②
去っていく敵の編隊を見送って、ようやくそれが全部ロストと呼ばれている敵の最新機だってことに気がついた。エンジンを二つも積んだパワータイプのくせに、機動力もそこそこある。たぶん、アレがもう一機多かったら味方は全滅していただろう。
なにしろ、こっちは僕以外みんな機動重視の単発機、マークⅡだ。
少し低い位置でふらふらと飛んでいた仲間の機体に寄り添う。尾翼に描かれたパーソナルマークはどう見てもブタだけど、パイロットに言わせるとイノシシらしい。
コックピットで手を振っているパイロットが見えた。
「アレス、被害は?」
『ああ、操縦桿が重いくらいだ。問題ない』
主翼の先っぽが吹き飛んでいるけれど、基地までは帰れそうだ。きっと機体の損傷よりも気流の乱れで動揺しているんだろう。
『バンシー』ウンリュウからの無線が僕を呼んだ。『どこだ?』
「うーん」と唸りながら頭上を見た。もう誰もいない。地上の天気も墜落した飛行機の煙も関係ないって顔で晴れ渡っている青空だけ。ロールして背面に入れる。地表に近いほうを見上げた。
雲の間から、お互いをかばい合うみたいな編隊を組んでいる二機の尻尾が見えた。一機の尾翼が変な方向にねじれて揺れている。
「ああ、君の八時上方ってところ。高度2500。アレスと二機で飛んでる」
『損傷は?』
「僕はないけど」
『軽微』とアレスのパイロット。『燃料が基地までもてば問題なく着陸できる。そっちはどうだ?』
『シルフは無傷だが』ウンリュウからの通信が少し乱れた。『俺が被弾した。C‐4でおりる』
了解、って応じながら僕は機体を戻した。C‐4っていうのは胴体着陸を視野に入れた緊急着陸のことだ。
まあ、彼の腕なら問題なくやれるはずだ。なにしろ彼は僕たちの基地のナンバー・ワンだから。
問題は燃料だ、きっとみんなぎりぎりだろう。
僕は基地に無線をつないで第二滑走路を空けてもらう。普段は緊急発進用の機体が陣取っているけれど、どれもやる気満々で暖機しているようなやつだから僕らが帰る時分には使えるはずだ。
雲間から切り立った断崖に沿って配置された味方の対空砲が見えた。その奥に広がる森の中からもこちらを見上げる対空砲とレーダーが潜んでいる。もう少し高度を下げれば見えるはずだけど、遊んでいる余裕はない。
森のはるか上を飛んで、雲の波を飛行機の腹でこするみたいに高度を下げる。
しばらく飛ぶと唐突に森が断ち切られていて、そこから先は白い砂混じりの大地だ。基地に続く一本道が、干からびた死体の背骨みたいに伸びていた。
いいタイミングで第二滑走路の使用許可がきた。
基地の上空でウンリュウたちが旋回降下をしているのが見える。第一滑走路に降りる針路だ。
僕はアレスの後方上部につく。
「先に降りて」
『俺がクラッシュしたら降りる場所がなくなるぞ』
「そのときは道路にでも降りるよ」
了解、と応じたパイロットは笑っていたけれど、僕は半分くらい本気だった。
バンクに入れて彼が降下するのを見下ろす。
ふらついているから横風があるんだろう。どうやら今日の大気は僕らを嫌っているようだ。
案外、手負いの仲間に滑走路を譲るふりをして風向きを観察している卑怯な僕への牽制かもしれない。
なんとか無事に大地をつかんだ仲間を確認して水平姿勢に戻ろうとしたとき、
視力には自信があるけれど地上じゃあまり見かけない色だったから、もう一度バンクに入れて確認する。
やっぱり見間違いなんかじゃない。コックピットに弾が当たったときにキャノピを染める色だ。
着陸コースに乗るためにゆるく旋回降下をしながら、型を観察する。
双発のマークⅠだ。
あまりにも懐かしいタイプだったから呼吸が苦しくなった。フライトスーツの首元を指先で引っ張る。
現役で飛んでいるやつなんて、もうないと思っていた。飛行機乗りの、いや空にかかわる誰もが、半年前の機体が最後だと思っていたはずだ。
でも、と僕は水平姿勢に戻してソレを死角に追いやりながら眉を寄せる。
どうして赤いんだ?
空で戦う僕らの敵は戦闘機だけじゃない。遠距離から僕らを見つけて部隊を差し向ける偵察機とか、地上から冗談みたいな射程で狙ってくる対空砲とか、とにかくいろんな人の眼が敵なんだ。
だから戦闘機っていうのは基本的にどれも鈍い色で空に擬態している。その結果、みんな似たり寄ったりの塗装になるから、うっかり仲間を撃たないように主翼や尾翼にでかでかと国旗と所属を描いているんじゃないか。
僕の乗るマークⅢも先に着陸したマークⅡも高高度の雲に溶け込む灰白色だし、なにより僕の知るマークⅠは朝霧に煙る森の色だった。間違っても射的の的の、それも高得点を狙う誰もが銃口を向ける中心部の赤じゃない。
僕はエンジンを切って滑走路への進入を開始する。紙飛行機の最後みたいになめらかな軌道をイメージして、機首を少し上げた状態で速度を殺す。プロペラの回る速度は、もう目で追えるくらいだ。機体を少し斜めに振って横風に逆らわないように脚を着けた。つもりだったけれど、どん、と鈍い衝撃がお尻からきた。七十点ってところかな? ドコドコと滑走路の荒さが機体に響いてくる。
惰性で側道に入って二号格納庫の前で停止する。いつもは扉の前でラダーを担いで出迎えてくれる僕の整備士の姿が見えなかった。
シートベルトも外さずにキャノピのロックを外して開ける。
「アガヅマは?」
「え?」とラダーをかけて登ってきた整備士が首を傾げた。「そういえば一時間くらい前から見かけませんね。昼を食い損ねたって言ってたから、休憩に入ってるのかも」
「僕が天国のドアを叩きに行ってるのに?」
整備士の冗談に付き合って唇を歪めてやったけれど、全部が冗談ってわけじゃないからうまく笑えた自信はなかった。
そんな僕に気がついたのか、彼は表情を引き締めて機体の表面を舐めるように見た。
「被弾したんですか?」
「してないと思うけど」
僕らは言葉を切ってエプロンに並んだ機体に眼をやる。七機で上がったのに帰ってきたのはたったの四機だ。しかもそのうち二機は明らかに被弾している。
「激しい戦闘でした?」
「戦闘よりも風がひどくて」僕はシートベルトを外しながら答える。「むこうは八機だったけど、やっぱり戻って行ったのは四機だったよ。算数で考えれば、こっちの勝ちってことになるのかな?」
整備士は黙って頷いた。きっと地上の風しか知らない彼の精一杯の気づかいだったんだろう。
外したヘルメットを担いでラダーを降りる。
「どこか診ておきましょうか?」
「アガヅマが戻ってからでいいよ」
背中から聞こえた声に手を振って、僕は報告のために司令棟に足を向けた。
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