第17話 その百合は純潔に咲く

チリンチリンチリン・・・




呼び鈴がすがすがしい音を立てて、大きく響いた。


さゆりはその音に目が冴える気持ちになっていた。


横には荷物を持った、ハナもいる。


ハナは温泉が大層気に入ったようで、朝一番にも風呂に入っていた。


そのおかげか、心なしか肌もつやつやしている。


一方でさゆりは朝早くに起きながらも、訪問が失礼にならないこの時間になるまで悶えながらどぎまぎとこの時を待っていた。




やっと、先生から直接感想を聞くことができるのだ。


先生の持つ哀愁がありながらも明るく振る舞う雰囲気を、ヤマネコの性格で描写したつもりだったが、彼はどんな感想を持っただろうか。


そう思うと、さゆりは緊張しながらもこの時を楽しみに思えた。


自分の世界を他人と共有するなんて、なんて面白いことなんだろうと胸が躍る。


ここまでの道程もそんな期待に溢れんばかりだった。


この丘から遠くに見える朝の海の景色は、きらきらと輝いて見えてその心情をより一層盛り立ててくれたものである。


しかし、ドアを開いたのは予想した人物ではなかった。


さゆりはロドリゴの顔の位置に目線を合わせていたが、そこには顔がなかった。


下に、目線を移動する。


そこにはちょうど自分と同じくらいの背丈の、あの女中がいた。




「あれ?先生は?」




さゆりは不意打ちを食らったような顔をして、挨拶もせず思わず女中に尋ねてしまった。


しかし、女中は気にする様子もなく淡々と質問に答えた。




「さゆりさん、おはようございます。


先生は昨晩から少し体調を崩されているようで、朝早くにお出かけになりました。


隣町の病院に行くとのことです。


さゆりさんには『申し訳ないですが、今日は会えないと伝えてほしい』と伝言を預かっております」




さゆりは驚いた。


昨日は全く元気だったので予感もしなかったからだ。




「そうなのですか。


一体、どうしたのかしら。


先生のご容態は、大丈夫なのですか?


急に体調を崩すなんて、なにか変なものを食べてしまったのでしょうか。


とても心配だわ」




さゆりは心底心配になった。


自分が食中毒になった時のことを思い出したからだ。


あの時は本当に苦しく大変だったが、先生も同じなのだろうか。




「そうですね。


私は朝早くにここに来ましたが、もう家はもぬけの殻で、先生の姿は今朝は見ていません。


昨晩遅く、先生は私の家に訪問してきて、伝言と手紙を渡してくれとだけ言って帰ったのです。


その時は少し息切れをしていましたが、しっかりとした足取りで、怪我とかではなさそうでしたよ」




落ち着いて話す女中をみて、さゆりは冷静になった。少しだけ安堵する。




「そうなのですね。先生はほかになにかおっしゃっていましたか?」




「いいえ。先生はそのほかは何も話されてません。


たださゆりさんへ手紙は預かっておりますので、手渡させてもらいますね」




そういうと女中はさゆりに便せんを渡した。


便せんは封筒に入っておらず、さっと書き留めただけのものだった。


さゆりはその手紙を、声に出して読み上げた。




『さゆりさんへ


素敵な物語をありがとう。


君に会えなくなってしまって、本当に申し訳ない。


できればこの物語の感想を直接伝えたかったが、晩に急に体調を崩してしまってね。


私の体がそれを許してくれないのだ。


心から詫びよう。私としても、非常に残念だ。




君の物語は、私の心をとても彩豊かにしてくれる作品だった。


私はとても気に入ってしまったよ。


だから、もしよければもう少しこの物語を手元に置いててもいいだろうか?


