第6話 ロドリゴという化け物
ロドリゴは体をゆすりながら、机の灯りをぼんやりと眺めていた。
夜はもう更けていたが、彼の体は眠ることができない。
秋が近づいてきてだいぶ夜は過ごしやすくなった。
とはいえ、まだ暑い。
ロドリゴは窓を開けながら、夜風を感じていた。
オイルランプの灯りが、彼の横顔を照らしている。
机の上には、ロドリゴを懇意にしている資産家の娘からの手紙があった。
さゆりという子で、あれから9年たっても彼女の名前はよく覚えていた。
くりくりとした漆黒の瞳の少女で、誰よりもロドリゴが作る物語を楽しみにしていたからだ。
特に気まぐれで書いた自伝のような童話のような、あのヤマネコ貴族の物語をかなり気に入っていた。
あの話が終わって、次のお話し会を開いた後もずっとその「熱」は続いていた。
毎回おはなし会の前にはあの話の続きをやるのかを聞き、おはなし会の後には必ずあの話の続きを書いてほしいとねだっていた。
当時はかなり困ったものだったが、どうにもロドリゴは続きを書く気になれず、最終的には清書した筆記帳ノートを手渡して許してもらった。
まったく、この「文豪の鬼才」相手にわずか7歳の少女が偉そうなものである。ロドリゴは一人笑いが止まらなかった。
そして、そのさゆりはどうやら今、物語を書いているらしい。
さゆりから「直接会って自分の小説の感想を聞かせてくれないか」という内容の手紙をもらったのは、つい
都会の喧騒が億劫になり、ここに引っ越して以来、さゆりとは9年間会っていない。
そして、今住んでいるこの小さなはずれの港町では、あのような「おはなし会」はしていなかった。
このような
子は親の手伝いをし、親は子が空想にふけることを厭う。
だからこそ、ひどくあの頃が懐かしいのだろう。
ロドリゴはさゆりとそのほかの子供たちの思い出に浸りながら、あらたな児童文学への着想を描くことにした。
そうでもしないと、秋の夜の闇はロドリゴを捕らえて放さないからだ。
ロドリゴはこんな秋の夜長には何かをしていないと落ち着かない。
燦燦と照らされていた夏の太陽に急に見放されたように感じ、闇夜の孤独感が一層増すからだ。
そしてその闇は彼に過去の幻想を否応なく見させる。
彼は普段から思い出さないように努めている過去を、少しでも頭から離れさせたかった。
だが、今夜はどうやら過去の幻想を振り切ることができないようだ。
闇がしつこく彼を捕らえて放そうとしない。
そういう時、彼は諦めて思うがままに自分の過去の記憶を不要な紙にしたためる。
そして、そうやって何度も書かれた彼の過去は、いつも明朝にはくず箱に捨てられる運命にある。
それでも、彼は自分の心の整理のために書く。書かずにはいられない。
彼の手は素早く動き、次々と文字が埋め尽くされた。
それは小さな灯りのもとでたびたび孤独な夜になされる、彼の素朴な「独白」であった。
――――――――――
俺、いわゆるロドリゴ・フェルナンデは小説家である。
ただ人はだれしも代名詞をいくつも持っているもので、それは俺も同じだ。
俺はいわゆる普通の人間ではない。不死身に近い体を持ち、人の涙で腹を満たす。
そんな俺は、まぎれもない「化け物」だ。
遥か昔、俺が人間であった頃、魔法は特段珍しいものではなかった。
魔法使いはどの町にだって存在し、人々の生活を助けていた。
だが、中には悪い魔法使いというものがいる。
それが「闇の魔法使い」だ。
彼らは呪いを中心に扱い、人を貶めることを得意とする。
彼らは自分の欲望を満たすためなら、世界が混乱することも厭わないまぎれもない「悪」なのだ。
俺はそんな闇の魔法使いの奴隷であった。
闇の魔法使いに関しての知識はそこで得たものだ。
俺はとある闇の魔法使いに買われ、罵倒され、利用され、囚われの身になっていた。
たった一年のことだったが、それはそのあとの長い人生に大きく影を落としている。
