②

 三十分ほど煙草で時間を潰していると、どこからともなく低いエンジン音が聞こえてきた。基地のゲートを、三輪トラックが四台も連なってくぐってくるところだ。

 半端な長さの煙草を吸いきってから格納庫の裏にある駐車場に向かうと、ちょうど三輪トラックから人が降りくるところに遭遇した。四台ともあまりサスペンションの具合が良くなさそうだ。そんな車体から五人も吐き出されてきて、正直僕はうんざりした。

 こんなに大規模な移動は飛行部隊の移動でだって滅多に見られない。基地の地上要員が丸ごと食堂に出掛けていたらしい。平和ぼけが過ぎる。

 僕は本当に左遷されたのかもしれない、と思いつつ、踵を返した。

 基地司令があの小さな箱に押し込められて帰って来るとは思えなかったから、司令棟に向かう。たいていの上官は僕らよりも数分早く行動する。ただしハズレだった場合は数分待たされる。

 今回の上司はアタリだったみたいだ。司令室の扉はすぐに開いた。

 でも部屋はひどくハズレだ。滑走路を見下ろし、空を仰げる絶好の位置にあるのに薄暗い。無駄に洒落た窓に全てにブラインドが降りているせいだ。キャビネットや壁に並べられた勲章と写真とが、敵のキャノピみたいに不穏な輝きを帯びて僕を見つめている。

 それらと目を合わさないように素早く敬礼して、「タカナシです」と事務的に名乗る。

 司令は、驚いたことに女性だった。ニケが言っていた、美人って噂だけど信じちゃいけない司令官っていうのは彼女のことだろうか、と変に勘ぐってしまう。

 僕から見ればかなり年配者だ。深いしわが口元に刻まれていて、萎びた唇が不機嫌そうに引き結ばれていた。

 彼女は冷酷に感情を切り捨てる大人の視線で、でも飛行機乗りに多い子どもみたいに好奇心を隠さない瞳で、上目遣いに僕を見る。

「キヨミズです」

 雨の朝みたいな湿度を持った視線が僕の顔を舐めまわした。

 内心でニケに頷く。できれば気に入られたくはない相手だ。でも基地司令に嫌われるとロクなことがない。これは経験論。

 だから、僕は必死に無表情を装った。できるだけ賢くて冷徹に見えるように。第一印象さえなんとかなれば、そのあとだってなんとかなるものだ。

 キヨミズはゆっくりと頷いて、デスクにあった書類を僕に差し出した。

 飛行プランだ。三機編隊だったから戦闘の予定はないらしい。警戒飛行任務だろう。ちょっとしたテストってところか。

「明日の昼、飛べるかしら?」

「そのために着任しました」応じてから、少し考える。「できれば整備をしてもらったほうが安心です」

 彼女は口元を弛める。かなり年配、という第一印象が薄れる、柔らかい表情だった。既視感のある悪戯っぽさが目尻に浮かんでいる。

「パイロットに最適な環境を提供するのが私の仕事よ。マークⅢを扱える整備士は一人だけど、十分に優秀なので心配しないで」

 僕は黙って頷く。

 彼女はすぐに笑いを納めて老いた顔に戻ると、簡単に基地施設の説明をしてくれた。

 とても単調で眠たくなる抑揚だった。僕はこっそりとキャビネットに並べられた写真を観察する。

 全部に、彼女が写っていた。軍服を着たビジネスの写真から、ふわふわとしたスカートを履いたプライベートまで揃っている。その中で僕が最も辟易したのは、彼女が飛行機の前で笑っている写真だった。

 もちろん戦闘機じゃない。金持ちが遊ぶための双翼で複座の機体だ。

「戦果を期待してるわ」

 彼女の声に条件反射で敬礼して、踵を返す。

 でも、扉に辿り着く前にノックの音がした。すぐに男が入ってくる。ナンバー・ワンの彼だった。もうフライトスーツは着ていない。白い開襟シャツとスラックスという制服姿だ。

「報告を」とキヨミズがねっとりと言った。

 僕は目礼して退室しようとしたけれど、ナンバー・ワンの彼が「彼が」と僕を引き留めた。

「三機相手に粘ってくれたおかげで間に合いました。一機は彼が、残りは自分が墜としました」

 静かな口調だった。ナンバー・ワンに相応しい、と僕は判断する。でも、少し誇張してる。僕は一機だって墜としていない。主翼に当てただけだ。

 訂正しようかと思ったけど、やめた。新人はおとなしく先輩に従うものだ。

 これも経験論。

 キヨミズは少し眼を見開いて、それを恥じるみたいに瞼を伏せた。

「機種は?」

「高速タイプのE型です。おそらく偵察任務でしょう」

「推測は要らない」キヨミズは司令官らしく言い切り、すぐに相好を崩した。「ご苦労さま。退室していいわ、二人とも」

 僕らは揃って敬礼し、濁った空気が停滞した廊下に逃げ出す。

 やっと息ができた。司令室は高高度で空調が故障したみたいに息苦しさが首を絞めてくる。キヨミズの視線が原因かもしれない。

 階段を下りながら互いに軽い自己紹介をした。

 彼はアツジと名乗った。名前みたいだけど名字なんだ、と彼は子供っぽく破顔する。体格はいいけれど、僕と同じくらいの年齢なのかもしれない。

「ナンバー・ワンだって聞いたけど」

「ニケか」彼はなぜか舌打ちだ。「嫌味な女だ。自分の方が上だと思ってやがる」

 僕はそれには答えなかった。どちらの腕も知らないからだ。ニケの噂は聞いているけれど、自分の目で確かめたわけじゃない。

 話題の転換を狙って、格納庫のある方へと顔を向ける。

「君の機体に描かれてるのはなに?」

「ウンリュウ、雲を呼ぶ竜だ。ドラゴン」

「ああ」頷きながら、そうは見えないな、と思う。

「そっちは……魔女?」

「バンシー」

 機体のマークは僕が描いたわけじゃないけれど、理解してくれる相手がいないというのは少し寂しい。

「ああ」アツジは唇を歪めた。「じゃあ、後で胸にキスしとくよ。願い事は三つまで、だったか?」

「知ってるの?」

「俺のじいさんがアレに連れてかれたんだ」

「バンシーは死を告げて、泣き叫ぶだけの妖精だよ。連れていくのは死神の仕事だ」

「キスして、連れてかないでくれって頼めば死なないはずだろう?」

 今まで、そういうことを考えたことがなかったから素直に驚いた。柔軟な発想だ。

 彼はエントランスに下りると煙草を取り出す。ライターの石を擦る軽い音とオイルの甘い匂いがした。逝き場を見失った誰かの魂みたいに、白い煙が天井で渦を巻く。

「まあ、死なない人生なんて、それはそれでツマラナイけどな」

 頷いた。パイロットなんて職に就く人間はみんな、たぶん本気でそう考えている。すがりつくもののない空で殺し合いをする人間っていうのは、少なからず死に惹かれているんだ。

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