第8話 スナイパーJK、異世界転移する その8



 ――ほんの一秒後にも、数十年の月日が流れたようにも感じられる。


 意識を取り戻すなり、ひとりでバカみたいに転がって跳ね起き、あちこちに銃口を向けて警戒する。



 このとき、咄嗟に近くに落ちていたギリースーツを拾って頭から被っていた。



 先ほどまで昼だったはずが、辺りはすっかり暗くなっている。


 周囲には先ほどまでいたビルらしき影が見えていたものの、足元には明らかに違和感があった。



 木の温かみを感じるフローリングでもなければ、環境破壊の象徴、石油のしぼりかす製のアスファルトでもない。



 これって、砂だ。



 それも浜辺のような湿り気はなく、サラッサラのベビーパウダーみたいに渇いている。


 ひとまず視神経に入ってくる光量を調整し、



 この紅玉色ピジョンブラッドの瞳は視床下部ししょうかぶの辺りに意識を集中することで、自ら暗順応あんじゅんのうを起こすこともできるのだ。


 けど、わかったのは足元どころか辺り一面、すべて砂ということだった。


 日本にこんな砂漠があったかな?



「少なくとも、鳥取砂丘じゃなさそうだよねぇ」



 周りのビルも形にこそ見覚えがあるものの、あれだけ絡みついていた外来植物のつたはすべて枯れ果てている。


 その上、下から十階分ほどが完全に砂の中に埋もれてるらしい。



 はっきりとは言えないが、コンクリートの浸食も前より進んでるようだ。


 要するに、余計ボロっちくなってるってこと。



 いったい、ここはどこで、なにが起きたっていうんだろ。



 まさか眠ってる間に数千年の時が過ぎて、地球が滅んだとか?


 だとしたら、今度はどうしてシワクチャのお婆ちゃんになってないのって話になる。


 念のためタクティカルグローブを取って確かめてみた。

 でも肌の張りはもちろん、爪の長ささえ記憶の中とほとんど違いはないように思う。


 なにせ昨日、少し深爪してしまったところまで、まったく同じだったからね。



 とはいえ、さすがにわけわからなさ過ぎて心細い。


 そんな中にあって対物アンチマテリアルライフルの重量感はいっそう頼もしく、トキメキさえ覚えるほどだ。


 いっそお嫁に来てくれるかい?


 なんて冗談のひとつも飛ばしたくなる。



 よく感情が読み取りづらいなんて言われるけど、不安になると多弁になる癖があるのは自覚している。



 通信機に呼びかけてみても、虚しくノイズが響くだけで味方からの反応はない。

 敵の姿もこの近くには感じられなかった。


 まあ敵が残っていれば、とっくに始末されてるだろう。



 それでも身体感覚的には、寸前まで噂の凄腕スナイパーと死闘を演じていたのだ。


 カモフラージュくらいしておかないと気が休まらなかった。



 幸い背嚢はいのうの中の荷物も、そのままの状態で残っていて劣化した様子はなさそうだ。


 廃墟の陰に隠れ、さっそくドーランを取り出してみる。


 ドーランっていうのは、よく映画なんかでも特殊部隊の人が顔を迷彩柄に塗りたくるときに使うアレだ。



「やっぱり、このままっていうのは目立ち過ぎるよね」



 時間をかけて、少し思い切った隠蔽いんぺいほどこすことにする。

 その間に、念のため意識を失う寸前の記憶を辿っておこう。



 確か一番最後の記憶は、子ネコだった。


 正直、幻だと言われたほうがしっくりくる。

 なにせ、あの三毛、昔飼ってたネコと死ぬほどそっくりだったんだよね。


 一瞬、走馬灯を疑ったくらい。


 ただ、どう考えてもこの状況とは結び付かない。



 隠蔽を終えて、あらためて無線を試してみるけど無駄に終わる。

 衛星回線にも反応はなく、唯一スマホだけは奇跡的に電波が届いていた。



「マジか」



 さっそく通信アプリをタップするけど、登録IDが少なすぎて泣けた。



 どうやら同じ班でも一部のメンバーとしか交換してなかったらしい。


 いかに普段プライベートでのつき合いを軽視してきたか思い知らされ、余計に泣けた。



 もっといろんなことを話しておくべきだったのかもしれない。



 けど、こちらから連絡するのは抵抗があった。

 既読さえつかなかったら、ガチでヘコみそうだ。


 そもそも、この状況で向こうからも連絡がないってことは……たぶん、そういうことなんだろう。


 なのに、わざわざメッセージなんか送って落ち込みたくなかった。



「いっそ、写真撮ってSNSに投稿してみるとか」



 それって浮かれ過ぎ?