俺はその闇の魔法使いのせいで、今の「呪われた体」になってしまった。
多くの闇の魔法使いは一様にして、強力な魔力を持ち合わせている。
人を呪うには、豊富な知識と気力が必要になるからだ。
そして闇の魔法使いは一定の経験を積み終わると、自我を闇から守るために、自分の大切な「良心」を体から出す。そうすることでますます強力な闇の魔法を扱うことができるのだ。
彼らはこれを「心抜き」と呼び、一人前になるための儀式として行われる。
そして、その儀式では、自分が望む「能力」を一つだけもらうことができる。
その与えられた「能力」は、その魔法使いが持つ魔力と比例し、魔力が強大であればあるほどその「能力」は有能なものになるのだ。
そうやって得られるものがある一方で、失うものもある。
「心抜き」を行った闇の魔法使いは、能力の代償として完全に倫理観を失うことになるのだ。
こうして得た強大な能力と良心を忘れた魔法は、魔法使いを闇にずるずると引きずりこむ。
そうやって闇の魔法使いは、いつも闇から逃れきれない。
そしてそれは自らの破滅の始まりになりえるのだ…。
それを俺に教えたのは俺を買ったあの闇の魔法使いだった。
あいつはそのことを知っていながら、多くの闇の魔法使いと同じように恨まれ殺された。
己でも誇りに思うほどの特別な「能力」がありながら、あいつはあっけなく死に至った。
あいつの能力、それは「不老不死」だった。
能力として「不老不死」を望む者は少なくない。
だが、それが実現できるかは別問題だ。
多くの場合、「不老不死」とは名ばかりで、ほかの人間より老化が遅くなるという現象で終わる。
しかし、あいつはその驚嘆すべき魔力により「完全な不老不死」を手に入れた、唯一の闇の魔法使いだった。
死を恐れなくなった闇の魔法使いはほとんど最強と言ってもいい。
そして、その最強の闇の魔法使いを殺したのは、まぎれもなく俺だった。
俺は死ぬほど、あいつを恨んでいた。
あいつが奴隷として俺をそばに置かせたのは、なにも生活のためだけではなかった。
あいつは醜い容姿をしていた。
永遠なる時の中で、だれからも愛されることがない人生を送る苦しさを、俺は当人ではないからよくわからない。
だが、あいつは蔑まれるだけの人生を恨んでいたのはよくわかっていた。
あいつは自分を美しくしたかった。そして、誰かから愛されたかったのだろう。
だから、俺を「美への生贄」として必要としていたのだ。
あいつが美しくなるために必要な材料である「なりたい姿の者の涙」を、俺は提供しなくてはいけなかった。
そのためにあいつは俺に連日、暴力や暴言を浴びせた。
そして、それは俺が泣くまで執拗に続いたのだ。
そんな生活のなかで、俺の唯一の癒しだったのは〇〇であった。
〇〇は村に住む少女で、とある貴族の娘だ。
俺はひょんなことから〇〇と知り合うことになったのだ。
〇〇という奇妙な表記を使うのは、俺が彼女の名前を忘れたからだ。
思い出しそうで、思い出せない記憶だ。
彼女との思い出はたくさんあるはずなのに、俺の記憶の中のあの子は、名前も顔も姿も声もすべて黒く塗りつぶされている。
ただ屋敷から抜け出した彼女と楽しく、本を読み、物語を楽しんでいたような、そんな思い出は何となく覚えている。
そして、俺は彼女に恋していたのかのように思える。
それなのに、なぜこんな大切な記憶を思い出せないのかは全く分からない。
このことを思うと、妙に胸がざわついてならない。
俺はどうかしてしまったというのだろうか…
――――――――――
ロドリゴはざわつく胸を落ち着かせようと、一旦、万年筆を置いた。
先ほど汲んできたコップの水を一口飲む。
ねばりついていた唾液が流され、口の中が一掃された気持ちになった。
ロドリゴは更なる独白を続けようと、再び万年筆をもった――
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