③
わざわざ禁煙の格納庫を抜けずに遠回りするルートをとったのに、ポケットに煙草が見当たらなくて舌打ちする。
司令への報告は本当ならリーダーだったアツジの仕事だけど、尾翼を吹き飛ばされた彼は整備士から報告を受けるまで機体のそばを離れないだろうから、僕が代わりに行く。
仲間が減ったときの報告は少し憂鬱だ。
司令部の入り口は格納庫の裏にあって、整備士たちが乗りつけているバイクや車の置いてある駐車場まで見える。もちろん僕のクリーム色のバイクだって見える、と思ったけれど見当たらなかった。
ひょっとしたらアガヅマがまた勝手にいじっているのかもしれない。まあ、彼の腕は信用している。なにより廃品工場でバラバラ死体だったバイクを生き返らせた本人なんだから気にしない。
妙なマークさえ描き加えなきゃ、ってただし書きがつくけれど。
司令棟に入った途端、あまりにも部屋が暗くて空の残像がフラッシュした。たぶん僕の眼があまりにも太陽に近い場所にいたからだ。瞼を閉じて五秒待つ。
ようやく見えた。
薄暗い階段と廊下を通って司令室の扉をノックした。司令官のネームプレートは金字で『清水』とだけ掘ってあって、フルネームを期待していた長いプレートはすこし寂しそうだ。
三秒も待たされて、ようやく入室を許可する声がした。
一歩入って敬礼しながら、僕は内心で舌打ちする。どうやら最低のタイミングで来てしまったらしい。
部屋の奥にある白くて大きいデスクに長い髪をひっ詰めた女性が座っている。まあ、彼女がこの部屋のボスで僕の上官でこの基地の司令官だから、それはいい。
僕は敬礼を解きながらデスクの前の応接セットを盗み見た。
ガラスのテーブルに見慣れない紅茶のカップがある。上品にソーサーの上に納まっているやつだ。ソファーに座っていたのは、二人の男だった。暗緑色の厳つい制服とその胸とか肩で光る金の星が、僕にとっては少し懐かしい。首都に配属されている部隊の印だ。
「出直しましょうか?」
「必要ない、座りたまえ」
僕の気遣いに答えたのは、なぜかソファーの男だった。
「出直しましょうか?」
同じ質問をする。僕が問いかけたのは清水に対してだし、僕の上官だって彼女だ。
清水は「座って」と目で男たちの向かいの席を示した。両肘をデスクに乗せて両手を口の前で組んでいた。なんだか疲れているみたいだ。
僕はソファーに座って上目遣いに男たちを観察する。男たちも顎を上げて僕を観察していた。
胸元の階級章は清水よりも上だった。滅多に前線なんかには来ない連中のはずなのに、二人もそろうなんて不気味だ。所属を示すバッジは見当たらない。
本当なら僕なんかが直接話せる相手じゃない、ってことだけはわかったけれど、どうして僕が引きとめられているのかはわからなかった。
まだ昼過ぎだっていうのに窓にはブラインドが垂れていて薄暗い。わざわざ空の光を遮ってまで仕事を与えられた電灯が、不満そうに紅茶の液面を滑らせていた。
どうして地上で暮らす奴はみんな、光が嫌いなんだろう?
