第2話 9年前のある日-はじまりの物語
男が急いで机を移動し、読み聞かせとしての場を作った。
それなりに広くなった居間には子どもたちがじゃれあっている。
今回集まったのは六人ほどの子どもたちと、数名のその保護者たちだった。
こどもたちは身なりがみすぼらしい子や、だれがみても高級な服でめかしこんでいる子など外見は様々だった。
しかしどの子たちも同じようにして、目を輝かせてここに集まってきていた。
巷で有名な人気作家、という珍しい大人に何度来ても大興奮の様子だ。
男は子どもたちの声にうずもれないように、声を張り上げた。
「おーい!子どもたち!おはなしがはじまるよ。
今日は前回とは少し違う、むかしばなしさ。
これは僕が聞いた遥か遠くの国に伝わるむかしばなしでね。
なに、娯楽に飢えた農夫たちが語り継ぐ、ありきたりなおはなしだよ。
おっと、君たちには何か聞こえるかい?じっと耳をそばだてて聞くんだ。
ほら、吟遊詩人の歌声が聞こえるはずだ。そう、今日の主人公は彼なんだ…」
+・―・+・―・+・―・+・―・+・―・+・―
「吟遊詩人とヤマネコ貴族」 作:ロドリゴ・フェルナンデ
むかしむかし、とある国で吟遊詩人という職業が流行っていました。
物語に歌の節をつけて歌い、観客からお金をもらいながら旅をする仕事です。
ある若い男がそんな吟遊詩人に憧れて、旅に出ることにしました。
その男の歌声は美しく、のびやかで、彼自身も自慢に思うすばらしいものでした。
しかし、彼が歌える物語は、たった一つしかありませんでした。
彼はその物語をだれよりも美しく歌えますが、ほかの歌を歌うことは頑なにしませんでした。
なぜなら彼はその歌をだれよりも愛していて、ほかの歌を歌うと自分が不誠実かのように思えてならなかったからです。
そのため、彼が訪れた町の人々は彼が歌う同じ物語を何度も聞くしかありませんでした。
人々は次第に飽き、しまいには誰も聞かなくなってしまいました。
彼は仕方なく違う町へ渡りますが、同じ事を繰り返すだけでした。
そのため、男は次々と町を渡り歩くことになりました。
男はだんだん故郷から離れてしまい、ついには彼も帰り道がわからなくなってしまうほど遠くに来た時、ある村にたどり着きました。
その村は彼の美しい歌声を非常に歓迎し、うれしく思った旅人はいつもより長く村にいることにしました。
そしてひと月もたった頃、彼は村のある乙女に片思いをしてしまいました。
彼女とは旅人がいつも歌っている川辺で出会いました。彼女は一人で泣いていたので、慰めようと歌ってあげたのがきっかけで仲良くなったのです。
旅人の彼女への思いは次第に募り、ある日気のいい村長にこの思いを相談しようと家に赴きました。しかし、村長はほかのことで頭がいっぱいのようで、挨拶もうわの空です。
そして旅人を家にあげると、村長は突然なにやら仰々しく話をし始めました。
「お若いの、あなたのその歌声はおそらく世界で一番美しいものだろう」
気をよくした彼は得意になって答えました。
「ああ、村長さん。よくぞ言ってくれました。
僕は自分の声もこの歌も、大好きなんです」
「そうだろう。世界で一番美しい歌声だ。
そこでひとつ、伝えないといけないことがあるんだ」
「伝えないといけないこと?」
「ああ。森を抜けた小高い丘の上に、美しい屋敷があるのを知っているかい?」
「あの村のはずれにある薄暗い森の奥にですか?」
「そうだ。あそこにはとびきり大きな屋敷があってな。
そこに、ヤマネコ貴族という化け物が住んでいるんだ」
「ヤマネコ貴族?」
「ああ。あそこにはもともととても由緒正しい貴族が住んでいたが、
そいつが度を越えた美食家でね。
あらゆる芸術を味わいつくしたいあまりに、芸術をも『食べて』しまうんだ。
芸術といってもそれは料理だけじゃない。東洋の青磁から有名な芸術家の絵、高級なバイオリンまで、それはそれはあまねくものを食べるのだよ。彼は食べることによってその芸術を『味』として堪能できるらしい。
嘘だと思うだろう。けど彼の舌は確かだったようで、最初は疑り深かった、ほかの貴族も次第に一目置くようになったんだ。そのことが彼を助長させたみたいでね。物だけにしとけばよかったものの、彼どんどん暴走していき、次第に人を食べるようになってしまった」
「人を?なんと、恐ろしい!」
「そうだろう。その美食家いわく、人とは立派な芸術作品だそうだ。
彼は人を食べることでその人間の人生を物語のように感じ、味わうことができる。
そんな生活を続けているが故、世の中の混乱を喜ぶ闇の魔法使いに目を付けられ、貴族は姿を変える呪いを受けてしまった。
