第5話 おはなし会の後に化け物はあらわれる
ロドリゴは物語を終え、子供たちにさよならの挨拶をした。
それを合図に、子供たちはそれぞれに感想を言い合いながら帰り支度を始める。
ガヤガヤと騒がしい中、ロドリゴは机をもとの位置に戻そうと作業を始めると、一人の少女が近づいてきた。
少女はロドリゴが懇意にしてもらっている資産家の娘だ。
おそらく年は七つ。名はたしかさゆり、といったか。
「ロドリゴおじさま、ひとつきいてもいい?」
「さゆりさん。さっきのお話しのことかな?なにか気になることがあるのかい?」
ロドリゴはなるべく目線をさゆりに合わせようと中腰になり、やさしく問いかけた。
「うん。ロドリゴおじさまのおはなし、全部好きだけど今日のおはなしはとびきり好きなんだ。だけど、旅人さんは最後はどうなっちゃったの?」
「うーん、そうだね。そこがやっぱり気になるよね」
「死んじゃったの?」
「どうかな?姿を消しちゃったから、その先は誰にもわからないんだよね。
さゆりさんはどうなったと思う?」
「わたしは生きてると思うわ」
「そっか。なんでそう思うのかな?」
「だってそうなっててほしいから…」
そういうと、さゆりは黙り、しだいに涙を浮かべた。
「村の人たちも乙女も旅人のこと好きなのに、一人で死んでしまうなんて悲しいよ。
私、物語でこんな悲しい気持ちになったのはじめて…。
ロドリゴおじさまはこの物語の作者で、旅人のこと救えるんでしょう?
私、旅人がその乙女と結ばれる続きが見たいの。続きはないの?」
ロドリゴは困ったように、肩をすくめた。
なるほど。さゆりは子ども特有の感性で、登場人物に感情移入しているようであった。
ロドリゴはさゆりの頬に流れる涙を、そっと指でぬぐった。
「さゆりさんはとてもやさしいんだね。けど大丈夫。
この物語の続きはないけれど、これ以外のもっとおもしろい物語を作ってくると約束するよ。次のお話を聞いたら、きっとこのおはなしのことも忘れるさ。」
そういうと今度は小声でさゆりに耳打ちをした。
「これは実は腕ならしで、次はすごい大作をあたためているんだ。
ほかの子には秘密だよ。君だから教えてあげるんだ。
だから今回の話はとりあえず忘れておいて、次を楽しみにしててね。
おじさん、次回もここで待ってるから」
そうにっこりと言い、軽やかにウインクをして見せる。
さゆりはその軽快な様子に気持ちが和らいだ様子で、素直にうんとうなずいた。
「さあ、支度が出来たら急いで帰るんだよ。
もうこんな時間だ!おいしい夕飯が家でまっているからね」
そうさゆりに言うと、さゆりを含めた多くの子供たちがばたばたと外へ出ていった。
すると、今度は最後まで残っていたご婦人が話しかけてきた。子供たちのだれかの母親だろうか。身なりは清潔で、仕草も上品だ。
「先生、本日はとても素敵な話をありがとうございました。子供たちも喜んだようで」
「ああ、いえ。こちらは好きでやっていることです。
こうして、子供たちの反応をじかに見られるいい機会ですから。」
「そうなのですね。今回の話はなんというか今までとは全く違いますよね。
子供向けにしては少々残酷な部分もありますし…」
「ええ。実は最近スランプでしてね。
この話は苦し紛れに描いた私の自伝のようなものなんです。
まあもちろん、ほとんどを比喩やフェイクを使って描いているのですべてが現実ではありません。
特にこのヤマネコ貴族という想像上の獣は、私の尊敬するこの国の童話作家をリスペクトして私なりのアレンジを加えて登場させてまして…」
そうロドリゴが長々と説明しようとすると、婦人は突然遮った。
「それはそうと、先生はかつての代表作のような悲恋の小説は書かないのですか?
私はもうあれのフアンでして…何度読み返し、そのたび涙したことか…
よろしかったらこの後、あの作品の作成にあたっての裏話など教えてくださらないかしら?
あたたかい夕飯もうちに用意していますし、先生さえよろしかったら、この後いかがですか?」
そういい、熱っぽい視線をロドリゴに浴びせる。
ロドリゴは思わず大きなため息をつきそうになった。またこれだ。心の中で悪態をつく。
(もう、しつこい女の涙の味は飽き飽きだ…)
そう思いながらも、笑顔でなんとか返そうと努めた。
自分が持つ白い肌と彫が深いこの顔で笑顔をつくれば、この国の人たちはすぐに満足するからだ。
それがロドリゴのこの国を住みやすく思う、理由の一つだった。
「すみません、マダム。実は明日は原稿を渡すために、朝早くに近くの繁華街へ行かなければいけないのですよ。
お話はありがたいですが…。
おや、もうこんな時間ですね!私はいそいで原稿を仕上げなければいけません。
それでは失礼させてもらいます。よい夜を」
そういって半ば強引に婦人を家の外に押しやった。ばたん!と扉が閉まる。
扉の外では不満そうに女性が立ち尽くしていたが、しばらくすると立ち去ったようだった。
静けさだけがこの家に残った。
ロドリゴはやっと一人になれたことに胸をなでおろした。
そして、いそいそと書斎に行き明かりをつけるとそっと舌を出した。
赤くてらう舌を、先ほど少女の涙をぬぐった指にそわせ、嘗めとった。
指に着いた涙はわずかで、乾ききっていたがその味を堪能するには十分だった。
その瞬間、ロドリゴは歓喜の息を漏らした。
口の中に広がったのは旅人を心配する純粋な気持ち、そしてはじめて悲しい物語に触れた戸惑い、そして自分が体験したことのない
なんという味だ!男は初めて口にひろがったこの味に驚嘆した。
(この美味さよ!ぜひとももういちど味わいたい…)
すぐさま、男は子供たちが感動して涙している様を見たい衝動に襲われた。
見るだけでは、本当は足りぬ。
できればその涙を、一滴でいい。
味を確認したい…。
そうして、そのわずかに口の中に残る味と共鳴するかのように、男の脳内には新しい物語のあらすじが閃いていた。
今度は子どもが好きな冒険譚にしよう。
生き生きと活発に繰り広げられる冒険、応援したくなる主人公、個性豊かな脇役たち。
長編にしてお話し会は三回にわけるのだ。
最初は愉快な雰囲気ではじまり、途中からは悪役たちによる横暴、そして情が移ってきたところで死んでしまう主人公の親友。
結末は希望に満ちながらもすこし切ないものにしよう。
この内容なら子供たちはきっと心から涙するだろう。
その時、その涙はどんな味をするのだろうか。
男はまだ体験したことのない未知なる美味を想像し、一人机に向かいながらにやにやと笑った。
男の名前はロドリゴ・フェルナンデ。
彼は年を取らず、ただひたすらに物語を書く。
彼には物語を書くことでしか、自分の飢えを満たす方法を知らない。
そう、彼は人間ではない。いつのころからか感動の末に搾り出た涙だけを食料に生きる、とある生き物だ。彼自身、自分が何者かを定義していない。
この国のいう鬼とも、かの国でいう
まぎれもなく自分は「化け物」である、と。
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