作戦会議②

「あなた、起業家志望って言ってたわよね?」

作戦会議を始めた杏子の顔をタツヤは真剣な面持ちで見つめた。もちろん、話を聞くためではあるが、それは理由の半分だけ。彼女の顔を近い距離で見つめても不自然に思われない。この貴重な時間、瞬きするのも勿体ない。


「ネット広告には詳しいのかしら?」

「いや、あんまり」

「そう。それなら、イロハを教えてあげる」

杏子は真剣な表情で説明を始めた。

「ネット広告で重要なことは3つ。どれだけの人の目に留まるか、どれだけの人が広告をクリックするか、そして実際に何人の人が買い物をしてくれるか。わかる?」


タツヤは無言で頷く。


「最初の2つは、広告の世界ではCTRって数字で表現されるの。広告を目にした人の数と、広告をクリックしてくれた人の数の割合。つまり、広告が1000人の顧客候補の目に留まって、そのうちの10人が広告をクリックしてくれれば、CTRは1%ってこと」


「なるほど」


「つまり、CTRは広告の効率を示す指標なの。広告っていうのは人の目に届くようにするだけでお金がかかるの。だから、限られた時間の中で、出来るだけ多くの人にクリックしてもらえるように、効率を上げる必要があるの。いいわね?」


タツヤは杏子の目を見つめたまま、頭を縦に振る。


「じゃあ問題。CTRを上げるにはどうすればいい?」


「できるだけ多くの人に広告を届ける」

タツヤは即答した。


「残念。違うわね」


「えぇっ?」

サービス問題だと思って自信を持って答えたのだが、意外な返答。


「良く考えて。多くの人に広告を届ければ、クリックの数は増えるかもしれないけど、CTRは増えないのよ。CTRは確率だから。 つまり、このチラシがいくらでもあるのなら、手あたり次第にばらまけばいいんでしょうけど、数は4千枚って決められているの。下手な鉄砲を撃ってちゃだめなの」


「確かに」


「でしょ。じゃあ、どうやってCTRを上げる?」


「うーん、、」

タツヤは考え込んだ。


「ゆっくり考えさせてあげたいけど、時間が無いから答えを言っちゃう。CTRを上げるには、その商品に興味を持っている人にだけ広告を届ければいいのよ。

例えば、あなたがメンズのシャツを販売しているなら、広告は男性に絞った方が確立は高まるでしょ? ターゲットの年代があるのなら、それも絞った方がいい。オンラインの広告なら、それができるのよ」


杏子の言っていることに心当たりがあった。スマホで何かを検索すると、それに関連した広告が表示されることには気が付いていた。それを便利に感じたことはあまりないし、広告が表示される事を煩わしく感じて、検索を躊躇してしまう事もあるのだが、広告を打つ側からしてみれば、CTRは上がるのかもしれない。


「それを踏まえて、私たちの作戦よ」

杏子の矢を射るような鋭い視線に、タツヤは込み上げるドキドキを抑えることができない。

「私たちの最終目標は、伊藤杏子に投票してくれる人を増やすこと。だから、その可能性が高いと思われる人だけにチラシを配りたいの」


杏子の「私たち」という言葉に、タツヤの胸は高鳴った。杏子の「私たちメンバー」に自分も入っている。


「私の選挙戦のキーワードは、スモールビジネス、起業、女性の社会的地位向上、子育て支援。興味を持ちそうな人のイメージ、湧くかしら?」


「女の人っスかね? 若い女の人。子育てしてるお母さんとか」


「そこは間違いなくターゲットね」


「あと、女性の社会的地位向上ってところは、企業で働く女の人にも引っ掛かりそう。銀縁の眼鏡かけてるみたいな」


「いいわね」

小さく笑いながら頷く杏子。タツヤは手ごたえを感じた。


「あと、起業ってところは、男でも興味があると思うな。俺なら興味ある」


「年代は?」


「若いやつら」


「そうね。でも、」

杏子の艶っぽい上目遣いに、タツヤの胸のバクバクが加速する。


「男って、妙なプライドがあるのよね。特に年下の男に対して。だから、たとえ起業に興味があったとしても、年下のあなたに言われちゃ、素直には聞かないと思うな」


「そうかも」とタツヤは思う。


「あなたは女性専門でいいわ。あんたカワイイ顔をしてるから、案外ウケがいいかもね」


心の中の理性と煩悩のバランスが崩れ始める。冷静に、真剣に、杏子の戦略レクチャーを受けているつもりなのだが、胸のバクバクが制御不能になってくる。


「ただ、その金髪は女企業戦士にはウケないわね。これ被って隠しといて」

そう言って、さっきまで被っていたニット帽を、タツヤの頭に被せた。杏子の細い指先がタツヤのこめかみに触れる。

胸の中の感情が核融合を始め、体の細胞が爆発を起こす。

爆風が渦巻くタツヤの心の中に、新しい感情が生まれていた。

「ロイヤリティー」

杏子の為に何かをしたい。そんな忠誠心に似た気持ち。


タツヤは一人、食品スーパーの入り口に立った。

「伊藤杏子。市議会議員に立候補しています。よろしくお願いします!」


杏子はカフェに残って、演説の最後の詰めを行っている。


「西東京市を、より住みやすく、働きやすい市に変えていきます!」

こんなに胸が燃えたのは何年振りだろう? 意味のある何かに向かって走っている。久しぶりに思い出した「やる気」。


「この後、本人による演説を行わせていただきます。よろしくお願いします!」

ベビーカーを押す女性には、積極的に歩み寄って選挙ビラを手渡した。

「オレ、興奮してる」

頭のどこかで、冷静な自分が俯瞰している。

「杏子さんって、人を乗せる天才だな」

彼女の手のひらで踊らされていると思いながらも、嫌な気はしない。

タツヤは起業を成功させるとはどういうことか、知ったような気がした。

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トウヒョウ GO @kazoo24

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