第16話 オジさん騎士、砂漠の戦場にネコをみつける その7



 四足獣しそくじゅうであるハンマードレイクは、体高でいえばオジともそう変わらない。


 しかし体重の差は数十倍にも及ぶだろう。



 いくら鍛えたところで人間の筋力だけでは到底この差をおぎないきれない。

 ぶつかった瞬間、粉々にされるのは目に見えている。



 だが、この〈ニースベルゲン〉には霊素エレメントがあった。


 体内に、大気中に、大地に芽吹くありとあらゆる命と物質に宿り、マナと呼ばれる超常のエネルギーを与えてくれるのだ。



 もともと重装騎士だったオジに、魔法は使えない。


 その分、体内に宿る霊素を限界まで引き出す技術には長けていた。



 視界の中でみるみる存在感を増していくハンマードレイクを、瞳に烈火の炎を宿してにらみつける。


 極限の集中によって筋繊維の一本一本までマナで満たし、自らの肉体に物理の限界を超えた力を与えていく。



 瞬間、汗の粒が霧状に弾ける。

 肉と肉がぶつかり合う激しい衝突音が蒼穹そうきゅうに打ち上げられた。



 さすがにハンマードレイクの頭骨は避け、太い腕を獣の首に回して受け止める。


 それでも急激な制動によって行き場を失った膨大な運動エネルギーが、荒れ狂う濁流だくりゅうとなってオジの全身を撃ち抜いていく。



 一瞬、腰にイヤな電撃が走るものの、ここで力を抜くのは死を意味する。



 だが過剰な負荷を強いられる細胞たちは、体内の酸素をほとんど一瞬で使い果たしていた。


 途端に酸欠状態におちいった脳が視界を霞ませて限界を訴えてくる。



 きしむ骨が、揺さぶられる内臓が、崩れ落ちる寸前の膝が、弱音を吐いて痙攣けいれんするのを強靭きょうじんな意思だけで支え続けた。



 それでもまだ、食い止めきれずに押し込まれてしまう。



 オジはかかとの裏に感じる大地の存在を頼りに、奥歯を噛み締めて、なおも耐える。


 衝撃を直接受け止める背筋が鎧の下で剛然と盛り上がり、留め具が弾け飛びそうになってギチギチと悲鳴を上げていた。



 そこへ他の爬虫類はちゅうるいどもが後ろ足で巻き上げた砂を浴びせ、左右から彼らを追い抜いていった。


 なおもわだちを描くブーツの裏が、地面をえぐりながらも少しずつ速度を緩め始めている。



 オジは湧き上がる汗が瞬時に蒸発するほどの代謝熱を発散しながら、ありったけの力を振り絞ってハンマードレイクを締め上げ続けた。



 ようやくオジのブーツが止まる。

 弾き飛ばされることなく、受け切ったのだ。



(ハンマードレイクはメスを取り合って争うとき、上から被さるように抑えつけられると敗北を受け入れて大人しくなる、のだがッ)



 この爬虫類は戦場の空気に当てられてか、ますます興奮してオジを押しのけようとしていた。


 なにより、足を止められているのはオジも同じだった。



 乱戦の最中、オーガやゴブリンたちがいつ背中を狙ってくるとも限らない。



 だがこのヒリつくような戦場の空気感、それに当てられているのはハンマードレイクだけではなかった。


 オジもまた昔取った杵柄きねづか、若かりし日の自分を脳裏に描いていたのである。



「ぬぉおおおおおおおおおおおおーーッ!!!」



 ハンマードレイクの首には腕が回り切らず、オジは首の下の柔らかな部分を掴んで止めていた。


 その皮膚を引き千切らんばかりに握り締め、腰を軸に重心を引き寄せながら、ゆっくりと巨体を持ち上げ始めたのである。



 後ろ足が浮いた時点で、敵兵さえも感嘆の声を上げた。


 だが前足をも浮き上がり、やがて垂直に佇立ちょりつさせる頃には、それは悲鳴じみたどよめきに変わっていた。



 背後のオーガたちでさえ、これには大口を開けて固まってしまう。


 太陽を背にした巨大な影が彼らの頭上にも落ちかかり、神々しいばかりに光をハレーションさせていた。



 そのとき縦に持ち上げられたハンマードレイクが、降参を示すように物悲しく鳴いた。



 オジは雄叫びとともに、バカデカいトカゲを背後に向かって投げ飛ばす。


 隙だらけの背中を狙っていたのだろう、小狡こずるいゴブリンたちが奇声を上げて逃げ散っていく。

 


 直後、砂の柱が噴火のごとく垂直に打ち上げられた。



 叩きつけられたハンマードレイクは泡を吹いて失神し、他のトカゲたちも呆然と立ち尽くして動きを止めている。


 強い者に従う習性を持つモンスターたちは圧倒的な力の差を感じたとき、たちまち戦意を喪失してしまう。


 魔王討伐が少数精鋭の勇者パーティに任されたのも、それが理由だった。



 オジは勝ち誇ったように両手を突き上げ、その場に仁王立ちしていた。


 レザーアーマーはもはや防具としての役をなさぬほど損傷し、皮膚が露出したところもきずだらけになっている。



 だが、もはや彼に近づける者はひとりもいなかった。

 勝負を挑むなど自殺行為だと強制的に理解させられたのだ。






 それにしても、長い……



 オジはまだ両腕を振り上げたまま動かない。


 誰もがそれを不思議に思い始めても、なお動き出す気配はなかった。



(しまった……)



 汗がオジの額を濡らすのは、暑さのせいばかりではない。


 びっしりと浮かんだ脂汗によって、身体はむしろ冷えていくばかりである。



(今ので、腰をヤッた)



 オジ・グランフェル・シグルンヒルトは、今年で四十二歳になる。


 ニースベルゲンにおける平均寿命と同じ歳だ。



 彼はこのところ、酷い腰痛に悩まされていた。



 手を振り上げたままなのは、ちょっとでも動けば悲鳴を上げそうなくらい腰にキていたからだ。


 だが周囲三百六十度、完全に敵に囲まれた最前線で、もしそんなことがバレれば集中攻撃を浴びるのは目に見えている。


 そうなればろくな抵抗もできず、今度こそオジは挽肉にされるだろう。



 もっとも敵からは、彼がいかめしい顔をさらにしかめて凄まじい形相でにらんでる、かのように見えていた。


 実際には、ただ単に痛くて泣きそうなのを堪えてるだけである。



 オジ自身このまったく無意味な時間に、気まずさを感じ始めた頃――



「ヒィィィィッ!!」



 突然、背後で悲鳴が上がった。



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