 けどだからって、タクシーの配車アプリで砂漠の廃墟まで迎えに来てもらえるものかな?


 仮にちょーやさしい運転手さんがいたとしても、Paypayの残高が三百円しかなかったので却下せざるをえなかった。


 

 まあ、SNSでここどこかわかる人いますかって聞けば、プチバズくらいはするかもしれない。


 結局、そこに戻ってくる。


 まあ、ずっとここにいるわけにはいかないんだから、試せることは試してみる方針でいこう。


 そのためにも、まずはできるだけ見晴らしのいいところから写真を撮ったほうがいいだろう。



 仕方なくビルの奥へ進み、慎重に階段を昇り始める。


 やっぱり前よりボロくなっている。

 いつ倒壊してもおかしくないって感じだ。



 そもそもここがどこかわかったとして、帰投の手段はあるんだろうか?

 結局、歩くしかないってなったら、やだなー。



 なんてことを考えてたら、階段の途中、大きく外壁が裂けて風が吹き込んでるところに差しかかった。



 不意に雲が途切れ、柔らかな月明りが降り注いできたのだ。


 ホコリ臭い廃ビルの中を白い粒子が舞い、今夜は満月だったのかと顔を上げる。



 ……あれ? 最初はなにかの冗談かと思った。



 ちょうどジャガイモを大小ふたつに割ったみたいな歪な形をした天体が、それぞれ緑と紫に輝きながら地上を見下ろしていた。



「なにあれ?」



 月、とは断じて認めたくない。


 だって普通、月ってまん丸いものでしょう? いや、普通ってなんだ。

 月はひとつしかないはずじゃん。


 ふたつある時点で、すでにバグっているのだ。



 しかも空に浮かぶ光るジャガイモのおかげか、視力を調整すれば街灯のない状態でも地平線の奥まで見渡すことができた。



 そこには波打つような丘陵きゅうりょうを描く砂原が、どこまでも広がっていた。



 かなりの絶景、と浮かれる気分にはなれない。

 何キロ先まで続いてんだよって絶望のほうがはるかに大きかったせいだ。



 思い出したのは、友達に薦められて読んだ異世界転生ものの小説だった。



 目の前で起きてることが夢ではなく、すべて現実だとすれば、ガチでそれ以外の可能性が思いつかない。



「でも、えー? それにしたって」



 こうなると、むしろ読んでてよかった異世界転生もの。

 知らなかったら、ここで詰んでた可能性さえある。


 だがやはり、それにしたってである。



「砂漠スタートとかいうレアパターンって、必要?」



 もしガチで転生? この場合は転移か、そういうのなら、せめてスタート地点は森の中であってくれよ!


 サバイバル訓練なら受けてきたんだからさ、そのままスローライフ始めるパターンでよくない?


 さらば戦場、こんにちは異世界じゃん。



「あーくそ、でもやっぱこれってそういうことだよね」



 あたしはあの子に負けて死んだ。

 だから転移したんだろう。


 なら他の子たちは?

 いや、すべてライトノベルの通りだとは限らない。


 連絡がない、たぶんそれがすべてだ。



 こういうときは悲しいことも辛いことも、思い出したくないことも消して、前向きで楽天的な自分に変わってしまえばいい。



 ――よし、リセットしよう。



 すると頭の中でカチリと音がして、戦場モードから日常モードへ切り替わる。


 たちまち頭蓋骨のなかを炭酸入りのジュースで満たすみたいに、楽天的な思考がパチパチと音を立てて弾け出す。


 代わりにイヤなこと悲しいことはハッピーな記憶領域から削除デリートし、深層心理の奥深くに眠らせてしまう。


 そうしてしまえば親しい人もそれ以外の人も、すべて等しく赤の他人に変えられる。



 うん、これでいい。

 こっちとしても本当はシリアスモードのほうが、らしくない。



 考えてみれば狙撃手同士、どっちが死んだってお互い様っちゃーお互い様だしね。


 無関係のトラック運転手を加害者にしちゃうよりは、後味だって悪くない。



 さっそくスマホのカメラを自撮りモードに替えてみる。



 ふたつの月といっしょに裏ピースで写真におさまった。


 フェイクだって言われそうだけど、ひとまず適当にえ加工を施して投稿する。



『マジありえんガチエモ写真撮れて草』





 なぜかアプリがエラーを吐く。



 どうも異世界からだとデータの読み込みはできても、アップロードはできないらしい。


 投稿そのものができず、DMも無理。

 この経験を生かし、カクヨムに小説を投稿するのもNGってことだ。



 他の人の投稿も、タイムスタンプが転移前になってるものしか表示されてないっぽいんだよね。

 通信アプリにいたっては最初から送受信が不可能だったみたい。



 電波があるのに、なんでよ? せぬわー。




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