第16話 変わりたい

「天野さん」

 

 昼休み、わたしは斎藤先生に呼ばれた。


「天野さん、昨日、お母さんと話したわよ。あなた、お母さんに学校のこと何にも話してないそうじゃない」


 体が固まる。


「ダメよ、お母さんにもちゃんと話さないと。すごくおどろいていたわよ」


 斎藤先生のお説教が始まった。

「友達を作りなさい」「もっと積極的になりなさい」「クラスの人ともっと話しなさい」

 そんなことばっかり。それができていたら、わたしはとっくにやってる。


「あ、高橋さんたち、ちょっといい?」


 何を血迷ったのか、斎藤先生は近くにいた高橋さんたちのグループに声をかける。


「天野さん、一人で寂しそうだから、一緒に遊んであげて」


 わたしは目を見開いた。なんで、そんなことするの? やめてよ。理解できない。

 高橋さんたちは顔を見合わせて、それから笑みを浮かべて言った。


「分かりました! 天野さん、一緒に遊びましょ!」

 

 高橋と目があった。彼女の目の奥は、笑っていなかった。彼女は、わたしと一緒に遊ぶんじゃない。わたしで遊ぶんだ。

 身の危険を感じ、わたしは後ずさった。


「よかったじゃない。これを機に仲良くなれるといいね」


 斎藤先生はそう言った。

 信じられなかった。斎藤先生は、わたしが高橋さんたちに、「ぼっちちゃん」とからかわれていることを知らないの? 全部分かった上で高橋さんたちに声をかけたの?    

 分からない。わたしには、この場にいる全員が悪魔のように見えた。


 こんなことになるなら、もう友達が欲しいなんて望まない。誰にも迷惑かけないよう、教室のはしでひっそりと生きていくから。

 だからもう、余計なお世話はやめてください。

 そう言いたいのに、怖くて声が出ない。思ったことを口に出せないのが腹立たしい。なによ、引っ込み思案って。ただの臆病者じゃない。


「あ、あの、わたし、昼休みは、本を返しに行かないといけないので……失礼します」


 そう言うのが精一杯だった。わたしは走って教室を出る。涙が止まらなかった。

 わたしは図書室へと駆け込んだ。


「天野さん?」


 おどろいたように、山崎先生がわたしの顔を見る。


「どうしたの? 何があったの?」


 山崎先生の顔を見て、わたしはホッとした。この図書室だけが、学校の中で唯一安心できる場所。


「先生……わたし……」


 わたしは今までの出来事を、山崎先生に全部話した。山崎先生はわたしのつたない話を、ゆっくりと優しく聞いてくれた。


「天野さんは何も悪くない。斎藤先生と、それから高橋さんたち。彼女たちにはきっと、他人を思いやる心がないのよ」


 山崎先生はわたしの頭をポンポンと撫でた。


「天野さんは、よく頑張った。よく今までひとりで耐えた。話してくれてありがとね」


 もう顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。

 でも、山崎先生はわたしの味方でいてくれた。わたしは何も悪くない。そう言ってくれる人が、この学校にいてよかった。


「……わたしは人と関わろうとすると、直前でひるんでしまう臆病者なんです。だからずっと、ひとりぼっちで。わたしはこんな自分が、嫌で嫌で仕方がないんです」


 わたしは自分の気持ちを吐き出す。


「……変わりたい……わたし、変わりたいんです!」


 それがわたしの、心の底からの願い。

 この世界は、生きづらくて寂しい。そんな風に感じてしまうのは、わたしのせいだって分かってる。だから、変わりたい。


「天野さんは大丈夫よ。だってほら、もうすでに、変わりはじめてるじゃない」

「え?」


 山崎先生の言葉に、わたしは顔を上げた。もうすでに変わりはじめてる? いったいどこが?


「天野さんは今まで、先生に自分気持ちをこんなに話してくれたことある?」


 わたしはハッとした。

 そういえば、わたしはマリア以外に、初めて自分の思いを口にした。今までこんなこと、なんて思われるか怖くて言えなかった。


「先生は大きな進歩だと思うよ。今まで天野さんは、友達がいないことは教えてくれても、自分がどうしたいのかは言ってくれなかった。ずっと心配してたけど、余計なお世話かもしれないと思って、先生もどうすればいいか分からなかった」


 山崎先生は言う。


「天野さんは、もっと人に相談することを覚えなさい。今みたいに。そしたらアドバイスができる。先生も力になれる。ゆっくりでいい。一緒に頑張っていきましょう」


 山崎先生はわたしの肩に手を置いて、励ましてくれる。わたしを見放さず、一緒に頑張ってくれるんだ。それに胸がいっぱいになった。


「話してみないと分からないことって、たくさんあると思うのよ。その人がどんな人なのかっていうのは、関わるうちに分かっていくものよ。でも天野さんは、最初でムリだって諦めてしまってる。あなたはいい子だから、あともう一歩さえ踏み出せれば、クラスの子たちとも仲良くなれるはず」


 山崎先生は的確なアドバイスをしてくれた。

 最初っからわたしにはムリだって諦めちゃダメなんだ。下手くそでも話してみないことには、友達にはなれない。


「上手くやろうと思うから緊張しちゃうのよ。もっと深呼吸をして、リラックスするの。話しかけられた時のイメージトレーニングをしておくのも効果的かもね」


 今までわたしは、話しかけようとしても直前でひるんでしまい、話しかけられても緊張して上手く会話を続けられなかった。

 でもそれは、結局わたしが逃げているだけ。わたしに足りないのは、あともう一歩の勇気だ。


「コミュニケーションの基本は、あいさつよ。あいさつがなければ、会話も始まらない。まずは朝、クラスの子に『おはよう』って言ってみることから始めましょう。友達をつくる、第一歩よ」


 わたしはうなずいた。

 あいさつなら、わたしにもできるはず。「おはよう」と言うだけだ。深く考えなくていい。あいさつなんて、クラスの人としたことなかったけど、別に自分からしてもいいんだ。なんだか頑張れるような気がしてきた。


「山崎先生、わたし、先生に相談できてよかったです」


 わたしはひとりぼっちなんかじゃない。わたしを助けてくれる人は、ちゃんといる。

 ずっとワンダーランドにいたいなんて言って、ごめんなさい。もうちょっと、この世界で頑張ってみる。

 マリアやルカくんに出会ってから、わたしは少しずつ変わり始めてる。彼女たちのおかげだ。自分の気持ちをさらけ出すことができたのは。だから、ものすごく「ありがとう」と伝えたい。


「午後の授業はどうする? サボる?」


 山崎先生にそうたずねられ、わたしは吹き出した。


「先生がそんなこと言ったらダメじゃないですか」

「それもそうね、内緒にしてて」


 山崎先生は人差し指を唇にあてた。そして、いたずらっぽく笑う。


「たまには息抜きも大事よ。授業の代わりに、先生と好きな本について語り合うのはどう?」


 何それ、すっごく魅力的!


「はい!」


 わたしの涙はすっかり止んだ。

 なんだか清々しい気分だった。

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