第一章 オジさん騎士、砂漠の戦場にネコをみつける ~いつの世も人類は戦争ばかりしてる~

第10話 オジさん騎士、砂漠の戦場にネコをみつける その1



 顎先あごさきにたくわえたひげから汗がしたたり落ち、砂に染み込む間もなく瞬時に蒸発していく。



 オジ・グランフェル・シグルンヒルトは、遠眼鏡とおめがねの向こうに映る光景にたまらず奥歯を噛み締める。



 デザートウルフにまたがるゴブリンライダーの一群を先頭に、

 人類に倍する巨体を誇るオーガの投石部隊、

 さらには歩く攻城兵器と呼ばれるハンマードレイクが重々しい地響きを立てて行進してくる。



 ハンマードレイクの群れが破城槌はじょうついを思わせる分厚い頭骨を並べて突進すれば、どんな堅城もひとたまりもなく城門を破られるに違いない。


 モンスターの軍勢、おおよそ三千。



 なお度し難いのは、これが魔族の率いる軍ではないということだ。



 その後方、灼熱の砂漠に立ち昇る陽炎かげろうの彼方から、軍旗の先端が現れる。



 バナヴィア帝国の旗を掲げて行進してくるのは、およそ一万五千の人間の軍隊、それを率いるのも人間の将軍だった。


 ここカガラム砂漠から大内海を挟み、はるか北方に位置するバナヴィア帝国の遠征軍であった。



 対するこちら、自由都市カガラムがなんとか搔き集めることができたのは、砂漠の民を中心とした騎兵隊三千、並びに傭兵隊六千の混成部隊でしかない。


 倍する敵を前に、決して一枚岩とは呼べない兵を率いて、なんとしてもこれ以上の侵入を防がねばならなかった。



 ――勇者による魔王討伐から、すでに二十五年。



 せっかく掴んだはずの平和な世で、次に始まったのはよりによって人間同士の争いだった。



「よもや、人間が魔物を率いて戦争をする時代が来ようとは!」



 オジは今年で四十二歳。

 この世界〈ニースベルゲン〉における平均寿命も、およそ四十二年といわれている。



 青年時代は鮮やかな金髪だった髪も、今はくすんだ鳶色とびいろに変わり、白髪しらがまで混じり始めていた。


 四角張った頑丈そうなあごには口髭くちひげを蓄え、ひとからいかめしいと表現される面相が、苦渋によってさらに歪められている。



 空を写し取ったような蒼玉ブルーサファイアの瞳だけが、熱砂の荒野で涼しげにたたずんでいた。



 帝国内で実権を握りつつある軍閥貴族、ローエン大公がモンスターを手なずけたという噂は以前より耳にしてきた。


 だがまさか人生の終盤にきて、これほど醜悪な人類の堕落を見せつけられる羽目になろうとは!



「はっ、あんただって帝国の出身だろうに」



 振り返ると、頭部に分厚くターバンを巻いた青年が胡散臭そうにこちらを見ていた。


 確か今回が初陣だという傭兵隊の新入りでタリムといったか。



「やめないか、グランフェルきょうは騎士候でいらっしゃるんだぞ!」

「いえ、お気づかいなく」



 傭兵隊の副長が新入りのタリムを怒鳴りつけてくれるが、鷹揚おうような笑みを浮かべてなだめておく。


 もっとも、オジが帝国騎士の称号を持つのは間違いない。


 皇帝直属の近衛騎士を名乗ることまで許され、第二騎士団団長の椅子に座っていたことさえある。



 だから信用できないという気持ちもわからなくはない。



 そんなオジも今はこの傭兵隊に軍監ぐんかんとして加わり、共に味方の最前列に立っている。


 甲冑さえ他の傭兵たちと同じくフルプレートや金属の盾は避け、ただのレザーアーマーに頭にもストールを巻いているだけだ。


 防御には不安が残るものの、だからといって灼熱の太陽を浴びながら鉄板を身につけて戦えば、敵の刃よりも先に全身大火傷を負って死んでしまう。



 おかげで誰もが盗賊に間違えられてもおかしくないような出で立ちになっている。

 到底、騎士には見えないだろう。



「いやあ、血の気の多い連中ばかりで申し訳ございません。

 まったく最近の若い者ときたら、親にどんな教育を受けてきたんだか」


「私も若い頃はあんなものでしたよ」



 若者にはできるだけ寛大に、まずは大人のほうから一歩引いて見守ることが大切だ。


 オジも歳を取って、ようやくそれがわかるようになってきたばかりである。



 もっとも、他にも偉ぶることなどできない事情があった。


 むしろ、お願いだから私をかばったりしないでと言いたい。



(政争に負けて、左遷されてきたようなものなのだからな)



