第110話 オジさん騎士は宵闇に潜んで暗闘する 9-5



 高い防壁に鉤縄かぎなわをかけて一気に乗り越えると、分厚く布を巻いて面体めんていおおった大男が、ネコのように足音を立てず着地した。



 そこへ歩哨ほしょうに回る僧兵そうへいたちが松明たいまつを手に近づいてきて、素早く聖堂の影に身を隠す。



 今夜は二つの月がそろって新月を迎え、いつも以上に夜が濃い。


 男は闇を味方にかろうじて見張りをやり過ごす。



 以前の戦いで破損はそんしたレザーアーマーを新調するでもなく、わざわざ補修ほしゅうして使い回すのは冒険者時代の名残なごりというより、もともとの性分しょうぶんなんだろう。


 おかげで顔を隠してることも相まって、ますます盗賊じみた姿になっている。


 どれだけ騎士らしい振る舞いを身に着けても、根っこの部分はそう変わるものではないらしい。



 男は口元のストールを押し下げ、音を立てないようそっと白い息を吐き出した。



 他でもない、オジ・グランフェルである。


 傭兵隊を率いてカガラムを離れたと見せかけ、ひとり宵闇よいやみまぎれて舞い戻っていたのである。



 見上げるのは、ネフェル神殿の大聖堂だった。


 この神殿は、かつて砂漠を支配した者達の宮殿を改修して建造されたものだという。



「最高司祭のネジェドは、ファラオの寝室をそのまま使っているんだったな」



 辿たどくには、大聖堂を通らなくては入れない構造になっていた。


 ファラオは自分自身を神になぞらえていたからだ。



 このことからも、謀反人むほんにん傲慢ごうまんさがけて見える気がした。




 ――ファタルから逆転の秘策を聞かされたとき、背筋を下から上に衝撃が駆け抜けていった。


 もし上手く行けば銅貨を巡る混乱に対し起死回生の一撃となるばかりか、ローエン大公の野心にも致命的一打を加えられることだろう。



 やはり、この男は只者ではない。


 ファタルにはカガラムの叡智えいちと呼ばれ、英雄とはやされるだけの資格がある。



 オジなら一生かかっても思いつけないような計画を、ごく短期間のうちにげ、実現に必要な行程を書き出し、ロードマップを示しながら説明してのけたのだ。



「ただし、問題が二つある」


「時間との勝負だな。

 なにより、こいつを押し通すだけの権力が必要というわけか」



 オジは思わず腕を組んだまま、顎髭あごひげを撫でてしまう。



 ファタルが突然ファラオになるなんて言い出したのは、単なる思いつきでもヤケクソでもない。


 この計画に必要不可欠なパーツとして持ち出したに過ぎなかったのだ。



「言っとくが、ファラオってのは言葉のあやだ。

 まずは戦時特例として臨時の永世えいせい執政官しっせいかんとでも名乗るつもりさ」



 カガラムを、ひいては世界を守るためには必要な処置と、オジにも理解できた。



「だが、間違いなく妨害ぼうがいに回ってくるであろう人物が一人だけいる」

「最高司祭のネジェドか」



 ファタルにとって政敵であるのはもちろん、裏でローエン大公と手を握ってるなら、なおさらだろう。


 彫りの深い顔の奥でファタルの黒瞳こくどうくらい光を宿す。



「JKに頼めないか」

「…………なに?」



 反応が遅れたのは、理解できなかったからではない。


 彼女の魔法が要人ようじん暗殺あんさつに適していることは、先の決戦で敵将を瞬殺してのけたことからも明らかだ。



 そう、ネジェドを消すのならJKに頼むのが一番だろう。



 オジにはそれが理解できるがゆえに、言葉を返すことができなかったのだ。



「お前から頼めば、必ず彼女は首をたてに振る」

「そんなことは……」



 違う。

 たぶん、ファタルの言う通りだ。



 彼女なら簡単に応じてしまう気がした。

 そしておそらくは、そのほうがなにもかも簡単に済むだろう。



 けどそれでもオジは引き受ける気にはなれない。



「なあ、ファタル? この計画が……

 最後まで上手くいく可能性は、どれくらいあると思ってるんだ」


「俺はこういうとき確率では語りたくない」



 知ってるだろう、とばかりに古い友人は片眉かたまゆだけをげる。



「難易度で言えば、逆立ちで綱渡つなわたりしながらカガラム砂漠を縦断じゅうだんするようなもんだろうぜ。

 どうやって寝るんだとか、砂嵐が来たら一巻の終わりとか、もちろん可能性を考えだしたら切りがない。


 大事なのは結局、それでもやり切るって覚悟があるかどうかだからだ」


「そうじゃない、ファタル……」



 オジは額に手をかざし、早くも両の目を隠さねばならなかった。



「最後までと言ったろう?

 強権を手に入れ、敵をくだし、だがその先は?」


「……」



 ファタルはきっと英雄ではなく、独裁者として歴史に名をきざむ。

 それだけなら、まだいい。



「ハイパーインフレとやらを止めるには、商人から金を巻き上げ、逆らう者を次々と処刑せねばならん。

 そこは同じなんだろう?


 だが……それをやり切った後、いったい誰が民衆の不満と怒りを受け止めることになる?」



 街を救ったはずの英雄は、きっと誰にも理解されない。


 ただ残忍な独裁者として記憶され、最後には当然のむくいとして裁きを受ける羽目になるのではないか。



 この友人が語る、やり切る覚悟とはそのことを指してるのではないのか?


 オジにはそんな気がしてならないのだ。



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