第111話 オジさん騎士は覚悟と共に聖堂へ踏み込んだ 9-6



「私はいい……私はいいんだ。最後までお前の側にいよう。

 そうちかってもいい」



 たとえむくわれなくとも最後の最後まで友を支えられるなら、それこそオジにとっては本望ほんもうだ。



「けど、JKはダメだ……

 頼むから、あの子のことだけは巻き込まないでくれないか」



 ここから先は、ハッピーエンドとは無縁の戦いだ。



 暗殺などという後ろ暗い仕事で、あの子が歩むはずの輝ける未来へ続く道を閉ざしたくなかった。


 憎しみの連鎖れんさにぬかるみながら、けがれた大人達がひろげる泥沼の権力闘争に、若い彼女をむことなどあってはならない。



「……そこまで、れてたのか」

「違うのだ……違う、あの子は泣いていたんだ」



 今まで誰にも話したことはない。


 ふたりの間でさえ触れることはなかったが、それ以来、互いに心の距離が縮まったような気がしていた。



 そう、あれは峡谷きょうこくでの決戦になんとか勝利したときのことだ。


 オジはあの三毛の子ネコが盾にくくりつけられたまま、ぐったりしてるのを発見した。



 どれだけ懸命けんめいに声をかけても微動だにせず、小さな命が燃え尽きるのを止められないのかと諦めかけていた。


 そこにJKがやってきた。


 ふたりの前で子ネコは小さな舌を震わせ、ようやく、ゆっくりと水を飲み始めたのだ。



 オジは安堵あんどの息を吐き出し、見てしまった。



 JKは目を見開いた三白眼さんぱくがんのまま、少しも表情をくずしていない。


 表情を変えないままボロボロと涙をこぼし、顔中をぐしゃぐしゃに濡らして泣いていたのである。



 オジが呆気あっけにとられるほどの涙の量は、きっと彼女にしかわからぬ事情があってのことと察せられた。



 だからオジは見て見ぬふりをすると決めてしまった。


 直前まできつく説教せねばと心に決めていたはずが、なにも言えなくなっていた。



 彼女はあまりに人の命を奪うことに躊躇ためらいがなさ過ぎる。


 戦場でのこととはいえ、敬意まで失っては自分自身の魂までけがすのだと話すつもりでいた。



 でも、その必要はないと信じられた。



「優しくなくては他人の痛みは感じられない。

 優しくなくては他人のために涙を流すことはできんのだ。


 だから誰がなんと言おうと、本人がどう感じていようとも、彼女は優しいのだ」



 感情が読み取りづらいところがあろうと、心がないわけではない。


 心がある以上は傷つくことだってあるだろう。



 必要に駆られたとき一時的に戦闘マシンのようになれるとしても、JKは小さな命のために涙を流せる女の子なのだ。



 オジはそれを知っている。

 知ってしまったのだ。



「だからお前の言う通り、きっと頼めばあの子は力を貸してくれるだろう。

 だがな、ファタル? あの子は……きっと孤児なのだ」



 はっきりそう告げられたわけではなかったが、振る舞いが、言動が、孤児でありながら英雄となった親友と、似たものを感じさせた。


 だから彼女が自分に求めている役割があるとしたら、それは恋人ではなく父親なのではないか。



「なあ、いったい誰があの子に優しさを教えてくれたのだろうな?


 もしもそれが生まれ持ったものでしかないのなら、ひどく寂しい優しさだ。

 優しいまま、たったひとりで生きてきたのではないかと思うと胸がまるのだ。


 それを大人が利用していいものか?

