熱砂の都市カガラム 前篇 その4

第九章 暗闘都市

第106話 オジさん騎士は最悪に備えねばならなかった 9-1



 オジとJKが休暇から帰ってきた翌日。


 その夜、カガラム市街から早馬が駆けてきたことを知るのは、当番兵以外では一部の士官に限定されている。



 オジ・グランフェルが急な呼び出しを受けたときも、最初は理由の説明さえなかったくらいだ。



 軍議に使う幕舎ばくしゃに案内されると、そこには五人ものファタル・ボウが待ち構えていた。



 ファタルと寸分すんぶんたがわぬ背格好の者達に、ファタルの服が着せられていたのだ。


 ただし、全員が布を巻いて顔を隠している。



 おそらく四人は偽物なんだろう。

 けどまるで分身でもしたように、五人とも同一人物にしか見えなかった。



 オジは一人一人を注意深く観察し、最後に彼らのそばに控える草履サンダルちらしき、小人ホビットぞくの付き人に声をかけた。



「お前にしてはずいぶん用心深いじゃないか、ファタル?」



 ホビットは口の片端を皮肉げに曲げて見せる。


 そのまま小柄こがら草履サンダルちが、上等な刺繍ししゅうの入った貫頭衣かんとういに身を包む五人組を押しのけ、上座に腰を下ろしてしまう。



 彼が堂々と足を組んでも、他の者は文句を言うでもなくうやうやしく頭を下げていた。



「相変わらずいい勘してるな。

 まさか、当てずっぽうじゃないんだろう」


「まずは皆の姿を元に戻してやったら、どうだ?」



 実はそのまさかだったが、オジは素知らぬ顔を決め込んでしまう。



 ホビットは大袈裟おおげさに肩をすくめ、パチリと指を鳴らす。


 たちまち五人の使者達から白いきりが噴き出し、派手な色のくちばしをした鳥や長耳のウサギ、雄山羊おやぎにカワウソ、忠実な大型犬へと姿を変えてしまう。



 五種五匹の動物達がお行儀よく整列する様は、ちょっとしたサーカス団のようである。



「まさか、人間ではなかったのか」


「よくしつけてあるだろ。

 いざってときは影武者もやってくれている」



 上座に座るホビットも、すでに長身の男に変じていた。


 輝くほど白い歯とりの深い顔、癖っけの強い錆色さびいろの髪を額に垂らしている。



 草履サンダルちの付き人こそ、他でもないファタル・ボウだったのだ。



 ファタルは冒険者としてもっとも輝いていた時代、〈幻闘士げんとうし〉とも呼ばれていた。


 屈折くっせつや反射を始め、五感を刺激する〈霊素エレメント〉を操ることで周囲の者をあざむく、幻影げんえい魔法まほうの名手としても知られた存在だったのだ。



「で? なんでわかったんだ。

 あっさり見破られると腕がにぶったかと不安になるだろ」


「お前が考えそうなことだからだ。

 それよりファタル、わざわざ幻影魔法で影武者まで立てた理由も、まだ聞いていないぞ」



 わざわざ自分に似せた幻影を五体もともなっていたのは移動中の暗殺を恐れているからだろう。


 それはファタルが危険を感じるほどの敵が、こちらの警戒線の内側に存在してることを示していた。



 なのにファタルはもったいぶるように頭の後ろで腕を組む。



「そうだな。

 いいニュースと悪いニュース、ついでに最悪のニュースがあるんだが、どれから聞きたい?」


「いいニュースからだ」



 こいつがこういう態度を取るときは、実際には余裕がない証拠だ。

 だからオジも効率を重視する。



「ローエン大公の目的がわかった。

 燃える水を手に入れることだそうだ」


「…………なに?」



 先に自軍が有利になる情報を聞いておけば、悪いニュースにも対応策を思いつけるかもしれない。


 そう考えての選択だった。



 だがまったくの無理解によって、思考が寸断されてしまう。



 燃える水とは、地面からすどろどろの黒い油のことだ。


 油なのに食用とすることができず、揮発性きはつせいの高さから保存も難しい。



 しかも燃やすと黒煙と悪臭を放って、有毒ガスを発生させてしまう。


 精製せいせいして成分を分化させれば高い火力を発することはわかっていたが、手間がかかるだけで有毒ガスが発生するのは同じだった。


 だからといって毒としては毒性が弱く、その癖、日常生活に使えばしっかり健康をそこなってしまう。



 だったらもっと簡単に入手でき、もっと安価で、もっと扱いやすいものがいくらでもあるというのが、オジの見解だった。



 なのに燃える水など手に入れてなんになるのだ?


