第6話 空の旅

『マリア、わたし、今日学校で嫌なことがあったの』


 家に帰ってから、わたしは魔法の本を開き、書き込む。

 いつもなら、これくらい平気なはずだった。だけど今日は、色々なことが重なったせいか、どうしようもなく辛かった。

 誰かに聞いて欲しかった。胸の中に溜まったモヤモヤを吐き出したい。

 しばらくすると、返事が返ってきた。


『どうしたの? 話ならいくらでも聞くわ。ワンダーランドにおいで』

『ありがとう』


 わたしはお礼を言う。マリアの優しさが身に染みて、涙が出そうだった。

 わたしは魔法の本に手をかざし、願う。

 ワンダーランドに行きたい。

 すると本が光り出した。わたしは眩しくて目をつむった。


***


「ヒカリ、また会えたね」


 目を開けると、そこにはマリアがいた。


「マリア……」


 今日はピンクのフリルがついたエプロンを身につけている。よく似合っている。


「あれ、ここは?」


 辺りを見回すと、この前のお姫様のようなマリアの部屋とは違った。


「キッチンでごめんなさいね。今ちょうどチョコレートケーキを作ってたのよ」


 そこは広々としたキッチンで、様々な調理器具がそろっていた。わたしの家のキッチンより、何倍も大きい。まるでお店みたい。


「それで、何があったの? あたしでよかったら聞くわ」

「うん……」


 わたしは今日あった出来事を話した。

 学校に友達がいないこと。ひとりぼっちなことを笑われること。バレーが下手くそなこと。先生を困らせたこと。

 包み隠さず、全部話した。友達がいないなんて、今まで言うのは恥ずかしかった。だけど、マリアなら全て受け入れてくれるような気がした。


「ほら、あーん」

「え?」


 唐突に、マリアがわたしの口に何かを突っ込む。


「んぐ!?」


 口いっぱいに、チョコレートの甘さが広がる。


「……美味しい」

「へへー、特別に味見させてあげる」


 マリアは悪戯っぽく笑った。


「甘いものを食べたら、元気になるわ」


 そして、わたしをぎゅっと抱きしめてくれた。


「大丈夫。あたしはずっとヒカリの友達。ひとりぼっちなんかじゃないわ」


 マリアのぬくもりを感じる。


「いいじゃない。運動ができなくたって、今後の人生で困ることはほとんどないわよ。それに、友達は無理に作るものじゃないわ。気付いたらなってるものなのよ。あたしたちみたいに。そんなことも分からない先生は、きっと上辺だけの友達しかいないんだわ。だから、焦らなくて大丈夫」


 心強い言葉だった。なんだかマリアは、考え方が大人だ。達観している。

 山崎先生が、マリアは支えになってくれると言っていた。本当にそうだ。マリアのおかげで、心が軽くなった。友達の存在って、こんなにも頼もしいんだと思った。

 だから、もしマリアが困っていたら、わたしは全力で助ける。そう心に決めた。


 マリアはわたしのせいでドンヨリとなってしまった空気を切り替えるように、パンッと手を叩いて言った。


「ねえ、今日ルカの家にケーキを持って行くんだけど、一緒に行く?」

「行く!」


 わたしは元気よく答えた。

 

***


 完成したチョコレートケーキを入れた箱を持って、わたしたちは外へ向かう。マリアの家は広すぎて、玄関に行くまでにすごく時間がかかった。キッチンから玄関まで行くのに、長い廊下を通ったが、その道中には様々な絵画や彫刻が飾られていて、まるで美術館に来ているような気分だった。

 マリアのお父さんとお母さんは、一体何をしている人なんだろう?


「セバスチャン、少し出かけてくるわ」


 マリアは掃除をしている、きっちりとした格好のおじいさんに声をかける。


「おや、お嬢様、そちらの方は?」

「あたしの友達のヒカリよ。こっちは執事のセバスチャン」


 わたしはぺこりと頭を下げた。執事なんて、初めて見た。


「お嬢様がいつもお世話になっております。それで、どこへ行かれるのですか?」

「ルカの家までケーキを持っていくの。今日はルカのママの誕生日だから」

「おや、そうですか。おめでとうございます、とお伝えください」

「分かったわ。じゃあ、行ってきます」

「お気をつけて」


 セバスチャンに見送られ、外へ出る。


「さあ、行きましょう!」


 そう言ってマリアは立てかけてあった上等そうなホウキを手に取った。


「ホウキ?」

「これで行くのよ」


 まさか! それに乗って空を飛ぶの?

 この間読んだ、見習い魔女の冒険の物語の主人公は、ホウキに乗って空を飛んでいた。それにずっと憧れていた。

 マリアはホウキにまたがり、ケーキの箱の持ち手をホウキの先に掛けた。


「ほら、後ろに乗って!」


 ドキドキする胸を押さえる。

 すごい! ほんとにすごい! 夢みたいだ!

 わたしはマリアの後ろにまたがり、彼女のお腹に腕を回してしがみついた。


「準備は良い?」

「うん!」


 辺りに風が巻き起こる。マリアの金色の髪がなびく。そして、みるみる足が地面から離れていく。


「浮いてる……」


 わたしは感嘆の声を漏らした。


「この魔女マリアが、お客様を空の旅へとご案内いたします!」


 あっという間に屋根の上まで到達する。マリアの豪邸の全体がよく見える。とにかくでかい。わたしの学校ぐらい大きい気がする。豪邸を囲う庭も、公園かと思うくらい広い。


「どう? 空を飛ぶのは」


 マリアが尋ねる。


「すっごく楽しい! ずっと憧れてたの!」

「それならよかったわ」


 風が気持ちいい。

 マリアの家を通り過ぎると、街が見えてくる。わたしがよく読むファンタジーの物語の挿絵と同じような街並み。

 ここはわたしの住む世界とは違うのだと思い知らされる。

 遠くの方には、お城が見える。あそこにはお姫様がいるのかな?

 向こうの方には青々とした森が広がっている。自然も豊かで、いいところだ。

 こんな世界に、ずっと来たかった。

 さっきまで落ち込んでいたのが馬鹿みたいに思えてくる。

 こんな体験をしてるのは、学校じゃきっとわたしだけだろう。それが誇らしかった。

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