 そう、騎士の称号など形ばかりのものに過ぎない。

 今のオジは放浪騎士という名の、ただの無職だった。



 辺境のカガラム砂漠まで流れてきたのは、古い友人が声をかけてくれたからだ。



 しかし齢四十を超えてから押された無職の烙印らくいんはなかなかに重たく、言い渡されたときは普通に三日寝込んだ。



 御付きの従騎士じゅうきしから「一日中ベッドで横になったまま、白目で口からふわふわ煙を吐かれておりました」と言われたのも、それほど大袈裟ではないんだろう。


 なにより若い彼女のことまで無職にしてしまったのだから、なかなかに罪深い。



 なので先ほど、騎士候でいらっしゃるんだぞ! と言われたときも、正直心がキュッとなってしまった。


 いっそ泣き出したいくらいだが、おじさんにそんな泣き言は許されないのである。



「なにが騎士だよ、あんたのこと知ってるぞ」



 タリムがなおもしつこく絡んでくる。

 副長がまた怒鳴りつけようとするのを、オジは手で制していた。


 自分でもなにが騎士だと思っているので、腹も立たない。



「昔は冒険者をしてたんだろ?

 しかもその頃、〈恥知らずのオジ〉って呼ばれてたそうじゃないか」


「恥知らずだからこそ! 私は今日まで生き残ってくることができました」



 だが、オジはあえてそう切り返していた。



「そして、私は魔王軍との戦いがもっとも激しかった時代に冒険者をしていました。

 モンスターとの戦いにも精通しているつもりです。


 指示には従ってもらうぞ、タリム! 魔物に喰われて犬死にしたくないならな」



 こちらが急に低い声を出したせいか、新入りは面食らって押し黙る。



 悪いな、青年。

 おじさんというのは負け方も知ってるものなんだ。



 事実、命を失うことに比べたら、恥など捨て置けばいい。


 厳しい言い方をしてしまったが、万一、命令を聞かず統率を乱すような真似をされれば、命を失うのは彼のほうなのだ。



 若い人間には手柄や名誉などより、本当はもっと命を大切にして欲しかった。



「ゆ、勇者の足手まといだったくせによ」



 捨て台詞だったのか、先ほどまでの威勢はなく聞こえるか聞こえない程度の声でそう言われる。


 それでもたちまち、勇者アレインのとり澄ました顔が脳裏に蘇ってきた。



『選考理由は実力だ、以上』

『他のメンバーはここに残ってもらう。もちろんオジ、お前もだ』



 そう、オジはかつて勇者とともに冒険をしていた。

 そして一番肝心なときに、あっさりパーティから外されてしまった。



 思えば、自分などが勇者とパーティを組んでたこと自体がなにかの間違いだったんだろう。


 たまたま同じ村に生まれ、たまたま気が合ったというだけで、オジは自分がどこまでも凡人でしかないと自覚している。



 なのに帰還後は先帝陛下に功績を認められ、政治などまるでわからぬまま出世し、気づくと放浪騎士に身をやつしている。



 なるほど。


 考えてみればオジの人生が本来の評価に立ち戻り、収まるべきところに収まった結果が、この砂漠の戦場だったのかもしれない。



 見上げれば太陽がいっそう輝きを増し、焼けた砂から漂う乾いた臭気がますます強くなっていく。



「おじさーん、おじさーん」



 今度は少女のどこか眠たげな声が聞こえてきた。


 そこには男所帯の傭兵隊に似つかわしくない可憐な娘が、筒状の狙撃銃メイジスタッフに覆いかぶさるような姿勢でうつ伏せになっている。



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