この物語を書き写しておこうと思うんだ。


できれば、その時間をもらいたいのだが、どうだろうか。


もしよかったらその返事を、この女中に伝えておいてくれると助かる。




あと、この王女様の名前については少し保留しておいてくれないか。


実はもう素敵な名前を考えてあるのだが、手紙で伝えるには忍びない。


会ったときに伝えたいんだ。


重ねてすまないが、その時まで楽しみにしておいてくれると嬉しい。


それと君の父上の件については、私の方から連絡を取ってみようと思う。


君はすぐに父上と話す機会が訪れるかもしれないし、そうではないかもしれない。


しかし、根気よく待っていてくれないか。


たとえすぐには望んだものが手に入らないかもしれないが、必ず君が幸せな形で望みは実現するはずだ。約束しよう。




最後に念のために言っておくが、君は間違っても見舞いに来ようと思ってはいけない。


私の体は少しばかり疲れてしまっているようだから、病院で休ませるつもりだ。


そんな時、面会は気を遣うから面倒でね。


心配しなくても、そのうち健康になったら君の前にひょっこりと姿を現そう。


だから、君はそのまま君の家に帰りたまえ。


そして、再会の時には、君の次回作をぜひまた読ませてほしい。


私はどうやら君のフアンになってしまったようだ。


君の明るい将来を、期待して祈っている。




-ロドリゴおじ様より




追伸:もし私と連絡をしたいのであれば、またこの家に手紙を書いてくれ。時間はかかるかもしれないが、必ず返事は出そう。』




さゆりは読み終わると、深い息を吐きだした。


どうやら自分の物語は、何かしらロドリゴの心に響いたらしい。


さゆりの胸に安堵と嬉しさが広がった。


じんわりと暖かなものが胸全体に広がる。


さゆりは、この暖かな気持ちを生涯忘れられぬだろうと予感した。


それは物語を書いている途中でも感じた満足感とはまた別の、他人のぬくもり触れたような暖かさだった。


しかし、一方でロドリゴへの心配は拭えなかった。


本当にロドリゴは一人で大丈夫なのだろうか。


さゆりは几帳面なロドリゴらしくない乱暴な文字をみてそわそわした。




「大先生は大丈夫ですかね。


病なのになにもかも一人で抱え込んで。


しかも見舞いもいらないから探さないでくれなんて、まるで家出のようさね。」




そういったのはそばで手紙を聞いていたハナだった。


ハナも同じことを考えていたらしい。


さゆりは再び手紙を見つめた。




こんなにも孤独でいたがる先生は、一体何者だろうか。


「文豪の鬼才」で財力と名声がありながら、孤独になりたがる変わり者。


珍しい異国の人でもあり、その容姿は一見爽やかで好感を持たれやすい。彼に興味を持つ異性も少なくないはずだ。




しかし、彼と深く親密になったものは一人としていない。


彼は柔和な雰囲気にも関わらず、いつも表面上の付き合いばかりで知らないうちに姿を消してしまうらしい。


そして、家に籠もっては孤独に物語を書いている。


お父様がちらりと言っていたが、彼はその様子からまわりには陰で「書き物狂い」と呼ばれているそうだ。


おそらく彼の容姿に期待した人々からの悪口なのだろう。


まるで、それは「妖怪」や「化け物」みたいのようで、お父様はその呼び方をすごく嫌っていらっしゃった。




しかし、ひとつの物語を書き終えたさゆりは思うのだ。


「書き物狂い」なんて、そんなの小説家は皆そうだと自覚しているはずだ。


鬼気迫る表情で真剣な場面を書いたり、思いついた滑稽な場面を考えては一人で笑ったりする小説家は、他の人にとってきっと奇妙にみえるだろう。


しかも、面白い物語の種を見つければ、よだれを垂らして食ってやろうと追いかける性分もある。


そしてその種は小説家にバクバクと食べられ、彼らの物語の養分となってしまうのだ。


その様子はまるで先生が書いた「ヤマネコ貴族」のようだ。




だから、さゆりは思うのだ。


小説家は皆「ヤマネコ貴族」のような「化け物」を心に棲まわせているのだ、と。


そして、わたしも先生もきっとその仲間なのだとも。




「先生は、きっと大丈夫よ。


彼は必ず約束を守る人ですもの。


そのうちこの手紙の通り、私に挨拶に来てくださるわ」




そう言って、さゆりは手紙を見つめてほほえんだ。


それを聞きつられて女中もハナも少し和らいだ表情を見せた。


遠くに見える秋の海は穏やかに輝いていた。




さゆりの尊敬する人であり、煌めきをあたえてくれた魔法使いであり、「化け物」であり、さゆりが作家として超えたい唯一の人物でもあるロドリゴ・フェルナンデ。


彼の生きざまそのものである彼の物語は、さゆりの人生を間違いなく照らし、ひとつの希望を与えた。


彼女はその希望をめざして、物語を作った。


その「小説家」としての視点は、彼女に今までにない洞察力を与えている。


だから人間が持つ幾つもの代名詞に、彼女は惑わされない。


さゆりは彼の人間性という背中を真っすぐ見ている。


だから、さゆりは信じてる。


ロドリゴなら間違いなく約束を守ってくれる、と。


そして、再びその約束はさゆりの新たな希望となったのだ。


さゆりは今度もその希望ひかりを目標に、自分の人生をひた走る。




彼が蒔いた物語の種は、いま確かに青空に向かって真っすぐ、白く、咲き誇ろうとしていた。


その様子を見ればきっと誰だって百合の花言葉を思い出すだろう。




―『純潔』。それは彼女に、今最もふさわしい言葉であった。

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