「オノガミ リツについて、覚えていることがあったら話してほしい」
男に言われて、僕は固まった。
これが空戦だったら確実に墜とされてたな、と頭の隅は冷静に考えたけれど、やっぱりなにも言えずに瞠目した。
男は苛立ったみたいに眉を寄せて、「オノガミ、リツ、だ」と一音ずつ区切って発音し直した。
そんな方向に気を遣われても仕方がない。僕はゆっくりと、所属不明機でも発見したような気分で口を開く。
「誰です?」
今度は男たちが瞠目した。まさかそんな言葉が返ってくるとは思っていなかったんだろう、彼らは顔を見合わせて、紅茶に視線を逃がして、清水に縋った。
「ニケのことよ」
清水の囁き声に、動揺した。そっと唾を飲み込んで呼吸のリズムを調節する。動揺したことを誰にも知られたくなかった。
「ああ」僕はため息で応じる。「ニケ、ですか」
「まさか、名前を知らなかったのか?」
男の声が尖っていたけれど、僕は聞いていなかった。半年って時間に埋没させたはずの亡霊が這い上がってくる気配に、奥歯を噛みしめる。
彼女のことなら、覚えている。いや、思い出せる。めまいがするくらい鮮明に。
「なにか、彼女のことで覚えていることはあるかな?」
男の声で我に返った。
危うく過去に意識を向けるところだった。今日は本当にどうかしている。仲間じゃない奴を前にして呆けるなんて、いつ撃ち落とされたって文句は言えない。
きっとすでに一戦してきたからだ、って僕自身に言い訳する。
細く息を吐いて、体の奥で燻っている疲れの破片と一緒に囁いた。
「どうして僕なんです?」
男の一人が首を傾げた。
「どうして僕に訊くんですか? 彼女とは仲間だったけど、親しかったわけじゃない」
「最後に会ったのは、君だと聴いている」
はっ、と鼻で笑い飛ばしてしまいたい気持ちを、なんとか呑み込んだ。
「彼女の、整備士だと思いますよ」
さすがに男の頬が引きつった。さっきから随分と失礼な言葉遣いをしているから、そろそろ我慢も限界に来たのかもしれない。だから僕は、一つだけ有益な言葉を吐いてやる。
「彼女が最後に組んでいたのは、確かヒツマって奴です」
「彼は死んだ」
「ああ」今度こそ鼻で笑った。「銃殺刑ですか?」
「墜ちたんだ」男の片方が眉を寄せる。「君は、仲間の死を笑うのか」
「敵前に僚機を残して逃げ帰った奴が、仲間ですか?」
「報告書では相手は六機だったとされている。二機で立ち向かった彼女の判断が」
「今さら彼女を断罪するために来たんですか? 半年も前なのに」
男が答えようと息を吸った瞬間、ノックの音がした。
清水が二呼吸も迷ってから入室許可を出す。迎撃みたいな素早さで扉が開いた。
「報告に」
来ました、って言葉を喉に詰めて、制服姿の男が立っていた。ウンリュウのパイロットだ。生真面目な奴だから、自分の口で報告をしたかったんだろう。
頬を一度痙攣させた彼は、清水と僕と制服の男たちを順番に眺めて「出直します」と踵を返す。
「アツジ」
今回は清水が彼を引きとめた。彼は背中を向けたまま素早く立ち止まる。
でも、口を開いたのはソファーの男だった。
「君、君はオノガミと飛んだことがあったか?」
アツジは半眼で、体を廊下に向けたまま首だけで振り返った。きっちり三秒、瞬きを一度しただけで彼は黙っていた。射程ギリギリを飛ぶ不明機が敵かどうかを見極める眼だ。
「オノガミ リツ、ここではニケと呼ばれていたようだが」
ああ、とアツジが吐き捨てた。彼は顔を廊下に戻す。
「アイツのことか。空だけで生きてるような、嫌な女。墜ちてくれてせいせいした」
重たい音を立てて扉が閉まった。地上の狭い部屋に取り残された僕らは、湿って重たくなった空気に喘ぐ。
一秒だけ礼儀知らずの部下を持った清水に同情したけれど、僕も過去の幻影から逃げたくて立ち上がる。
男たちにも清水にも睨まれたけれど、僕はその場で敬礼してアツジの叩きつけた扉に手をかけた。
「タカナシ!」ヒステリーを起こす寸前の清水の声だ。「まだ退室許可は出していない」
僕はゆっくりと振り返った。地上でしかできない動きだ。踵を引いてつま先で反転する。
「敵を墜としてきた僕らに、昔墜ちていった仲間を思い出させるんですか? それが上官のすることですか?」清水の顔がこわばったけれど、僕は僕を守るために言葉を続ける。「覚えてることなんて、なにもないですよ。忘れてたんだ。学校で習った通りに、墜ちた奴のことは忘れろって。だから忘れないうちにこうして報告に来るんですよ。今日は七機で上がって三機が墜ちた、二機に損傷があります。相手を四機落としたけど、ロストは四機とも全部生き残ってた。以上、報告は終わりです」
叩きつけるように言って、僕にしては珍しいことだけど、一方的に敬礼を押しつけて逃げ出した。
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