第十七章 雷光の白百合フォビア

第158話 アズマ・ミヤコは恐怖を乗り越えたい 4-1



 突然、窓の外で夜の景色が赤熱し、とどろく爆音にベッドごと小柄な身体を突き上げられる。



 にも関わらずあずま 美弥子みやこは、すぐに反応することができなかった。


 ここ一ヵ月、彼女はただの一度も熟睡できたことはない。


 毎夜のように悪夢にうなされ、一晩のうちに何度も叩き起こされ、それがすっかり日常の一部となりつつあったのだ。



 意識は常に悪夢と現実の狭間はざまを漂い、過度な睡眠不足は美弥子みやこから正常な思考力を奪いつつあった。


 だから事態に気づけたのは、部下から届く緊急コールが何重にも重なって鳴り響き始めてからのことだった。



あずま少尉、爆発です!

 何者かに石油の貯蔵タンクを爆破されたようですっ』


「……事故では、ないのですか?」


『いいえ! 見張りの兵たちが皆、いつの間にか倒れていてッ!?

 このブラックオアシス製油所に何者かが侵入した模様!』



 事故でも事件でも重大事態とわかっているのに、美弥子みやこはまだベッドから起き上がることができないでいる。



 昼間もえ切った捕虜ほりょたちがハンマードレイクを食べ始めたとき、彼女はすぐに指示を出すことができなかった。


 結果的に黙認もくにんする格好になっただけで、なんの意図もないことだった。



 彼女を襲うトラウマのフラッシュバックは日に日にひどくなる一方で、まるで改善するきざしはない。


 今やベッドから出るという誰もができるはずのことさえ、多大な気力を必要とするようになっていた。



 もっとも――



『ぐ、〈グレイル〉です!』


「!!」



 その言葉が、瀕死ひんしの神経を瞬時に沸騰ふっとうさせた。



『対象を視認! 侵入者は〈グレイル〉……バカな!?

 あれは狙撃手の〈グレイル〉ですッ、そんな生きているはずはっ』



 外から響く銃撃音と同時に通信が途絶える。


 それでも立て続けに届く状況報告は、すべて同じ事実を告げていた。



「アイツが、生きていた?」



 この世界でJKなんて呼ばれている、名前を呼ぶ気にもなれないあの女!


 美弥子みやこが苦しみ続けねばならない原因となったスナイパーキラー――燃料気化爆弾の途轍とてつもない破壊力をまぬがれ、いったいどのようにして生き残ったのか。



 まさか、あのとき巻き込んでしまった数千の犠牲者は、まったくの無駄だったとでも……


 いや、そんなことは到底受け入れられない!



 そんなことを受け入れてしまったら、今度こそ美弥子みやこは壊れてしまうっ。


 皮肉にもそれが極限まで追い詰められた精神に活を入れ、鬱血うっけつしていた思考力をよみがえらせて、失われつつあった闘争心に再び火をつけようとしていた。



「皆さん、落ち着いてください。

 まずは石油タンクの延焼を防ぐことが最優先です。吹き飛んだタンクは捨て置きましょう。


 それから、ハンドグレネードの使用を許可。

 魔女部隊の隊員が〈グレイル〉に敗れた際、直ちに死体を爆破してください」


『し、しかし少尉っ』


「死体から弾薬を奪われれば、さらに被害が出るとわからないのですか。

 敵に弾を使わせて追い詰めるんです、いいですね?


 それから、オジ・グランフェルはどこにいますか?

 他の囚人たちの様子も、すべて確認させてください。


 爆破はおとりです、敵の目的は連中の開放以外に考えられません」



 美弥子みやこはベッドから出るなり、即座に〈戦術ブレザー〉に腕を通し、自身も指令室へ向かいながら矢継やつばやに指示を出していた。


 銃撃音に悲鳴、看守たちの鳴らす呼子よびこの音も鳴り止む様子はなかったが、敵から奇襲による優位を少しずつだが確実に奪っていく。



 だが、そこへ悲鳴じみた報告が次々と連鎖する。



『しゅ、囚人がいません! 連中を繋いでいた鎖が、なんだこれは!?

 まるでアルミのように軽くなって、すべてじ切られていますっ』

『大変です! 魔物たちがッ、魔物たちが、ぐぁぁあッ!!?』

『みつけましたっ、囚人たちに襲撃されています!

 魔導士たちの宿坊しゅくぼうが、囚人たちに襲撃されています』


「……魔導士を?

 確認します、水場や看守ではなく、魔導士を襲っているんですか?」



 鎖がもろくなっていたのは、いつの間にか強力な錬金術の使い手を内部に送り込まれていたと考えられる。


 この施設を攻撃するなら、美弥子みやこでも魔物を開放して混乱させるだろう。



 だから理解できる。


 でも囚人が魔導士を優先して襲っているだと?



 文字通りのどから手が出るほど欲しい水やうらみが煮えたぎってるであろう看守を襲うのならわかる。


 なのに、こちらが対応するより早く魔導士を攻撃してくるとは!



 彼らは掘り出した原油を分化させ、ガソリンやナフサ、その他さまざまな石油製品を作り出すのに欠かせない。


 ブラックオアシス製油所では、まだすべてを機械化するには至っておらず、魔導士たちこそ、この施設にとってかなめと呼べる存在だった。



 しかもほとんど寝込みを襲われたも同然となった魔導士たちは、すでに全滅に近い状態らしい。



「やられた! でも、いったいどうやってあいつは、囚人たちと連携を!?

 外からこの施設の中に連絡する手段など……いえ、そうではない?」



 この襲撃には、二つの意志が介在かいざいしている。


 ひとつは狙撃手の〈グレイル〉――JKのもので間違いない。



 なら、もうひとりは誰か?


 それはすべての囚人を開放するほどの凄腕の錬金術師か、すぐにも水が欲しいはずの囚人たちに命令を聞かせてしまう驚異的な指導力の持ち主か。



 本来の思考力を取り戻した美弥子みやこの頭脳は、今や凄まじい勢いでブドウ糖を消費し始めていた。


 もつれ合う難解な数式に次々とかいを与え、事実をごく単純な一本の糸へときほぐしてしまう。



 そして彼女は、特定の人物に繋がる専用回線にコールしていた。



『今、敵を追ってるところよぉ』


「これは貴女の手引きなんですか、煉華れんげさん?」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る