第7話 魔法使いの小瓶
ロドリゴの万年筆は再び走る。
彼は過去のことを振り返るとき、集中しすぎる。
彼の手が悲鳴を上げても、彼はその手を止めない。
その「独白」はただひたすらに紙に書かれ続けるのだ。
―――――――――――
俺がその闇の魔法使いから解放されたのは、一年経ったある日だった。
あいつは最悪なことに俺に似た顔をして、反吐が出るような色恋事にうつつを抜かしているようだった。
俺は本当にあいつが醜く見えた。見た目なんて関係ない。
俺はあいつを見ると吐き気がして、仕方なかった。
あいつは外見を維持するために、俺を一生この生活から縛り付けるつもりだろう。
俺はあいつから自由にならない人生を憂いた。
絶望のあまり、俺はあいつを殺すことを決めたのだ。
あいつの殺し方は簡単だ。闇の魔法使いの弱点は、皆同じだからだ。
昔、体から出した「良心」を、再び体に戻せばよいのだ。
我に返った良心が暴走し、闇の魔法に耐え切れず、その体を死に至らしめる。
そういう点では「不老不死」なんてあっけない、と当時の俺は思ったものだ。
そして、俺はあいつの「良心」のありかを知っていた。
あいつの「良心」は家の裏にある、古い枯れた井戸の底にある。
そのことは偶然知ったものだった。
ある日、食器棚の裏からとある小瓶を発見したとき、あいつは今までに見たことが無いほど焦った表情をしたのを今でもよく覚えている。
それは水のような透明な液体が入っている小瓶だった。
あいつはそれを見るなり、俺から乱暴にそれをひったくり、いつも以上の罵声を浴びせた。
その日の夜中、おれは偶然寝れず、寝床だった屋根裏の窓からぼんやり外を見ていた。
その時、あいつがこそこそと井戸に向かっていく様子が見えたのだ。
その日は満月だった。
月光が反射して、キラリとあいつの手の中が一瞬光ったのを俺の目が捕らえた。
俺はすぐにそれはあの小瓶だと悟った。
あいつはそれを大事そうに持ちながら、そのまま古い井戸の底に降りて消えた。
その時俺はあいつの行動を不思議に思ったが、深く考えずにそのまま寝ることにした。
そしてその数カ月後、この「良心」の話を聞いた時、俺は自然とあの日の記憶と繋がったのだ。
ああ、あの小瓶に入っていたのは、あいつの「良心」だったのか、と。
こうやって偶然がいくつも重なって、俺は不死身なあいつを殺すことができたのだ。
そういう意味では俺があいつを殺したのは、ある意味で運命だったのかもしれない。
俺は井戸からとってきた小瓶の中身をカップに移し、水と偽ってあいつに飲ませた。
それだけであいつは苦しみ、吐血した。
俺はあいつの体が死の準備を始めたのが、一目でわかった。
悶え苦しみ血を吐きながら、体を捩らせる。
死が来るのを刻々と待たなければいけないようだった。
俺は初めて見る血の量に驚きながら、呆然と立ち尽くしていた。
その時、俺はこの「呪い」を受けたのだ。
あいつは死の間際になって、その強力な魔力をご丁寧なことに俺の呪いにすべて費やしたらしい。
おかげで俺はこの「不老不死に近く」「涙だけが食料になる」体という迷惑な呪いをこうむってしまった。
この呪いはあいつによる最大の復讐だった。
あいつは俺が最も嫌う行為を知っていたからこそ、この呪いをかけたのだろう。
当時の俺はあいつのように「誰かを泣かすこと」を、心の底から嫌っていた。
だからあいつは「誰かを泣かすこと」を、俺の人生に「食事」として無理やり入れ込めたのだ。
俺は俺が一番嫌いなことを、永遠に近い人生の中で、強制的に繰り返さなければいけない。
それは、何度考えてもうんざりする事実だった。
それから俺は長い年月をこの体で過ごしている。
救いになったのは俺は「完全な不老不死」ではなく、ゆるやかに成長と老化をしていることだった。
おそらく、そのうち寿命はくる。
それは俺にとって救いであった。
体が丈夫でけがも病気もせず寝ることができないことも、しばらくしたら慣れた。
だが、涙を食料とすることだけは、俺を深く悩ませた。
死にきれない飢えは、地獄より苦しい。
飢餓状態が続くと気が狂いそうになる。
その時の俺は、獣のように目を光らせて獲物を狙う「化け物」になる。
しかし、俺はあいつのようになりたくなかった。
あいつのようにわざと誰かを貶めて泣かすような行為はしたくない。
だから、俺はあいつとは違うやり方で試行錯誤を繰り返すことにした。
「暴言や暴力」の代わりに「物語」を書いた。
「悲しみや憎しみ」の代わりに「感動」を与えた。
俺はそうやって物語を紡ぎ、それを読んだ人の涙を嘗めることで、空腹を満たすことができることを発見した。
その発見は大きな実りだった。
しかも感動による涙は、憎しみにまぎれた涙よりも最大限に腹を満たすことができるのだ。
おかげで一か月以上、涙を嘗めなくても俺は空腹を感じることが無い。
そうやって誰かを貶めなくてもいい、とわかったころ、俺はやっと自分が「化け物」ではなく「人間」になった気がした。
そうだ。俺は「化け物」であると自覚しながら、「人間」でありたいのだ。
その一方で、俺はなにか大切なことが欠けたままいる気がしてならない。
それは俺が「化け物」であることと関係しているのだろうか。
なんの情熱もなく、永遠に物語を書いている。
それは生活のためであり、食事のためであり、首を長くして待っている死という救いのためだ。
俺の人生はほかの人よりもどこか無機質で、違和感を覚えている。
俺はきっとこうやって、「人間」の皮をかぶった「化け物」として、永遠に近い日々を過ごすのであろう。
それはぞっとして、とても静かで、なぜか穏やかで、そしてとても悲しいものだと心底思うのだ。
だが、俺は何をしたらいいのかわからない。
どうやったら俺はこの陰鬱な日々を脱することができるのか、わからないまま過ごしている。
そうやって、考えているうちにいつも夜は明ける…。
―――――――――――
――やっと、朝が来た。
ロドリゴは今まで鬼気迫る勢いで書いていた紙を乱暴に丸めると、屑籠に投げ入れた。
こんなことをしていても、何もならない。何も生み出されない。
ロドリゴは気を取り直すと、今日会うはずのさゆりのために身支度をすることにした。
顔を洗い、髪を櫛でとこう。寝間着を変えて、形だけの朝食をとろう。
そうやって、太陽が昇る時間の日常はロドリゴを幻想から引き離してくれる。
ロドリゴは心から安堵し、さっそく洗面台へと向かっていった。
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