第2話 嘘の始まり

「何用だ」

 広間へ足を踏み入れると、守護竜様は巨体をねじり、私の方へと首を向けました。

「貴様は花嫁の侍女ではないか。なぜ花嫁のドレスを身に着けている?」

「あ、あの、守護竜様……」

 私はごくりと唾を飲み込みます。

 目の前には漆黒の大木のような尾が寝そべっています。下手なことを言えば、このごつごつとした鱗に覆われた尾で、弾き飛ばされてしまうでしょう。

「じ、実は私こそが、王家の姫なのです」

「何?」

 ズズ、と音を立て尾が移動します。私は思わず身をすくめました。ずしんずしんと床を揺らした後、守護竜様は私を真正面から見下ろしました。

「貴様がまことの姫だというのか。なぜ俺をたばかった」

「は、恥ずかしかったのです」

「恥ずかしい?」

 言い訳としては苦しかったでしょうか。けれど何とかこの場を取り繕うしかありません。

「まっすぐに守護竜様と見つめ合うのが恥ずかしく、つい侍女を前に立たせ、その陰から様子をうかがうような真似をしてしまいました。失礼をいたしました。心よりお詫び申し上げます」

「ふん」

 意外にも守護竜様は一つ鼻を鳴らしたきり、再び床を揺らしながら私へ背を向けてしまいました。

「あの……」

「なんだ」

「お咎めは、ないのでしょうか」

「ない。どうせニンゲンなど、どれも大して変わらん」

「そう、ですか」

「話は終わりか? なら部屋へ戻れ」

 私は一つ頭を下げ、広間を後にします。

 ほっとした半面、なぜか少し寂しい心持がしていました。



 与えられた『花嫁の部屋』の近くまで戻ってきた時でした。

「キャアアッ!!」

 手前の『侍女の部屋』からロクサーヌ様の悲鳴が聞こえてきました。

「ロクサーヌ様!?」

 部屋に飛び込むと、ロクサーヌ様は窓を指差して震えています。窓枠の上に小さなトカゲが貼りついていました。

「まぁ、なんてきれいな青色。宝石のよう」

「何を馬鹿なことを言っているの! さっさと追い払いなさい!」

「トカゲがいるのは窓の外ですよ。部屋には入ってきません」

「そう言う問題じゃないの! いるだけで気持ち悪いでしょう!?」

 私はカーテンを閉めます。

「これで見えませんよね」

 ロクサーヌ様はブルブルと震えながら、私を睨みつけます。

「見えなくても、そこにいると思うと耐えられないわ」

「あんなにきれいな青色をしているのに?」

「そんな風に思うのは、あなただけよ! 常識で物を考えなさい、この変人!」



 あぁ、やってしまいました。

 実は私、他の令嬢たちと違い、トカゲに対して悪い感情を持ちあわせておりません。

 なめらかなシルエット、大きな目、つやつやした鱗。そのどれもを愛らしいとすら思えてしまうのです。学園でも、箒で叩き潰されそうになっていた迷いトカゲをハンカチに包んで逃がしてやったばかりに、すっかり変人扱いされていました。



「この部屋は、エレナあなたが使いなさい」

 そう言って、ロクサーヌ様は『花嫁の部屋』へと向かいます。

「トカゲが窓に張り付いている部屋なんて、気持ち悪くって」

「ですがロクサーヌ様、私が『侍女の部屋』で寝起きしていることが守護竜様に知れたら、きっと変に思われてしまいます」

「知られるはずないわ。だってあの竜、人の姿になる気がないのでしょう? 屋敷に入って来られないもの」

 言われてみればそうかもしれません。この屋敷は、守護竜様の体には小さすぎるのです。


「あなたを連れてきて正解だったわ、エレナ」

 ロクサーヌ様は肩をすくめ、鼻で笑います。

「美男子の姿になるとは聞いていたけれど、やはり正体は竜だもの。トカゲ好きのあなたになら、いざとなれば全て押し付けてしまえると思っての抜擢だったのよね」


 あぁ、納得いきました。学園でも社交界でも大して親密でない私が、なぜ王女様の侍女に選ばれたのか、ずっと不思議に思っていたのです。

「まさか人の姿にならない、あんな傲慢な竜が相手だったなんて。でもエレナ、あなたなら大丈夫よね? 大好きなトカゲの花嫁になれるなら本望でしょう?」

 ロクサーヌ様、それは少し違います。

 まず、守護竜様はトカゲではありません。そしてトカゲは可愛いですが、恋愛対象として見ているわけではありません。

 そう思いはしたものの、私は言葉を飲み込み、ただ微笑んで頷きました。

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