③-1

 それから一週間くらいは平和に過ぎた。

 マブリのマークⅠは新人整備士が担当することになったけれど、最終チェックや必要なパーツの調達と加工はアガヅマがしているようだ。彼は疲れた顔をすることが多くなった。それでも『本業はマークⅢの整備だ』って意地みたいに、マブリがくる前よりも入念にマークⅢの整備をしてくれている。明らかに過労だろう。

 あれから僕は三回飛んだけれど、マブリは一度も飛んでいないようだ。マークⅠはいつだって格納庫に居座っていた。

 同じように、アガヅマも格納庫か工作室に引きこもっている。足りないパーツを自分で削り出しているらしい。なんだかんだ、彼は飛行機を整備することに対しては真摯なのだ。

 対照的に、マブリのほうは自由に過ごしているようだ。基地の周りのランニングコースや娯楽室のトレーニングマシーンを使っているのを見るほかは、たいてい食堂の隅で雑誌や新聞を読んでいた。飛べないことに不満を抱いている様子もない。

 男性パイロットを名前で呼ばない、という彼女に課せられた規則のせいか、仲間のパイロットたちは彼女を特別扱いしないことだった。それどころか、面倒はご免だとばかりに避けている。そのかわり整備士たちが、マークⅠのことを尋ねるという名目で、よく彼女の周囲に集っていた。

 今日もそうだ。

 僕は食堂の出口付近の席で、早めの夕食にありついていた。視界の端では、マブリが整備士と軍の広報雑誌を挟んでなにやら話し込んでいる。

 なるべくそちらを見ないように注意していたはずなのに、チキンソテーを切り分けている杜仲でうっかり、マブリと視線が合ってしまった。露骨に眼を逸らすのも失礼だから、ゆっくりと瞬きをしてから、今度こそしっかりと手元のチキンソテーだけを見る。

 そんな僕の気遣いをどう勘違いしたのか、彼女は通りかかった別の整備士を呼び止める。広報雑誌と話し相手とを呼び止めた整備士に押しつけて、わざわざ僕の前まできた。そのまま一言の断りもなく席に着く。

「知ってる?」

 なにを? と訊くのも、知らない、って答えるのも癪だったから、僕は黙ってチキンソテーを咀嚼する。

「二、三日中に」マブリは体を折って囁いた。「大規模出撃があるの」

 肉の破片を危うく妙な方向に送りそうになって少しむせた。「は?」と間抜けな声を上げてから、必死で口の中を空にする。少し大きめの肉片をコーヒーで流し込む。

「え、冗談?」

「どうして?」

「召集されてない」

「これからされるわ」マブリは大きく仰け反り、体を伸ばした。「ようやく飛べる」

 ようやく息ができる、という、パイロットらしい顔だ。

 でも、僕は声を潜める。マブリが遠ざかった分、テーブルに身を乗り出す。

「それ、どこから聞いたの?」

「それってどれ?」と彼女は首を傾げた。なんの話題かわかっていないらしい。

「大規模出撃の話だよ。いつ、誰から聞いたの?」

 直前まで出撃予定が知らされないことは、よくある。でも、戦闘飛行部隊である僕が知らない作戦を、配属されてからろくに飛んでいないマブリが知っているとは思えない。

 考えられる可能性としては、彼女が偽情報をつかまされ、偽情報を拡散させられ、スパイに仕立て上げられているってことだ。

 でも、彼女は僕の危惧を理解出来なかったらしい。「誰って」と不本意そうに眉を寄せた。

「わたしに作戦飛行の命令がきたんだから、大規模出撃ってことでしょう。なぁに、わたしが出撃予定を知ってるのが、そんなにおかしい?」

「君が飛ぶと大規模作戦なの?」

「だって、あの人も……」マブリは数秒だけ視線を泳がせた。「えっと、オノガミ? わたしの前任者もそうだったでしょ?」

「どうしてニケが出てくるの? 彼女は普通に飛んでたよ。いつもの警戒飛行から緊急発進まで、なんでもこなしてた」

「それは普通じゃないのよ。それは『ニケ』の仕事じゃないんだから」

 まるで、ニケのパイロットとしての素質や腕はニケという愛称の評価には値しない、という口振りだった。

 彼女を尊敬していた僕としては、いや、彼女に憧れているパイロット全員が、聞き逃せる発言じゃない。でも、『ニケ』という名前が負う本来の仕事を知らない僕には、どう反論すればいいのかわからない。

ニケ彼女を知らないくせに」と言いたいのに、それは僕自身にも突き刺さる言葉だった。その事実が、僕の苛立ちを増幅させる。

 結局、僕は舌打ちだけをして、立ち上がる。夕食はまだ半分くらい残っていたけれど、構わず食器の返却口にトレイごと戻す。

「バンシー?」

「タカナシ」

 怒ったの? と無邪気に問うマブリの声を訂正で叩き落として、僕は食堂を出る。

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