作戦会議

日が傾き始めた午後3時過ぎ、タツヤは杏子が街頭演説を予定しているホームセンターに向かっていた。途中、市内でも最も利用客の多い田無駅前に立ち寄った。駅には線路を挟んで北と南に出口があり、大きな商業施設は北口に集まっている。改札のある駅の2階からは、バスターミナルを見下ろすように遊歩道が伸び、向かいの商業ビルへと連絡されている。


北口の一階の出口付近では、のぼりを立てた候補者がビラ配りを行っている。遊歩道が伸びる2階出口でも、候補者がいてビラ配りを行っているのが見える。お互いに気を使っているのか、拡声器を使っての演説は行っていない。後ろを振り返ると、連絡橋の先の商業ビルの入り口あたりにも、候補者らしい男が立っている。さすがに人が集まる一等地、競争率が高い。


「この場所で、どうやって演説機会を獲得するか?」

自転車の上で考えながら、タツヤは駅から10分ほどのホームセンターへ向かった。

そこは、食料品スーパーや小型の家電量販店なども集まった、広い駐車場がある郊外型の商業施設だ。タツヤは車と同じ導線を辿って杏子の姿を探した。


建物の入り口付近に、黒のトレンチコートの女の姿があった。ウエストの締まったシルエット、スラリと長いロングブーツ。遠目からでも一目で彼女だと分かる。タツヤは自転車を降りて、買い物客にビラを配る杏子に駆け寄った。


「お疲れ様です!」

少し脈拍が上がったのは、自転車置き場から走ってきたからだけではない。

「お、来てくれたのね。ちょっと手伝ってくれる?」

「もちろんっスよ」

タツヤは二つ返事で引き受けた。


「ちょっと作戦会議しよっか」

杏子はついてくるように促して、建物内の小さなカフェへと向かった。

後ろをついて歩くタツヤの脈は上がりっぱなしだ。


「あなたにはビラ配りをして欲しいの」

アールグレーのホットティーを口にしながら、配布用の選挙ビラを見せた。

「さっき事務所行って見せてもらいました。書いてあることも、だいたい理解してます」

「上出来」

そう言って見せた笑顔に、美しく洗練された大人の女性の顔の奥から、無邪気であどけない少女の一面がふと顔をのぞかせた。


実はこの選挙ビラ、告示の直前に鋼三に指摘されて作り直したものだった。

杏子は市議会選への出馬を決めた数週間前、自分の考えをまとめる目的もあって、選挙活動で使う前提でビラの作成を始めていた。仕事で得たノウハウを活用して、学生用、若い社会人用、主婦用、ビジネスマン用、年配層用など、ターゲット別のビラを製作した。内容に大きな違いがあるわけではないが、記載の順番、フォント、色合いなど、ターゲット層に刺さるようデザインを変えたものを用意した。


しかし、選挙告示の2日前、ボランティアを名乗り出てくれた鋼三に、選挙運動用のビラはA4以下のサイズで2種類までと決められている、と指摘されたのだ。

もっと早い時期から選挙コンサルタントなどを雇って相談をしておけば良かったのだが、杏子は何でも自分でやってしまう悪い癖があった。出来てしまうからやってしまうのだが、未知の世界に飛び込む際には、いかに専門知識を持った人間を巻き込んで、仕事を任せてゆくことが出来るか、それはビジネスの世界でも同じことである。

「何なのよ、そのくだらない決まりはっ!」

毒づいてみせたが、それは勉強不足を露わにされた照れ隠しでもあった。

資金力のある候補者が有利にならないように、という公平を期すための理由から生まれた決まりだというが、クリエイティビティの制限ではないか、と納得はいっていない。


カフェラテのマグカップで手を温めるタツヤに、杏子は選挙ビラの束を渡しながら説明を続けた。

「それで、これを配る相手なんだけど、誰でもいいって訳じゃないの。配れるビラの数は4千枚って決まっているの。だからターゲットを絞るのよ」


一人の市議会議員候補者が頒布できるビラの数は4千枚以内と上限が定められている。資金力の差を無くすための決まりとしては筋が通るが、有権者17万人に対して4千枚は少ない。効率よく配る必要がある。


タツヤは静かに頷きながらも、心の中で思った。

これはただのビラ配りではない。彼女の知名度を上げることができるかどうか、自分の仕事にかかっている。

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