第3話 ヤマネコ貴族―はじまりの物語②

ヤマネコ貴族の家は村長の言う通り、森を抜けた小高い丘の上にありました。


旅人がヤマネコ貴族に歌を献上したいと門番に伝えると、すぐに門は開かれました。


なるほど、とても立派な建物で、貴族の美しさに囲まれたいという気持ちがそのまま表れたようなコギレイさです。庭も手入れされ、古き良き伝統の格調高いシンメトリーをかっちりと守っています。




 しかし一方で、どこからか気味の悪い匂いがそこかしこから漂ってきます。


また屋敷で働くものはみな人ならざるものでした。


仕草や衣服は美しく見せようと気を配ってましたが、顔はあきらかに人ではありません。一様にニタニタと下品に笑っていて、まさにそれは獣そのものでした。




旅人はそんなちぐはぐな様子を気味悪く思いながら、使用人に連れられて、とある大部屋に通されました。




「そなたがこのおれに歌を献上する吟遊詩人か」




大部屋の奥にはヤマネコ貴族が大きな椅子にふんぞり返ってました。


旅人はまじまじとヤマネコ貴族を見つめてしまいました。


ヤマネコ貴族はその名の通り大きなヤマネコでした。体中に毛が生え、三角の耳をぴんとそばだてています。長いしっぽは予測不能な動きをしています。


しかし、一番驚くべきなのはその大きさです。旅人も体は小さくないほうでしたが、ヤマネコは旅人の二倍があるほどの背丈をしていました。


ヤマネコ貴族はおなかについた脂肪を大事そうにさすりながらこちらを見ています。旅人は慌てて跪き、挨拶をしました。




「真の芸術がわかるという、由緒正しい貴族様がいるとお聞きしまして、こちらに参りました。


どうか私の歌声を聞き、この歌声の真価を判断していただけないでしょうか」




「ほう…命知らずの若き芸術家アーティストよ。


自らの価値を知るために命まで差し出すのか。


おれがただの美食家ではないことをお前も知っているだろう。


お前の歌声がつまらないものだった時、おれはお前のことを食いちぎり、腹の肥やしになることによもや文句はつけまいな?」




「はい。その覚悟で参りました。ただひとつ、お願いがあります。


もし私があなたを満足させることができたならば、私を最高の歌い手と認め、今後一生私の命を狙うことはしないと、約束してもらえないでしょうか」




ヤマネコは嬉しそうににんまりと笑いました。たくさんの人を食いちぎってきたであろう鋭い牙が、むき出しになります。




「わっはっは!いい心意気で気に入ったぞオ…


ぐふふ…芸術家を食べることはこれだからやめられない。


初めて食べた人間も芸術家だった。そいつは口下手で、人間と付き合うよりもひたむきに木に向き合い、きれいな造形を掘る彫刻家だったなあ。


お前のように香りは青臭かったが、自らの腕の研鑽を積んだ人生はミントのようなすがすがしさで食べた瞬間、心がスッとしたんだよなあ。


ああ、思い出したらよだれが止まらない。


お前はどんな味がするのか楽しみだなあ。


どれ前菜と行こうじゃないか。…さあ、まずは演奏をしてみたまえ。」




そういってグフグフと滴り落ちるよだれをすすりながら、下品に笑いました。気取っていたふるまいを忘れて、うれしくてたまらない様子です。なんという恐ろしい光景でしょう。


男は震えだしそうになる足を、必死に落ち着かせました。




そして一度深呼吸をすると、ギターを片手にメロディーを奏でます。なるべくのびやかな歌声を出すよう努めました。体に染みついていて離れない、旅人の唯一の「芸術」でした。ヤマネコは静かに聞き、目を閉じ、歌物語が終わった時、再び目を開きました。




「なるほど。とてもきれいないい歌だ。ふむ、芸術といってまごうことのない歌い手だ。」




そういった瞬間、男は気が一気に緩みました。これで無事に帰ることができそうです。


男はさよならの挨拶をしようと再び跪こうと思ったとき、ヤマネコ貴族は口を開きました。




「だが、いまひとつ足りないな。この歌は情緒的で甘美なドレッシングがかかっている前菜にしか値しない。


腹を膨らますためにもメインディッシュは必要だ。


ふむ、メインディッシュはそうだな…最近王都で流行っている高らかな前奏が印象的な、あの歌ではどうだろうか。天井を突き抜けるような彼かの曲の健やかさをお前の歌声で聞かせてくれれば、俺は満足するだろう」




男は目の前が真っ暗になりました。やはり自分の渾身の一曲ではヤマネコを満足させることができなかったようです。




「尊敬する確かな耳をお持ちの貴族様。


残念ながら私ができる歌は、この一曲しかありません。


この曲に向き合い、多くの時間を割いてきたからこそ、この質の演奏ができるというものです。


しかし、私はまだ若く時間があります。求められたその曲を練習する時間をもらうことはできないでしょうか」




「なるほど。お前の言うことも一理ある。


‥‥だが、残念だな!おれはもう空腹の限界だ。つまらない人生を送る男を最後に、おれは人間をしばらく食べていない。雑味が強い獣を食べるのは、もう飽き飽きだ。お前を育てるまで待つ時間はないのだよ!


さあ、おれは約束通り、お前の真価を見定めたぞ!お前は約束通り、おれの腹の中に入ってもらおうか!」




ヤマネコはそう言って旅人に襲い掛かりました。ヤマネコの体が旅人を押し倒し、口を大きくあけ鋭い牙をあらわにしました。血生臭い息が顔にかかります。 




旅人の視界はもうヤマネコで覆いつくされていて、まったく前が見えません。


もう食べられるのを待つばかりです。


旅人は仕方なく、乙女が言ったとおりにある提案をすることにしました。

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