毛がもじゃもじゃと生え、なんでもかみ砕く鋭い牙が大きな口に生えそろい、でっぷりと腹回りは太り、三角の耳が頭から生えたそうだ。以前森に迷い込んだ狩人から聞くに、その姿はまるでヤマネコのようだった、と。」
「なるほど。だから、ヤマネコ貴族なのですね。」
「そうだ。貴族が人を食うようになってから、彼の屋敷の使用人は皆逃げ出した。
今は彼のおこぼれをもらうがために群がる獣と、ならずものであふれかえり、彼をあがめている。彼はあそこで、いまでも立派に貴族を気取り、彼が好む芸術や人を貪り食っているのだ。」
「そんなものがこの世にいるとは…」
唖然としている旅人を落ち着かせるように、村長は暖かい紅茶をすすめたが、男は口をつけませんでした。
しばらく沈黙ののち、村長は非常に言いにくそうに旅人に告げました。
「…旅のものよ。そなたの歌声は本当に美しい。このままではヤマネコ貴族に目を付けられ、たちまち食べられてしまうだろう。
ならいっそのこと、ヤマネコ貴族の屋敷に赴いたらいかがだろうか。君のきれいな歌声を献上すれば、ヤマネコ貴族は満足して、命までは奪わないかもしれない。ヤマネコとはいえ、もともとはいっぱしの貴族だ。彼を納得させることができたら、きっと君を襲わないと約束してくれるだろう。
…とはいえ、相手が化け者なのは変わらない。赴くことで、恐ろしい思いもするだろう。おじけづく気持ちもよくわかる。だからもしそれができないのであれば、あの化け物の屋敷に君の噂が届く前に、この村を去ったほうが良いかもしれない。
私は君の歌で本当に癒された。命を落としてほしくないために、ついうるさい忠告をしてしまっているが、どうか許してほしい。こんな小さな村のことだ。娯楽が本当に少ない。本当は君さえよければ、いつまでもここにいてもいいのだが…」
村長はそれだけ言うと、黙りこくってしまいました。
旅人は困惑しました。
これでは本来の目的だった自分の恋の話はできそうにありません。
旅人は用事を思い出したと嘘を言い、村長の家を後にしました。
旅人はうなだれ、ヤマネコ貴族という化け物を恐れながらも、この村を離れる気になれませんでした。片思いの娘の笑顔が、やたらと頭から離れなかったのです。
そして、ひどく悲しい気持ちで胸が詰まってしまいました。
男は暗い気持ちを晴らすために、いつもの小川の
すると、いつの間にか彼が恋焦がれる娘が横にいました。彼女は彼の歌声を気に入っており、彼がここで歌いだすと必ず来るようになっていました。今日もいつも通りに来てくれて、旅人は本当にうれしく思いました。
「旅人さん。こんにちは。なんだかとっても悲しげですね。いつもと違って、声の朗らかさがないわ。どうしたというのですか。」
「ああ、娘さん。聞いてくれませんか。僕はどうやらこの村を離れなければいけないようなのです」
「あら、なんということなの。どういうことか、話してくださるかしら。」
男は娘にヤマネコ貴族の話をしました。娘は話に合わせてくるくる表情を変えながら、あらかた聞いてしまうと、口を開きました。
「まあ!ヤマネコ貴族!初めて聞きました。けど、たしかに村長の言う通りです。
そんな恐ろしい化け物のでしたら、黙ってここにいてはいつか食べられてしまうでしょう。すぐにでも、会いに行ったほうがいいに決まってます。」
「そんな!娘さん。まさか僕にヤマネコに食われろというのですか?」
男は自分の片思いが破られたような気持ちになりました。
「僕はたしかにこの声は誇っているが、歌える歌は一つしか知りません。あなたも知っているでしょう。化け物とはいえ、とてもそんな芸術狂いを満足させられるなんて思えないのです。怒り狂った化け物にパクリ!ときっと食べられてしまいます。その時、あなたは僕のために泣いてくれるというのですか?」
大げさに悲しむ旅人を見て、娘はくすり、と笑いました。
「確かにあなたは私にとっての一番の歌い手だけど、ほかの人にとってはそうではないかもしれませんね。けど大丈夫。満足させることができるのは、なにも歌だけではありません。
それに、どうせならそんな化け物はやっつけてしまえばいいのです。
私に考えがあるわ。ちょっと耳を貸してくださるかしら」
娘は男に耳打ちをしました。男はくすぐられるように嬉しい気持ちを抑えて、娘の話に集中しました。
「なるほど。たしかにこれならうまくいくかもしれないですね。」
男は娘に感心しました。そして、自分が勇気を出せば彼女のそばにいられるかもしれない未来に賭けてみることにしました。
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