第8話 マリアの魔法
「すっかり遅くなっちゃったわね」
星空の中をホウキで飛びながら、マリアが言う。
今日は満月だから、夜でも明るい。月がとっても近い。手を伸ばせば届きそうだ。
「大丈夫? お家の人、心配してない?」
「大丈夫だと思う、多分……」
少し不安になる。もし部屋のドアを開けられて、わたしがいないことが分かれば、お母さんは心配して探し回ってしまうかもしれない。
楽しくて、つい時間を忘れてしまった。どうしよう、なんて言い訳をしようかな。
「魔法の本、持って来ればよかったわね。そしたらすぐ帰れたのに。ごめんね、あたしももっと時間見とけばよかった」
「ううん、マリアは何も悪くないよ。全部わたしのせい。楽しすぎて、はしゃいじゃったのがいけないの。ルカくんも、ルカくんの家族も、とっても優しかったから」
そう言うと、マリアはホッとしたように微笑んだ。
「よかった、ヒカリもルカと仲良くなれそうで」
「うん」
わたしは頷いた。
最初は緊張して上手く話せなかったけど、みんないい人だったから、オドオドしてるわたしなんかに変に気を使わず、普通に接してくれた。だから、次第に打ち解けることができた。
マリアの周りには、いい人ばかりだ。それはきっと、マリア自身がいい人だから、そういう人が寄ってくるのだろう。わたしも、そんな風になれたらいいな。
「そういえば、マリアのお父さんとお母さんは何をしている人なの?」
わたしは尋ねた。
「パパは医者で、ママは獣医よ」
お医者さんと獣医さんか。かっこいいな。
「二人とも凄腕だから、色々な人から診て欲しいっていう依頼があってね。ずっとワンダーランド中を飛び回ってるから、なかなか帰ってこないのよ。今日だって、ルカのママの誕生日なのに、仕事が長引いて帰れそうにないって」
マリアは呆れたように言う。その声は、ほんの少しだけ寂しそうに聞こえた。
「まあでも、仕事だから仕方ないし、たくさんの人や動物を救ってるんだから、あたしも誇らしく思っているけどね」
わたしには、お父さんとお母さんと毎日一緒だから、マリアのような両親と離れ離れの生活は上手く想像できない。マリアはずっと元気だから、そんな素振りは一切見せないけど、本当は我慢しているんじゃないかなと思った。
「この間なんか、ママが森でたまたま怪我したペガサスを見つけて、家まで連れて帰ってきたのよ。それで、治るまでずっとうちで面倒見てたの」
「え、ペガサス!?」
わたしは耳を疑う。ペガサスって、大きな翼を持つ馬のことだよね? ほんとにいるんだ! すごいな、見てみたいな。
色々な話をしているうちに、マリアの豪邸が見えてきた。
「はあ、帰りたくないな……」
わたしは小さく呟いた。今日は本当に楽しかった。ワンダーランドにいる間は、嫌なこと全部忘れられた。
「ねえ、ずっとここにいちゃダメかな?」
ここにいれば、学校に行かなくていい。先生に小言を言われることもないし、高橋さんに笑われることもない。大嫌いなバレーもしなくていい。そして何より、ひとりぼっちじゃない。
「それはダメよ、ヒカリ。住む世界を変えるということは、自分の生まれた世界を捨てるということよ。もっと自分の世界に誇りを持たなくちゃ」
「そう……だよね」
わたしは落ち込んだ。マリアなら、好きなだけここにいていいよって言ってくれると思ったから。……いや、わたしが言って欲しかっただけだ。
わたしはわたしの生まれた世界に誇りを持てない。あんなに辛くて苦しい現実しか待っていない世界なら、わたしは捨ててしまいたい。
「ヒカリ、あなたは多分、まだ自分の世界について、よく知らないんじゃないかしら?」
「え?」
「ヒカリは本当にひとりぼっちなの? みんながみんな、あなたに冷たいわけではないのでしょう?」
「それは……」
わたしはまず第一に、家族の顔を浮かんだ。続いて、山崎先生の顔が浮かぶ。わたしに優しくしてくれる人はいる。そっか、わたしが世界を捨てたら、もうみんなには会えなくなるんだ。
「まだ全部捨てるには早いと思うわ。あなたがまだ出会ってないだけで、きっとあなたを大切に思ってくれる人はまだどこかにいるはず。人生は長いんだから」
マリアは振り向く。
「でも、ヒカリが辛い時は、あたしが力になる。あたしがヒカリを支えてあげる。苦しい時は、ワンダーランドに逃げてくればいい! あたしはいつでも待ってる!」
「マリア……」
マリアはわたしを甘やかさず、厳しくしてくれた。そして、それ以上に心強い言葉をくれた。
弱音を吐き出せる場所ができたのだ。これからは一人で抱え込まなくていい。マリアが待っていてくれるなら、わたしはどんな世界でも頑張れる。
「明日も学校なんでしょ?」
「うん、そうだよ」
「じゃあ、ヒカリが明日も頑張れるように、いいものを見せてあげる」
「いいもの?」
マリアは魔法の杖をポケットから取り出して、ウインクをした。先端に、マリアの瞳と同じ緑色の宝石がついた杖だった。
マリアは杖をひと振りした。すると、ピンクや紫、青色など、様々な色に光るチョウたちが現れた。月明かりに照らされて、とても幻想的だ。
チョウはわたしたちと一緒に空を飛んでいる。手を伸ばすと、チョウがとまってくれた。
「うわぁ……これがマリアの魔法……」
わたしは感嘆の声を漏らした。
「そうよ。綺麗でしょ?」
「うん!」
初めて見たマリアの魔法。それは、今までに見たことがないくらい素敵な景色だった。
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