第46話 「だって、キスしたかったんだもん」

 ……どうしてこうなったんだろう。水着姿のお姉さんに抱きつかれて、理性崩壊のギリギリ一歩手前で踏みとどまって。


 一人になった俺は、精神統一しようと目を閉じたんだ。


 そしたら仕事中だというのに眠ってしまって。起きたら涙目のお姉さんが俺に抱きついていた。


 怖いの苦手なのになんでゾンビ映画なんて見ていたのか分からないけど、まぁ、夏だし適当につけたテレビがたまたまそうだったのだろう。


 それよりも、俺を起こさないために悲鳴を堪えていたのかと思うとなんともいじらしい。


 けど。


『朝までずっとそばにいて』なんて、いくらなんでもまずくないか。すでにさっき理性崩壊しかけたとこなのに。


 しかも今、お姉さんは幸せそうに俺に抱きついていて。俺はつい、お姉さんを抱きしめて頭を撫でてしまっている。


 さっきまでは寝起きでちゃんと頭働いてなかったけど、だんだん目が覚めてきた今ならこの状況のまずさが理解出来る。


 もう、ちょっとしたことでも俺の理性崩壊のきっかけになりかねない。


 とはいえ、あの状況で断れるはずがないじゃないか。もとはと言えば、仕事中だというのに眠ってしまった俺が悪いのだから。


 はぁ。マジで俺の理性仕事しろよ。だいたい、お姉さんもお姉さんだよ。


 警戒心というものがないのかよ。いや、そうでもないか。たぶんお姉さんの警戒心が緩いのは、俺にだけ。そこがなんとも俺のタガを外しにかかってくるのだけど、それにしても緩すぎないか。


 あんな水着姿で『抱きしめて』なんて。でも、暴走しかけた俺に真っ赤な顔して拒んだのもお姉さんで。


 はー。胸、おっきかったなぁ……。……じゃなくて!


 ああ、つい、理性がどこかに行きそうになる。それも今のこの状況が悪い。

 こんなに抱きつかれていては、嫌でも意識してしまうのだ、胸元の柔らかな質量を。


 けれどたぶん、お姉さんは思わせぶりなだけで、そこまでの考えはないのだろうな。考えなしにその場その場の気持ちで行動するタイプだ。絶対。


 そしてたぶん、お姉さんが俺に甘えるのは、ただ甘える相手が欲しかっただけで、本当の意味での恋愛感情じゃないんだろうな。


 じゃなきゃお金払うから朝までそばにいてなんて言わないだろうし、お姉さんと俺では、あまりにも身分が違い過ぎるのだから。

 

 所詮俺は、なんでも屋。雇われているだけの関係。レンタル彼氏とか、ホストとか、その類に過ぎないのだ。


 そう思って、気を引き締めた。その時。


「ねぇ、なんちゃん」


 俺に抱きつくお姉さんが、上目遣いで話し掛けてきた。


 いつも思うけど、お姉さんのこの顔、可愛すぎるからやめて欲しい。理性がどこかにいきそうになる。……そんなこと、本人には言えないけれど。


「はい。なんですか?」


「あのね、……その、さっき、なんちゃん、本当に寝てた?」


 もじもじしながらお姉さんはそんなことを聞いてきた。


「え? あ、はい。すみません。完全に寝てしまってました。夢まで見て」


「……夢。……そっか。夢、見てたんだ」


 お姉さんは少し残念そうな顔をする。


「はい。えっと……仕事中なのに、すみせん。ほんと、うっかり……」


 申し訳なくなってきて、謝ったのだけど、お姉さんはぶんぶんと首を振った。


「んーん。いいの。謝らないといけないのは私の方だから」


「え??」


 そんな事を言われて意味が分からない。なんでお姉さんの方が謝らないといけないのだろう。明らかに仕事中だというのに寝てしまった俺が悪いはずなのに。


「……あのね。さっき……なんちゃん寝てる時、……キス、しちゃった。ごめん」


「……え??」


 まさかの言葉に思考回路がショートする。


「……だって。眠ってるなんちゃんの唇、可愛くて。つい」


 そういうお姉さんの顔は赤くなっていて。上目遣いだけでも可愛いのに、真っ赤になって『キスしちゃってごめん』なんて、そんなこと言われて『ああそうですか、いいですよ』なんて、言えるはずがない。


「……なんでそーゆーこと、正直に言っちゃうんですか」


「え、だって、悪かったなって思って。謝らなきゃ、と……思って……ご、ごめん、なさい……」


 俺の気迫のせいなのか、お姉さんは叱られた子犬みたいな顔をして、しゅんと小さくなった。


「そういう意味じゃないです」


 俺は低い声でそう言うと、くいっとお姉さんの顎を持ち上げた。


「……えっ」


 いわゆるあごクイの状態に、お姉さんの顔はさらに真っ赤になっていて。真っ赤になってる顔が可愛いと思うのは、俺の方こそなんだと、この時初めて自覚した。


「……お姉さんだって唇可愛いの、自覚してます? キスしたいの、お姉さんだけじゃないんですけど。……ズルくないですか。お姉さんだけ覚えてるなんて。俺、なーんも覚えてないんですけど」


 今、お姉さんの部屋に二人きりで。ソファーに座って抱きしめ合っている状況で。俺はお姉さんの顎を持ち上げて、今まさにキスしようとしている状況で。


 お姉さんだってさすがにそれを分かってて、そして嫌なら拒めるくらいの力加減のはずなのに。そこで言ったお姉さんの言葉は、俺のタガを外すのに十分だった。


「だって……キス、したかったんだもん。なんちゃんとっ!」


 俺はちゃんとお姉さんの言い分を聞い終えてから、その唇に自分のそれを強く重ねた。だってそれって、俺とならキスしたいってことじゃないか。


「……んんっ」


 その瞬間、甘い声を漏らすお姉さんの身体の力がへにゃっと抜ける。


 ……なんで自分から挑発するようなこと言っておいて……こんなに真っ赤になってるんだよ。……お姉さんが可愛すぎて、俺の方がどうにかなりそうだ。

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美人なお姉さんに、日給2万でそばにいてと依頼された件~思わせぶりなお姉さんに、俺の理性がたまに仕事しなくなるんだが?~ 空豆 空(そらまめくう) @soramamekuu0711

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