第二章 迷子のJK、猫人を救う

第20話 迷子のJK、猫人を救う その1



 カガラム砂漠中央部には、巨大な箱形建造物が密集した奇妙な遺跡群がある。


 人々からは古代文明が築いたものと信じられているが、実際には二十年ほど前、突如として砂の中から姿を現したに過ぎない。


 詳しいことは、まだなにもわかっていないのだ。


 そして現在、ひとりの少女が再びこの地に降り立ったことを世界はまだ知らない。



 ――箱型遺跡群から、わずかに北。



 夜の砂漠は、昼とはまったく違う表情を見せる。


 突き刺すような猛火の暑さから一転、太陽が去ると今度はしもが降りるほどの急激な寒さがやってくる。


 カガラム砂漠は徹底して生の存在を拒んでいるかのようだ。



 今もあの少女がジャガイモを割ったようと表現したふたつの月から、凍りつくような冷たい光が降り注いでくる。



「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ」



 そこにネフェルの巡礼者らしき者が何かから逃げるように、砂の丘陵を懸命に駆けてくるのが見えた。


 何度も振り向きながら、白い息が千々に乱れて吐き出されてくる。


 頭にかぶったフードでは、ネコ耳型の飾りがイカ耳になって垂れ、目玉の模様も汗に貼りついて歪み、恐怖にるかのようだ。



「どうして……」



 それは少年の声だった。



「どうして、こんなところにアイツらが!?」



 いきなり、彼の足元に粗雑なつくりの投げ槍ジャベリンが突き立てられる。



 ギャッ、ギャッ!



 そいつは夜闇の中、興奮しきって奇声を発していた。


 昆虫のように大きな瞳を爛々らんらんと輝かせるその魔物は、地元の者たちから砂ゴブリンと呼ばれている。



 連中は獰猛どうもうなデザートウルフを飼い慣らし、度々砂漠の隊商キャラバンを襲撃することで知られていた。



 今は狼を連れていないようだが、本来、砂漠辺縁部を縄張りとする砂ゴブリンがこんな奥地まで侵入してくることは滅多にない。


 だというのに闇の中で、さらに目玉の光が増える。

 それは瞬く間に数を増やし、少年に向かってわらわらと集まってくるのが見えた。


 恐怖のあまり数が大きく見えたのだとしても、おそらく二十匹近くはいるだろう。



「ひっ! あ、あの声ッ、仲間を呼んでいたのか!?」



 小鬼ゴブリンたちは、そう体力があるわけではない。


 大人の脚なら持久走を苦手とする小鬼たちをまくのもそう難しくはないだろう。



 だが彼はまだ十歳の少年に過ぎなかった。


 子供の背丈ほどしかないゴブリンも、子供にとっては凶暴な野犬を相手にするのと変わりない。



 両者の相対距離がみるみる縮んでいく中、不運というのは重なるものらしい。



 ちょうど丘を登りきったところで、思いっきりなにかに蹴つまずく。


 肉感的な柔らかさから、少年は動物の死骸が埋まっていたんだと感じた。

 それに気づかず、力いっぱい蹴飛ばしてしまったらしい。



 もちろん、バランスを崩したのは少年のほうだ。



 スピードに乗ったまま斜面に放り出され、たるを倒したような勢いで砂丘の向こう側へ転がり落ちていく。



 激しく天地が入れ替わり、少年はたまらず悲鳴を上げてしまう。



 どこの誰とも知れない死骸に向かって悪態のひとつもつきたくなる。

 だが砂漠の砂は柔らか過ぎて、いったん転がり出すとそう簡単には止まらない。


 結局、一番下まで滑落してしまう。



「いててっ……えっ、草? の塊?」



 視線に恨み節を込めて振り返ると、そこにあったのは少年の予想を大きく裏切るものだった。


 蹴飛ばしてしまったせいで砂から露出したんだろう。

 草の塊か、でなければ毛足の長い毛布のようなものが転がっていた。


 もっとも、夜の暗闇に加え、ここからでは月明かりが逆光になっていて、はっきりとは見えない。



 代わりに砂丘の稜線りょうせんに沿ってゴブリンたちの影が、横一線に並んで姿を現す。



「そ、そうだった、今は……あぐッ!?」



 慌てて立ち上がろうとした瞬間、足首の神経に激痛が弾けた。



「え? う、ウソだ!?」



 今ので足をくじいたらしい。


 だが、よりによってという思いが現実を受け入れるのを拒む。



 ああ、どうして仲間たちのもとを離れ、こっそり辺りを探索してみようなんて余計なことを考えてしまったのか?


 失態? 後悔? 自業自得?


 でもだからって、そんなことを受け入れてしまったら!

 このあとに起きることを考えてしまったら!



 こういうとき下手に知恵の回る人族より、ゴブリンのほうが素早く行動へ移せるものらしい。



 少年が動けないと悟るや、彼らは一も二もなく一斉に駆け出していた。



 小鬼にとって、獲物は早い者勝ちだ。

 仲間と分け合うとか、保存して大切に食べるなんてことは毛ほども考えない。



 手に手に短刀を握り、仲間のことさえ押しのけながら新鮮な肉に向かって我先にと殺到してくる。



「あっ、あっ……そんなっ、僕が? こんなところで!?」



 血の気が引くような恐怖が、死の実感を伴って背筋をのぼってくる。

 だが、それはあまりに遅きに失した。


 抑えようもなく全身が震え出し、奥歯を噛み締めることができずにカチカチと音を立てる。


 少年は生まれて初めて、歯の根が合わないという言葉の意味を知った。



「誰か! 誰か助けてぇ!!」



 深夜の砂漠に彼の声に応える者などいるはずがない。

 わかっていても叫ばずにいられなかった。


 ついに追いついてきた最初の一匹が、汚れたナイフを振り上げる。


 ろくに手入れもされず血と脂をこびりつかせた汚物の塊のような刃物が、それでも月光を反射して眼前に迫り――



 パン!


 冷たい夜気を焦がし、いきなり耳慣れない炸裂音が轟いた。



 小鬼が吐き散らす豚のような悲鳴、一瞬の通り雨のような音が後に続く。


 ゴブリンの腕が肘のところから千切れ飛び、血が壊れたポンプのみたいに噴き上がったのだ。



「え? ……えっ?」



 わけのわからぬまま、異変の元凶を探し求める。


 砂丘の上、先ほど草の塊だと思ったものがのっそりと起き上がってくるところだった。



 しかも紅く輝く瞳がふたつ。


 ゴブリンなど比較にならない凶悪な眼光を宿し、夜をまとって闇にきらめいている。



 だが直後、なおもゴブリンの奇声が迫るのを聞き、ハッとしてしまう。


 状況の変化を理解できない小鬼たちは新たな脅威の出現にもかまわず、しつこくまだ少年を狙い続けていた。


 左右からさらに二匹のゴブリンが迫ってくる。



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