して続く言葉を待つ。

 また無意味な沈黙が三秒。

 アツジの左手がスロットルを握る形に開いていた。僕だって気がつけば、両足がラダーペタルの位置にある。

 キヨミズは艶やかなデスクの表面に映った自分を睨んでため息を吐く。

「あなたたちは戦わなくていい」

 聞き間違えたのかと思った。二人して「は?」と間抜けな声を上げる。

「すみません、もう一度言ってもらえますか?」

「あなたたちは戦わなくていい。編隊から離れた位置で、できれば戦闘に巻き込まれない高度から、敵を観察してほしい」

「それは命令、ですか?」アツジの、怒鳴るのを耐えているような、低い声だ。「わざわざ俺たちを呼び出しておいて、下す命令がソレなんですか」

「ええ、そう。命令です」

「理由は?」

「あなたたちが知る必要はない」

「仲間を見捨てろ、と?」

「交戦よりも重要な任務があるのよ。理解してちょうだい」

 キヨミズは投げやりに手首を翻した。虫を追い払う動作で、彼女自身の疲れや苛立ちを追いやったのかもしれない。

 そしてまた、ため息。

「最近、こちらが圧されているのは知っているわね?」

 僕らは黙って頷く。

 ここ二、三ヶ月で味方の被撃墜率は跳ねあがった。もっとも広報雑誌もラジオも味方の被害はほとんど伝えない。損害状況はパイロット同士の噂話とか、アガヅマたち整備士のネットワークからくるものだ。でも、軍からの情報よりはよほど信頼できるし、正確だろう。

「敵が高性能な機体の開発に成功した、というのもあるけれど」キヨミズが上目に僕らを見る。「優秀なパイロットだけで編成された精鋭部隊が大きな問題になっている。全機のパーソナルマークが黒の、鳥のような形で統一されているらしいわ。機種はロスト。あなたたちの任務は、その隊の飛行を観察し報告することよ」

「観察したって」アツジは短く息を吐いた。「機体性能の差はどうしようもない。パイロットの腕もだ。どんな報告をすりゃ満足なんだ」

「パイロットによってクセが出るでしょう? それを見てパイロットを……そう、脅威になるパイロットが何人くらいいるか調べたいのよ」

「精鋭部隊の何人が本物の脅威かって?」

「そうよ。全員がエースの部隊なんてあり得ないわ。優秀なリーダーがいるのよ、たぶんね」

「どうして」僕の唇が勝手に話していた。「僕らなんですか?」

 キヨミズは目を細めた。デスクに肘をついて、僕らとの距離を少しだけ縮める。

「あなたたちでは、なにか問題がある?」

「うぬぼれているわけじゃないけど、僕とアツジの撃墜率は高い」

「そうね」

「なのに観察にまわすんですか?」

「そうよ」

「なぜですか?」

「作戦です」あらかじめ用意されていた答えだろう、と思うくらいの即答だ。「あなたたちに作戦の根拠を説明する気も、必要も、ないわ。ただ飛んで、観察して、見つけてくれればいいの」

「誰を?」

 キヨミズが息を吸った。でも、音は聞こえてこない。

 それだけで十分だった。彼女は答えられない。彼女より上の、あるいは彼女とは別の部署からの、命令だからだ。

 たとえば、情報局とか。

 僕は大きく息を吐いて、俯く。ラダーペタルを踏むはずの僕のつま先が不安そうに床を叩いていた。

「その部隊が」とアツジが問う。「出てこなかったら?」

「出てくるわ」

「なるほど」アツジは頷く。

 僕も顎を引いた。つまり敵の動向をどこからか手に入れているってことだ。たぶん敵も、僕らの動きの何割かを把握しているんだろう。ひょっとしたらこの戦争の結果だって、本当は僕らの知らないところで決められているのかもしれない。

 なんだか憂鬱になってきた。

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