第7話 美しい顔、恐ろしい顔

「エレナ?」

 部屋へ入っていただいたものの、私は落ち着きません。

「どうした、エレナ。先ほどから一度も目を合わさんが」

「……本当に、守護竜様なのですか?」

「グリフィンと呼べ、と言ったはずだ」

「申し訳ありません。でも、今のそのお姿の守護竜様を、愛しい名で呼びづらいのです」


 声や口調は、間違いなく守護竜様のものです。

 けれど私は今、目の前に立つ美しい男性を、愛する『グリフィン』と認識できずにいました。

「なぜ、そんな姿をされているのですか?」

「ニンゲンの女は、この姿の方が喜ぶらしいからな」

「私は……喜びません」

「……」

「私が愛したのは、本当の姿の守護竜様です」

「エレナ……」

「ここに始めて訪れた日、守護竜様はおっしゃっていたじゃありませんか。この姿の俺を受け入れろと」

「……」


 守護竜様は驚いたように目を見開き、私を見下ろしています。

「聞いていた話と違う。ニンゲンの女は竜の姿を恐れいとうものだと。そしてこの作り物の姿を望むのだと」

「……」

「エレナ、なぜ俺から距離を置く」

「申し訳ありません。どうしても、今の守護竜様が初めて出会った人としか思えなくて」


 守護竜様は困惑した表情を浮かべていましたが、やがてクックッと喉の奥で低く笑いました。

「嬉しいぞ、俺の本当の姿を愛してくれて」

「守護竜様」

「しかしな、あの姿のままではお前を抱きしめることも叶わんのだ。くちづけをしただけで、お前をよろけさせてしまう」

(あ……)

 これまで受けた、二度のくちづけを思い出しました。一度目はよろめき、二度目は尻もちをついてしまいました。

「それに本来の大きさだと、この屋敷に入ることも叶わん」

「そう、ですよね……」

 頭では理解できましたが、どうにも抵抗があります。

「ですが、これまで全くなじみのない顔の人と、いきなり親しくするのは難しいです。申し訳ありません」

「エレナ」

「……いっそ私が、守護竜様のつがいに相応しい、竜の姿になれればいいのに」


 私の言葉に、守護竜様は吹き出しました。

「それは困る。エレナの顔が変わってしまうではないか」

「困るのですか?」

「あぁ。俺が愛したのはその姿のエレナだ」

「なら、私の気持ちも分かっていただけますか?」

「……なるほど、そう言うことか」


 言ったかと思うと、黒髪の美丈夫は光に包まれます。

 光が消えた時、そこには人と似た体つきではあるものの、全身が鱗に覆われ竜の頭を持つ存在がありました。

竜人ドラゴニュート……」

「今はこれで勘弁してくれんか?」

「……」

「先ほども言ったが、竜本来の姿ではお前を心行くまで愛することが出来ん。この屋敷にも入って来れん。俺は、どうしても……愛しいお前をこの手で抱きしめたいのだ。そして、思うがまま慈しみたいのだ」


 そのお顔は、いつも私が目にしているものと同じでした。

 複雑な形の鱗が入り組み、芸術品のような陰影を作り上げています。頭部にそそり立つ青みがかった銀の角。全身を覆う漆黒の鱗はごつごつとしていて鎧のようです。

「グリフィン……」

 私がその名を口にすると、守護竜様は嬉しそうに微笑みます。

「来るがいい、エレナ」

 大きく広げられた腕の中へ、私はおずおずと身を預けました。

 逞しい両のかいなが、私を優しく包みます。

(あぁ……)

「グリフィンの匂いがします」

「当然だ、俺なのだから」

「この手触りも、好きです」

「エレナ、……ありがとう」

 その身を覆うのは固い鱗でしたが、守護竜様は私を傷つけぬよう細心の注意を払いながら、愛してくださいました。



「お前は妙な娘だ」

 目を覚ました時、朝の白い光の中で守護竜様は微笑みました。鱗に覆われた固い手が、そっと私の髪を撫でつけます。

「ニンゲンは自分と似た姿の者しか愛せないと聞いていた。歴代の守護竜は、命を繋ぐ力を受け取るため、やむなく望まぬ作り物の姿で姫の機嫌を取っていたと。俺はその話が、大嫌いだった。愛してもくれぬ相手に媚びへつらうことでしか手に入れられぬ力。そんなもので命を長らえるくらいなら、短命で終わってもいいと」

「……」

「お前は俺を恐ろしいと思わないのか? 醜いと思わないのか?」

「思いません」

「即答だな」

「どなたがそんな哀しいことを言ったのでしょう」

「歴代の守護竜のつがいとなった姫たちだ。そう書き記されている。竜本来の姿は、ニンゲンの目にはそう映るのだと」

「初代の姫君は違ったと思います」

「そうだな、一人だけ変わり者がいた。そしてお前で二人目だ」

「私は代わり者でしょうか?」

「そうだ。……愛しい変わり者め」

『変わり者』と蔑まれることはこれまでもありました。けれど守護竜様の声で伝えられるこの言葉は、とても暖かいものに感じました。


「醜いなんておっしゃらないでください」

 朝の光を浴び、うっすらと虹色に光る漆黒の鱗に私は触れます。

「こんなに美しいものを否定されて、さぞ傷ついたことでしょう。そこまでして、ヒトと関わる意味は守護竜様にはあったのでしょうか?」

「命を長らえる効果がある、と言い伝えられていたからな。実際の所、効果のほどはよくわかっていないのだが」

「えっ? わかっていないのですか?」

「あぁ」

 ならば王家の姫でなくともよい、その可能性もあるのでしょうか。

「だが、歴代守護竜がニンゲンと関わりを持ち続けてくれたおかげで、俺がお前に出会えたのは事実だ」

「グリフィン……」

私たちはくちづけを交わしました。ひやりと固いその感触も、とても愛しく思えました。

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