君の背中

藍内 友紀

第一話 紫煙と亡霊

第一話 紫煙と亡霊 ①

〈1〉


 鈍い振動が足を伝わって背骨を震わせる。プロペラを回すエンジンと僕の親指が押しこんだトリガーに連動して吠える機銃と、空に存在するには重すぎる飛行機と人間とを追い出そうとする大気の抗議だ。

 風が強かった。さらに乱れている。最悪のコンディションだ。

 きっと、相手もそう思っている。

 本当なら悪天候でうっかり会敵したって、翼を振り合って『見なかったこと』にするのが紳士的な対応ってものだ。

 なのに向こうの隊長は紳士じゃなかった。後続機は翼を振ったのに、先頭を飛んでいた隊長機だけが猛然と降ってきた。

 最初に上をとっていたのは敵だったから、確かに襲いたくなる気持ちはわかる。もし、こんな大気じゃなかったら僕だって嬉々として狩る側に回ったはずだ。

 でも、と僕はラダーペダルを踏みこみながら舌打ちする。高度を少し変えただけで風向きも強さも変わる空じゃ自殺行為だ。

 小刻みにラダーペタルを踏んで向きを調整する。だめだ、横風が強い。動揺した機体をそのまま倒す。一番影響の少ない姿勢をロールして探しながら、キャノピの外を見た。

 みんな苦戦してる。相手に、じゃない。気流に流されないように自分が浮いているのが精一杯って感じだ。それでも相手を撃たなきゃならないし、相手だって撃ってくる。

 オープンにした無線からはいつもの罵声じゃなくて荒い呼吸音だけが流れてくる。うるさいし気が散るからオフにしようかと思ったけれど、たった一つのスイッチを操作するだけの余裕がない。

 首をひねって背後を確認、二機ついてくる。上のほうでは二機がぐるぐると踊っていたけれどどっちが敵でどっちが味方かもわからない。

 ローリングして敵との距離を測る。視線も耳も敵をさがして必死だし、右手は操縦桿だし左手はスロットル、両足は左右のラダーペタルを引き受けて、肌は呼吸すら圧し殺すGに耐えている。無線を切るほど暇なパーツは僕のどこにもない。

 左後方で二機、さらにその上に四機が飛んでいるのが見えた。でもみんな同数でフェアに踊っているみたいだ。

 つまり僕だけがモテている。

 嬉しくなくて舌打ちした。苛立ちついでに味方機を追っていた一機に向かって撃つ。射程はぎりぎり当たるかどうかだったけど、運は僕にあったらしい。双発エンジンの片方が火を拭いた。でもまだ飛んでいる、さすがロストってところか。

 その隙に追われていた味方がループに入った。とどめをさす気らしい。

ああ、マズいよ、それは。と思ったときには僕の後ろで機銃が吠える気配がした。

 僕は咄嗟に右にロールする。

 ループの最中だった味方機は反応できずに尾翼を吹っ飛ばされてきりもみに入った。エンジンを片方やられていた敵機が巻き込まれる。

 敵と味方が一つになって大きな黒い雲になる。そのまま怨念みたいな尾を引いて緩やかに失墜、しきれずに爆発した。

 僕が手を出さなきゃ結果は違っていたかもしれない。いや、欲を出した彼が悪い。空戦っていうのは欲張らず焦らず冷静にっていうのが基本だ。

 罪悪感の欠片を短く吐いて、僕は自分の後ろの二機に意識を戻す。

 僕を入れて味方は四機、敵は五機。燃料はホームビンゴに近い。でも、それは敵だって同じだろう。

 敵は最新鋭だけれど双発だ。直線でのパワーはあるけど、その分エンジンが重たくなっていて燃料を食うから航続時間は短くなっているはずだ。機動性だって単発機の僕が勝つ。

 油温と油圧を確認して、ついでに眼下の雲の流れも見ておく。僕のいる高度より四十度くらい左に向かって流れている、結構速い。

 また、相手が撃った。距離があるから当たらないって頭では理解しているのに、右手は勝手に操縦桿を振る。高度を変えないままローリングで左に。

 ついてきた。でも翼端が引いた雲がなめらかじゃない。風を読み切れていないんだ。初心者だろうか。それとも機体の不調?

 試しにエアブレーキを立てて急激に速度を殺してみる。

 眼球が押し出されるような圧力で背中がシートに沈む。でも僕は首の筋肉を総動員して後ろを振り返った。

 僕の機速に対応できなかった一機が頭上を掠めて前に出た。もう一機は急旋回で右に降下している。下がったほうは、気流に流されて立て直しが遅れるはずだ。

 そっちは放っておいて、僕を追い越したほうに照準する。

 大慌てで降下に入る相手の先を読む。ああ学校で習った通りの機動をするな、って思ったときにはもう僕の親指がトリガーを押しこんでいる。

 一秒だけ撃って、あとは見なかった。

 反転して離脱する。キャノピが震えた気がしたけれど、風か爆発音かは判別できない。気にもしなかった。ロールをしながら敵を探す。

 さっき、僕を追いまわしていたもう一機はどこにいった?

 三秒くらい戦闘機の入り乱れる空間を眺めて、気付く。敵が散開しはじめている。

 燃料計を確認した。帰れるギリギリの量だ。なるほど、敵も空腹ってことか。

『誰が死んだ?』

 無線がリーダー機からの声を吐いた。バンクに入れて周りをみたけれど、声の主であるウンリュウの機影は見つけれらなかった。

『〈ヒノメ〉の腰ぬけども』

 敵の罵声がスピーカーを揺らしたけれど、挨拶みたいなものだから無視する。僕には理解ができないことだけれど、彼らにとって無言で引き揚げるのは恰好が悪いことらしい。

 僕は送信マイクのスイッチが入っていることを確認する。

「僕じゃないよ」

『俺でもない』

『天国に行きそびれた』

 軽口の抑揚で面子はわかった。

『他は?』とこれはウンリュウ。

「さあ?」

 僕の目の前で爆散した仲間のことは口にしない。正直、あれに乗っていたのが誰かわからなかったんだ。パーソナルマークは見えていたはずだけど、その情報を頭まで持っていく余裕なんてなかった。

 それに、墜ちた奴は忘れるのが礼儀ってものだ。仲間であろうと敵であろうと。

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