第12話 歌うヤマネコと王女様
ヤマネコが王都に来るのは初めてでした。
連れられたお城はどこもかしこも大理石でできていました。
ヤマネコが通された謁見室は特別天井が高く、小さな小石が一つ落ちただけで幾重にも音が響きました。
王女様は立派な玉座に座っており、高貴な方らしく毅然としたたたずまいでした。
伝統にのっとり、美しい王冠についた薄いベールに覆われて顔は見えません。
そのベールは魔よけのために視線を遮っているのだと、ヤマネコは聞いたことがあります。
王女様はヤマネコの拘束を解くように命じ、召使たちはそれに従いました。
ヤマネコは縄を解かれると、跪いて王女様へ挨拶をしました。
「高貴なる王女様。
わたくしのようなつまらない獣にどのような御用件でしょうか」
「そなたはヤマネコでしょう。
ヤマネコは獣で皆、凶暴というものです。
だが、そなたは歌うヤマネコと聞きました。
私はヤマネコは嫌いですが、歌は好きです。
町に広がるあなたの歌の評判を聞いて、獣といえど一度直に聞いてみようと考えたのです。
歌は心を現すことができるものといいます。
もし町の噂のように、あなたが獣でありながら善良であるのならば、きっと歌もさぞ美しいことでしょう。
さあ、今ここで歌いなさい。
もし断れば、私は王女としてそなたをこの国から追放します」
そういって王女様はヤマネコに歌うように命令しました。
ヤマネコはギターを召使から受け取り、仕方なく歌うことにしました。
この謁見室ではヤマネコの声が高らかに響きます。
ヤマネコはとある曲を歌いあげました。
ゆったりとしたなめらかな旋律に、みな耳を傾けました。
ヤマネコが歌い終わると、反響による音楽の余韻がたっぷりと空気に染みわたりました。
そして、謁見室の雰囲気が変わっていることに誰しもが気づきました。
王女様はヤマネコの曲を聞き終わると、口を開きました。
「たしかにすばらしい歌声で繊細な曲ですね。
だが私はまだまだ納得できません。
人の言葉を話す獣は、それだけ人の心を惑わす力もあるというものです。
これだけではあなたが善良な証拠にはとても足りません。
長い時間をみて、その心の性根を見定めなければ。
そなたはこれから千日間、私と皆の前で歌ってもらいましょう。
そして、それが無事にできた暁にはそなたの自由を約束しましょう」
王女がそう言い終わると、二度と口を開きませんでした。
そこには無言の重圧とゆるぎない威厳がありました。
ヤマネコは拒否できないことを悟り、「承知いたしました」と跪いて応えました。
それからヤマネコのお城での暮らしが始まったのです。
ヤマネコはそれから毎日王女様の前で歌いました。
いままで考えた歌をたくさんの人の前で披露しました。
それはそれは皆感動し、日にちを重ねるにつれヤマネコの歌を聴く観衆はどんどんと多くなりました。
二百日経つ頃から、観衆が謁見室に溢れ出るようになってしまいました。
そこで王女様はヤマネコのために劇場の舞台を開放することにしました。
五百日が経つ頃にはその評判は国中を駆け巡り、ついには隣国まで届くようになりました。
隣国の民衆もやんごとなき方々も次々とその劇場に来るようになりました。
噂は噂を呼びます。ヤマネコのたくさんの歌は多くの人が知ることとなりました。
そして歌は歌を呼びます。ヤマネコの歌に触発された人たちはたくさん曲を作り、皆お互いに自分の歌を歌うようになったのです。
そしてヤマネコが歌い始めて九百日を過ぎるころには、国は音楽で溢れていました。
王女様の国は、いつしか「音楽の国」として知られるようになったのです。
音楽は天候に左右されません。音楽は人の心を一つにします。
その国は間違いなく音楽とともに栄華の時代に入ろうとしていました。
しかし、王女様はヤマネコの演奏へいつも不満をもらしていました。
ヤマネコは王女様を満足させようといろいろと試行錯誤しましたが、彼女はヤマネコを頑なに認めようとはしません。
ヤマネコは次第に諦めていきました。
そして、いよいよ千日目を迎えようとする目前に、ヤマネコは自分の声が枯れ始めていることに気が付きました。
毎日大きな舞台で歌っていては喉が悲鳴を上げます。
ヤマネコは大きな声が出せないことに気づき、ひどく悲しみ落ち込みました。
そして、深く考えた末に、千日目を迎えるときは王女様の前だけで歌いたいと願い入れました。
とても大勢の前で歌えるような喉の状態ではなかったのです。
王女様はそのヤマネコの願いを受け入れました。
謁見室に行くとそこには王女様がいました。
ヤマネコは王女様に跪くと、王女様は口を開きました。
「ヤマネコよ、私はあなたに感謝しなければいけません。
我が国はあなたのおかげで豊かになることができました。
この国の王女として礼を言いましょう。
そして今日歌い終われば約束通り、そなたは自由です。
しかし、ここまできても私はあなたを受け入れることができません。
申し訳ありませんが、今後は私の前にその姿を現さないと約束してくれませんか。
いえ、なにもそなたを責めているわけではありません。
私は昔、王女ではないただの少女であったとき、とある人食いヤマネコに愛すべき人を奪われました。そのため、ヤマネコそのものを拒絶してしまうのです。
その出来事のせいで、当時の私のみずみずしかった心は、歪んで固くなってしまいました。
あの時から、私は笑うことを忘れてしまったのです。
私が各地の獣を退治しようと躍起になっていたのは、私とおなじような目に民にあってほしくなかったからなのです。
だから、私はあの歌付きの紙芝居を流行らせました。
あの紙芝居は一人の女性としての思いと、王女として使命感が混ざりあった、いわば私なりの芸術です。
もちろん国を繁栄させるほどの力を持つ、あなたの歌には到底及びませんが…。
だから、私はあなたや獣に対して持っているこの思いを許してほしいとは言いません。
しかし、せめてあなたには正直に私の事情を伝えたかったのです。
…あなたは私の国を繁栄させてくれた恩人ですから、それが人として誠実な態度というものでしょう。
さて、これで私からの話は以上です。あなたは最後の歌が始まる前に言いたいことはありませんか」
「王女様、心苦しい思い出をお話しくださいましてありがとうございます。
実は、私のこの喉はもう限界を迎えております。
今後、大勢の前で歌うことは、もう無いでしょう。
ですから、あなた様の前に現れることももう二度とないと思うのです。
きっと本当に最後ですから、私の特別な歌を歌わせてもらいます。
少しでも貴女の心が癒されると嬉しいです。
では、お聞きください」
そういってヤマネコはギターを奏でました。
それは、ヤマネコが一番愛するあの歌でした。
繰り返し弾いていて、一番の自分の原点です。
ヤマネコはこの歌を奏でるたびに思いが増します。
それは彼が歩んできた、今までの冒険や、かかわった人々、つらい出来事、嬉しかった思い出、そしてあの乙女との素晴らしい思い出のはじまりに、この歌があるからでした。
ヤマネコは自分の一つの芸術がたしかにここに響いているのを、心の底からうれしく思いました。
歌が終わるとヤマネコは丁寧にお辞儀をしました。
ちらりと王女様の様子を見るとピクリとも動いていませんでした。
拍手もせず、呆然と立ち尽くしています。
ヤマネコは最後まで王女様を感動させることができなかったと残念に思いました。
しかし、すぐに王女様は全く無反応ではないことに気づきました。
どちらかというと戸惑い、体を小刻みにわなわなと震わせていました。
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