 そんなものに何万もの領民の命を失ってまで戦争を起こす価値があるというのか??



 ずっと謎だった帝国軍の戦争目的をようやくつかめたというのに、かえって疑問がふくがってしまう。



「言いたいことはわかるが、質問されたって困るぞ?

 俺だって絶賛戸惑い中だ」


「なら、悪いニュースとはなんだ」



 オジは砂漠の冷え切った夜に包囲されながら、かすれた鳶色とびいろの髪からイヤな汗がじわりとにじみ出すのを感じている。



 ファタルでさえ焦燥しょうそうを隠し切れず、自慢の白い歯も輝きをにぶらせていた。



「ローエン大公は、さらに五千の援軍を送ってきた」



 バカな、という言葉はのどの奥にんだ。



「現在、第四オアシスを占拠せんきょし周囲を要塞ようさいし始めている」


要塞ようさいだと!? 恒久的こうきゅうてきに支配下へ置こうというのかっ」



 第四オアシスは砂漠を抜ける長い隊商路キャラバンルートのちょうど真ん中に当たり、もっとも補給が困難な場所に位置していた。



 そんな場所に要塞ようさいきずくなど、あまりにもコストを度外視し過ぎている。



「だが事実だ。

 おかげで帝国軍を追撃していたマムルーク達も、今は第五オアシスまで引き返してきてる。


 峡谷きょうこくでの決戦でお前が蹴散けちらした帝国兵一万八千も半数は生き残り、九千か一万くらいは要塞ようさいの中に逃げ込まれたらしい」



 もともとファタルの計画では、砂漠で八割から九割の敵兵は死ぬことになっていた。


 だが今や要塞ようさいされた第四オアシスには最大一万五千の兵がこもり、対するマムルーク達は第五オアシスまで引き上げたとはいえ、たったの三千しかいない。



 しかも周囲は平地に近く、防衛ぼうえいにはまったく向かない場所なのだ。


 すぐにも救援きゅうえんへ向かわなくてはならない。



「ちなみに燃える水がく黒いオアシス……連中は油田ゆでんと呼んでいるが、伝承通りならそいつは第四オアシスの近くにあるはずなんだ」


「なら、すでに発見されたとみるべきだろうな」



 おそらくは最初の行軍時、帝国軍が第四オアシスを通ったときには油田とやらをみつけていたんだろう。


 それも偶然の発見などではなく、最初から油田の捜索そうさく自体じたいも計画のうちだったに違いない。



 でなければ、これほど早く増援ぞうえんを送ってこられるはずがなかった。


 むしろ、表向き繰り広げられていたモンスターを使った派手な戦闘行為自体が真の目的を隠すためのブラフだったのではないか。


 だが、とオジは蒼玉色の瞳を上げて友人を見る。



「反対に要塞ようさいされた第四オアシスさえ奪取だっしゅできれば、敵の戦争目的をつぶせるはずだ」


「ああ、それには敵の要塞ようさいが完成するまで待つほうが効果的だな」



 普段のファタルならそうする。


 兵力差があることなど、最初からわかりきっていた戦いだ。



 そしてその程度の苦境くきょうであれば、この男の智謀ちぼう容易たやすけるところをオジは何度となく目にしてきた。


 ならば、ヤツをあせらせる理由は別にあるということだ。



「それで? これ以上、最悪のニュースというのはいったいなんだ」

「帝国との内通者がわかった」



 朗報ろうほう、ではない。


 ファタルの黒い瞳に初めて弱気が垣間かいまえ、オジは心をはがねよろい、最悪に備える覚悟をせねばならなかった。



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