 誰か大人が守ってやらねばならぬのではないのか?」



 使を誰かがやるべきなんだ。


 だが……オジには、もうそれができそうにないから。



「私がやろう」



 最高司祭ネジェド・ガ・ヤッサールの暗殺は、オジがやる。



「ファタル、苦境に立つお前を今さら見捨てるような真似はせん。

 今度こそ最期まで……だから、それは私がやろう」


「オジ……」



 ただし、それはあくまでオジが望むことに過ぎない。


 やはり大切に想い始めている女の子を巻き込むなど、あってはならないのだ。



「バカだな」



 ファタルはあえてそうするのか、いつもの調子で大袈裟おおげさに肩をすくめて見せる。



「いつか引退して悠々ゆうゆう自適じてきになったら、俺には東方世界を旅してみたいって夢があんだよ。

 この目で極東きょくとうの地を見てみたいんだ……」


極東きょくとうを?」


「ああ、ここ十年くらいかな? 寝て見るほうの夢にまで出てきちまってよ。

 笑えるよな、どんな場所かも知らない癖に」



 東方世界へ続く砂流船さりゅうせん航路こうろ開拓かいたくできたのは、ファタルの出資しゅっしによるところが大きいと聞く。


 まさか、そんな夢を持ってたとは知らなかった。



 執政官しっせいかんとしての顔よりも、商売人としての顔よりも。


 いつでも男のロマンを追い求めて駆けていく、ただの悪ガキとしての顔のほうが、本当のファタルに近いのかもしれない。



「最後までなんてくせぇこと言いやがったんだ、そんときはつき合えよな。

 地の果てまでよ」


「さてな、だが悪くない夢だ」



 いつか世界が平和になったら。



 剣も盾も不要になって、誰かの悲鳴に駆けつけなくてはならないような時代が終わったら。


 ただの悪ガキだった頃に戻ってみるのも、きっと悪くない。



「ファタル、信用するぞ」




 ――聖堂の奥の扉を開けると、はるか高く螺旋らせんの階段が三階まで続いていた。



 オジはすでに扉の前を守っていた僧兵二人の首筋に手刀を入れて気絶させている。

 

 それを両手で引きずって階段のすみに寝かしつけてしまう。



 彼は図抜ずぬけた体格に恵まれた偉丈夫いじょうぶであったが、冒険者時代は山間さんかんとりでや魔物の棲まう洞窟どうくつを攻略したことなら何度もある。



 物音を立てずに動くことには慣れていた。


 周囲の気配を探りながら、あかりを持たぬままゆっくりと螺旋らせんめぐる。



 ふと振り返ったのは、背後に足音を聞いた気がしたせいだ。


 けどそれはおのが足音の反響に過ぎず、後ろめたさが聞かせる幻聴のようなものだとわかっていた。



 最高司祭ネジェドの暗殺は、帝国の手によるものとして喧伝けんでんし議会を掌握しょうあくする。


 ファタルの永世えいせい執政官しっせいかん就任しゅうにんを短期間で強引に進める手はずとなっていた。



 こんなところでつまずいてはいられない。


 オジは腰に下げた片手剣と背中のラウンドシールドの感触を確かめつつ、三階廊下へ続く扉を薄く開けて様子をうかがった。



 妙だ。


 警備の者は先ほどの二人が最後で、寝室のある三階には人の気配が感じられない。



 謀反むほんくわだてておきながら、あまりに不用心という気がした。



 すでにオジの勘は警鐘けいしょうを鳴らしている。


 だが今さら引き返すだけの根拠はなく、素早く扉を抜けて柱の陰に身を隠す。



 周囲に空気のらぎがないことを確かめてから、今度こそ標的の眠るファラオの寝室へ向かった。



 するとまた、背後で足音を聞いた気がした。



 わかっている。


 それはオジ自身の足音に過ぎず、いつの頃からかまとわりつく死神のあしおとであることを。



 若かりし日には、どれほどの窮地きゅうちに立とうと決して聞くことのなかった音だ。



 だがもうこの計画を最後までやり切ると、友人を支えて覚悟の果てまで進むと決めてきたはずだ。



 寝室の扉はなぜか半開きになっていた。


 オジは躊躇ためらいを呑み込み、一気に部屋へ押し入った。



 ――最高司祭ネジェド・ガ・ヤッサールは、半裸のまま滅多めったしにされた状態でベッドに横たわっていた。



 またもあしおとが、耳の奥でだけ木霊こだまする。


 だから驚きよりも、ついに追いつかれたという感覚だった。



 はかられた。



 オジは何者かのたくらみに、まんまとめられてしまったのだ。



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