第3話 初めての空

 守護竜様の花嫁となったものの、特にこれと言ったお役目を与えられることはありませんでした。屋敷の中に人間は、私たち以外には最低限の人数の使用人がいるきりです。


「退屈だわ」

 今日も私がロクサーヌ様の身なりを整え終わると、彼女は憂鬱そうに呟きました。

「エレナ、何か面白いものはないの? 退屈過ぎて死んでしまいそうよ」

「そう言われましても……」

 ご自身の身の回りのことをご自分でなさっては?と喉元までせり上がってきましたが、ぐっと飲み下します。表向きの立場を逆転させたとはいえ、ロクサーヌ様は一国の姫君で、私は男爵家の人間にすぎません。

 私の方は、ロクサーヌ様より日がな一日あれこれ言いつけられて、休む暇もないのですが。


「ロクサーヌ様、書庫に行かれてはいかがでしょう?」

「本などつまらないわ」

 即座に却下されてしまいました。

「あぁ、つまらないつまらない! ここには何もないんだもの! 美しい宝石もドレスも靴も、楽しいおしゃべりも!」

「おしゃべりでしたら、庭師のおじいさんが大変楽しい方で……」

「そう言うことじゃないのよ!」

「では、庭園の散歩はいかがでしょう? 丹精された花がとても美しく……」

「花?」

 ロクサーヌ様は少し興味を持ったようですが、すぐにため息をつきベッドへ突っ伏してしまいました。

(困りました)

「で、では私が行って取ってまいりますね」

 完全にむくれてしまわれたロクサーヌ様を部屋に残し、私は庭園へと向かいました。




 思えばロクサーヌ様も気の毒な方です。

 王家の姫君として何不自由なく暮らしていたのに、50年に一度の約束の年にちょうどいい年回りという理由で、守護竜様の館に閉じ込められ、生涯人の世から離れた生活を強いられることになったのですから。その立場は生贄と言っても過言ではないでしょう。

 侍女としてここに同行することとなった私も、そうなのですが。


(あ……!)

 訪れた庭園には、先客がいらっしゃいました。

(守護竜様……)

 ごつごつとした鱗に覆われた漆黒の巨体が、噴水の側に横たわっておられます。

 足音を忍ばせ頭の方へ回り込むと、守護竜様は目を閉じて休んでいらっしゃるようでした。

 閉じた羽を、噴水から放たれた細かな飛沫が潤しています。

(やはりトカゲとは違いますね)

 守護竜様のお姿を私はじっと観察しました。

 様々な大きさの鱗が複雑に重なり合い、独特な陰影を作り上げていて、まるで芸術品のようです。

 蒼銀色の角は全部で六本。ごつごつとしていて、野性味と品性を感じます。

 背に流れるたてがみのような部分は、雄々しく切り立った峰を思わせます。

 そして陽光を反射する黒い鱗は、よく見ればうっすらと虹色に輝いていました。

(綺麗……。黒曜石に少し似ているでしょうか……)

 そんなことを思いながら、顔を近づけた時でした。

 ふいに守護竜様が瞼を開き、青みがった銀の眼が私を見たのです。


「さっきから何をしている」

「あっ、申し訳ありません!」

 私の顔を鏡のように映した銀の眼から、私は距離を置きます。

「あまりに美しかったのでつい、見入ってしまいました」

「美しい?」

 喉の奥で低く笑いながら、守護竜様が上半身を起こし、身を震わせました。

「貴様らニンゲンに竜の美しさが分かるものか」

「竜の美しさは分かりませんけど」

 私は守護竜様の目を見つめます。

「守護竜様の黒い鱗は、複雑な色合いをされていて、とても綺麗だと思いました」

「ふん」

 なぜか少し不機嫌そうに鼻を鳴らすと、守護竜様は私から目を逸らします。

「庭園へは何をしに来た」

「あっ、えぇと……。綺麗な花を頂ければと。お部屋に飾りたくて」

「花が見たければここへ来ればいいだろう」

「ロクサ……いつも忙しく働いている侍女に見せたいのです」

「……」

 守護竜様はしばし何かを考えているようでした。そして急に私の前へ、ずいと頭を突き出しました。

「乗れ」

「え?」

「俺の頭の上へ乗れ。そして角の間へ座るがいい」


 私は言われた通り、守護竜様の頭の上へとよじ登ります。

「し、失礼いたします。これでよろしいでしょうか」

「角をしっかり掴め。両手でだ」

「はい」

「飛ぶぞ」

「はい。……え? とぶ?」

 私の言葉に答えはなく、代わりにぐいっと守護竜様の頭が持ち上がります。

(きゃ……!)

 あっという間に遠のいた地面に、私は眩暈を起こしそうになりました。

「ふらふらするな。角に掴まれと言ったはずだ」

「は、はい!」

 背後からバサリと音がしました。肩越しに振り返ると、コウモリのような翼が大きく羽ばたいています。やがて、ふわりと体が浮くのを感じました。

(飛んだ……!)


 守護竜様が飛び立ちました。バッサバッサと羽を動かすたびに、私の体は上昇していきます。

(ひぃ!)

 あっという間に、屋敷がおもちゃの家サイズに見えるようになってしまいました。噴水など、指の先に乗せられそうです。

「もう一度言う、しっかり掴まっていろ。落ちても拾ってやらんからな」

「は、はい!!」

 守護竜様は首を巡らせ、北に向かって大きく旋回しました。

 私は気を失わぬよう歯を食いしばり、震える手で懸命に銀色の角に掴まります。

 風は絶え間なく、びゅうびゅうと耳元をなぶりました。

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