第107話 オジさん騎士は災禍の予兆に戦慄する 9-2



「ネフェル神殿の最高司祭、ネジェド・ガ・ヤッサールだ」



 その男は、ファタルを含む三人の上級じょうきゅう執政官しっせいかんのひとりでもある。


 しかもネフェル神はカガラム砂漠を聖地とし、砂漠の戦士マムルークを始め、この地でもっとも厚く信仰される神だ。



 もちろんマムルーク出身であるファタルも、敬虔けいけん信徒しんとということになっていた。



 もし最高司祭のネジェドの寝返りが事実としたら、まさに最悪の事態と言える。



 間違っても、ひっ捕らえて処刑するなんて真似はできないからだ。


 民衆の目には神への反乱と受け取られかねず、今も最前線で戦ってくれているマムルーク達もファタルに着くか、神殿に着くかで真っ二つに割れてしまうだろう。



「確実、なのか」


「ネフェル神殿の元関係者から密告があった。

 すでに、裏も取れている」



 ファタルはオジから目をそらし、椅子から立ち上がってしまう。

 その背中はいつになく小さく見えた。



 以前、街中でドローンという浮遊型ゴーレムに襲われたことがあった。


 考えてみれば、あれも神殿へ行った日のことだ。



 そのときネフェル神の使徒とされるケット・シー達と、不自然に引き離されたことまで思い出されてくる。


 末端の門番までたくらみを知っていたとは思えないが、神官達は可能な限り部外者を近づけたくなかったんだろう。



「お前が暗殺を警戒していたのは、そのためか」


「こっちが安易あんいに手を出せないのと逆に、向こうはチャンスさえあれば俺を始末して目標を達成できるってわけさ。

 なかなか素敵な状況だろう?」



 ファタルは大袈裟おおげさな身振りでお道化どけて見せるが、到底笑える話ではない。



「いつからだ? さては薄々勘づいていたな」


「なに、もともと最高司祭のネジェドとはりが合わなかった。

 俺のことを恋敵こいがたきとでも思ってるんだろうさ」



 以前は冗談で流してしまったものの、どうもファタルとネフェル神殿の関係悪化に女が関わってるというのは当たっていたらしい。



「でも決定的だったのは、ネコの疎開そかいさきが帝国にれたときさ。

 当然、ネフェドの野郎はそれを知ってたはずだからな」


「ああ、あのときお前はネフェル神殿との関係悪化を理由に、私に峡谷きょうこくでの決戦を丸投げしてきたんだったな」



 けどあれだってネコを傷つけないためなんて冗談みたいな理由より、怪しい動きをする味方ににらみをかせるためと考えたほうが納得しやすい。



「悪い、有力な容疑者ではあったが、まだ証拠がなくてな。

 お前にも話せなかったんだ」


「そんな話を聞かされた上で前線へ送り出されてはかなわんさ。

 だが連中は……信徒の心まであざむいていたというのかっ」



 オジは知らず、きつくこぶしを握り締めていた。



 信徒達はネフェル神殿を信じ、大切なネコ達を預けたに違いないのだ。


 なのに帝国に密告し、誘拐させただけではない。


 ネコを盾にすればマムルーク達が攻撃できなくなることも、連中の入れ知恵だったのではないか。



 あのとき従軍神官達が本陣に押しかけ、やけにしつこく白旗を上げさせようとしていたことまで怪しく思えてくる。



「それだけじゃない。

 市中には今、大量の偽銅貨が蔓延まんえんしている」


「そうだ、ルドノフ神殿にできていた行列の件はどうなった!?

 まさかそれも、ネフェル神殿が関与かんよしてるというのかっ」



 ルドノフとは錬金れんきんじゅつさずける神のことだ。


 錬金れんきんじゅつによる贋金にせがね蔓延まんえんした際は、魔法を解いて元の貨幣かへいに戻してくれるサービスも行っている。



 オジは不審ふしんな行列をみつけたとき、現場で警備の兵にファタルへ伝言を頼んでいたはずだ。



「ああ、こいつをバラいてるのもネフェル神殿だとわかった」



 ファタルは懐から1クローネ銅貨を出してくる。


 それをまんだまま指先に魔力を込ると、たちまち錬金魔法が解けていき模様もようや大きさまで変化して100クローネ銀貨に戻ってしまう。



「やはり……銀貨を銅貨に変えていたというのか?

