第18話 オジさん騎士、砂漠の戦場にネコをみつける その9



「どこだ? どこにいった、確かに聞いたはずだッ!?」



 オジは帝国の兵が放り出していった大盾を順番にひっくり返していく。


 そこにはまだ、ネコたちが縛りつけられたままになっていた。



 けどこの子ではない。



 下手に解放して逃げ出されては、また敵に利用される可能性がある。

 悪いが、縄は解かず次の盾をめくる。



 だが、この子も、この子も、この子でもない。


 乱暴に扱われて不機嫌そうにしているものの、まだ元気に鳴き声を上げている。



 そのとき、背後の盾が微かに音を立てた気がした。



 鳴き声はしなかった。



 だが顎髭あごひげに予感めいたものが走り、オジは急いでその大盾タワーシールドに駆け寄っていく。


 そこには、まだ生まれて数か月といった子ネコが、自らを縛る荒縄にぐったりと寄りかかって気を失っていた。



 白黒茶の三色に色分けされる、この地域に特有の毛並みを持つネコだった。



「まずい!」



 オジは慌てて縄を切るや、自分のラウンドシールドを裏返し、皮の水筒からありったけの水を注ぐ。


 そうして子ネコの首を支えながら、顔を近づけてやる。



「しっかりなさいっ、水を飲むんです!」



 それでも子ネコはピクリとも動こうとしない。


 仕方なく、手で水をすくって口もとを湿らせてやる。



 だが、子ネコはぬいぐるみかなにかのように力なく首を垂れ下がらせているだけだ。



「オジ? その子は……」



 JKだった。

 最後尾にいたはずが、もう追いついてきたらしい。



 彼女は相変わらず感情の読み取れない瞳で子ネコを見下ろしている。


 けどオジとしても、今は彼女にかまってる余裕はない。



「自分で水を飲むんですっ、さあ!」



 子ネコがわずかに身をよじる。

 だが、なかなか目を開けようとしない。



 万一、傭兵隊がネフェル神の使いであるネコを見殺しにしたと噂が立てば、信徒たちとの間に亀裂が生じてしまう。


 もちろんそういう計算をしないではなかった。



 でも最初に子ネコの声が徐々に弱っていくのを聞いたときから、オジは居ても立ってもいられない気分を抱えていた。


 一刻も早く敵陣を抜け、可能であれば救出してやりたいと願っていたのだ。



「ね、ねえ、オジ……動かないよ」



 命の取り合いをする戦場で、こんなことは偽善だと言う者もいるかもしれない。


 だが、この幼く、か弱い命と、人間たちの戦争にいったいどんな関わりがあると言うのか?



 命の取り合いをするからこそ、余計な命まで巻き込むべきではないのだ。

 命とは本来、祝福されるべきものなんだから。



「お願いです、水を飲んで……生きるんだ、さあ!」

「……っ」



 いつの間にかJKはオジの隣に座り込み、人形じみた紅玉色ピジョンブラッドの瞳で子ネコを覗き込んでいる。


 瞳孔がわずかにも動いておらず、やはりそこから感情を読み取ることはできない。



 だが、生きて――彼女の唇がかすかに吐息を漏らした気がする。



 そのとき、小指の先ほどしかない桃色の舌がかすかに動いた。


 それがシールドの裏に溜めた水をすくい取ると、すぐに勢いよくパシャパシャと音を立て始めたのだ。



 瞬間、胸に溜めこまれた不安が吐き出され、ようやく自分が息を止めていたことに気がついた。



「よかった、よかった……」



 身体中から力が抜け、代わりに安堵がやさしく全身を満たていく。

 懸命に生きようとする小さな命をみつめ、オジは彼の頭を撫で続けた。



 遠くで副長が敵将の首をどうするべきかで頭を抱えている。

 傭兵たちの中にはオジを真似てか、他にもネコの救助に当たってくれる者がいるようだ。



 だが後ろに下げたネフェルの信徒たちは、まだ追いついていない。



 大多数の一般兵からは後ろ指をさされ、小声で囁き合う者たちがいるのはわかっていた。



 ああ、きっとまた噂になってしまうだろうな。


 〈恥知らずのオジ〉は敵将の首よりも、子ネコなどを優先させた腰抜けだとか。



 だが、よかった――



 たとえどれほど多くの敵をほうむったとて、たったひとつの命も救えないのでは、その戦争にどんな意味があると言うのか。


 ゆえにオジは、ここに初めての戦果を得たのだ。



 今はそれだけで充分だった。



 すぐ隣にしゃがみ込むJKは、相変わらず少しも動かない瞳で子ネコを凝視している。



 にも関わらず、オジは思わず息を呑んでいた。


 彼女の顔を見た瞬間、それ以上みつめるのは酷い非礼に当たるような気がして、つい目を伏せてしまうほどに。



 それでも、この子に対する数々の疑問と百万言ひゃくまんげんのお説教が、ひととき脳裏に渦巻いた。


 女性の隠し事には目をつむれたとしても、上官としてはしっかり説教をした上で自分の振る舞いについて考え直してもらう必要がある。



 けどオジが口にしたのは、まったく別の言葉だった。



「飾りのある兜をかぶった敵は、頭を潰してはいけません」


「……どうして?」


「兜飾りをつけていいのは、指揮官や貴族といった名のある者だけです。

 多くの場合、討ち取れば報奨金が出ます。


 しかし顔が潰れた状態では、それを出し渋る雇い主もいるんです」


「覚えとく」



 思いの外、素直な言葉が返ってきて内心ほっとする。

 でもまだ話が続くと思っていたのだろう、JKは小首を傾げてしまう。



「それだけ?」

「ええ、あとは追々覚えてもらえればけっこうです」



 若い娘が傭兵になどならねばならなかったのは、きっと深い事情があってのことだろう。


 あれほどの魔法を身につけながら、こうならざるを得ないだけの事情が。



 たとえば戦災によって家族を失ったとか。



 この世界では、そういった境遇におちいった女性は娼婦になるくらいしか生きていく術がない。


 だが、彼女はそれよりも戦う道を選んだのだろう。



 なら少しでも早く傭兵稼業から足を洗えるよう、手助けしてやるべきだ。


 まだ幼く、小さな命にとって、大人たちが始めた戦争など、なんの関わりもないはずなんだから。



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