 だが、なんのために?」


「銀貨だけじゃない、金貨もだ」



 思わずオジは太い眉を跳ねさせ、瞠目どうもくしてしまう。



 金貨には銀貨のさらに数倍から十数倍の価値がある。


 有り得ることとわかっていも、それをわざわざ数クローネの価値しかない銅貨に変えてしまうなど、正気の沙汰とは思えない。



「わかりやすくいこう。一番価値の高い銀貨は100クローネ。

 一番価値の低い銅貨は1クローネだ。


 贋金にせがねはすべて100クローネを1クローネに変えてバラかれたと考えてくれ」



 ファタルはもう一枚にせ銅貨どうかを出してくると、左右の手に銀貨と銅貨を一枚ずつ持って、こちらに向けてくる。


 仮定の話とはいえ、オジは百倍もの差額にうなじの毛がひりつくような戦慄せんりつを覚えてしまう。



「仮に1クローネの商品に、偽銅貨……つまり実際には100クローネ銀貨が使われたとしよう。

 もちろん霊印れいいんを見てやれば、簡単に客の間違いに気づいてやれる。


 だが、お前なら素直に99クローネの釣銭つりせんを渡してやるか?」



 無論、そうするのがすじだろう。



「少なくともバザールの商人なら、気づかぬ振りで100クローネを受け取り……」


「ルドノフ神殿で、元の銀貨に戻してもらう?」



 商人にとっては、それが一番利益を最大化できる。

 ここまではオジも考えた。



「だが待て? そんなことをしてなんの得がある?

 ローエン大公は、みすみす99クローネを失ったのと同じだ。

 商人達をまるまる儲けさせるだけではないか」


「短期的にはそうだ。

 だが普段の百倍もの利益を上げた商人は、次にどうする?

 貯金して大切に保管するのか」



 どうやらファタルは返答を求めてるわけではなさそうだ。



「いいや、俺なら買い占めてやる勢いで、次の仕入れをする。

 なにせ百倍の利益を上げられる大チャンスだぞ!


 そして、同じ考えのヤツらは五万といたんだ。


 結果として、商人どもは贋金にせがねの流通に手を貸すことになった。

 一人や二人ではなく圧倒的大多数を巻き込んだからこそ、これほど一気に蔓延まんえんさせることができたんだ。


 なにもかも、相手の思うつぼと気づかぬままにな!」


「し、しかし物資には限りがあるはずだ」


「そうだ。売りたくても、どんどん物は足りなくなっていくだろう。

 ならどうする?


 値札をえ、もっと高く売りつければいい。


 なにせ相手は普段の百倍の金を持っている、なら百倍の値段に釣り上げても買うヤツはいるかもしれんぞ」



 百倍は大袈裟だ。きっと、そうだ。

 だが、オジは休暇のときJKにつき合ってバザールも視察している。



「確かに物価は上がっていた、それも急激に。

 だ、だが、いくさが終わるまでの一時的なものではないのか?」



 ファタルは掘りの深い顔を、いっそ悲壮なまでにゆがめている。



「まだまだこれからだよ。

 すでに神殿には、偽銅貨にかけられた錬金れんきん魔法まほうの解除を禁じさせた」



 そうすれば、偽銅貨を銀貨に戻すことはできなくなる。

 一時的には……



「だが、この程度の魔法なら野良のらの錬金術師にだって簡単だ。

 闇での取引までは、到底つぶしきれない」



 その先に待つものはなんだ? オジには想像もつかない。

 しかし破滅的な未来が待ってることだけは確実だろう。



「インフレだ!

 いや、ただのインフレとはまったくの別物か、ハイパーインフレとでも呼べばいいか?


 今でも俺の想定をはるかに上回る速度で、ありとあらゆる商品が暴騰ぼうとうを続けている。

 このままいけば二倍とか三倍とか、いや二十倍、三十倍かもな。


 今まで30クローネもあればひと月分の小麦を買えたが、それが600や900出しても買えんという可能性もある」


「冗談はよせ! そんなことになれば、たみの生活はどうなる!?」



 間違いなく、カガラムは崩壊してしまう。



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