第5話 スナイパーJK、異世界転移する その5



 直後に私は半ば転倒するような勢いで斜め下へ向かって転がった。


 この斜め下へ転がる動きは重力加速度を味方につけることで、人体が可能とするもっとも素早い回避行動になる。



 それでも、立て続けに二発。


 手前にした壁が爆砕し、私のMk-13スナイパーライフルが鉄屑てつくずと化して散乱する。



 砕けたコンクリートが霧状の粉塵ふんじんとなって膨れ上がり、舞い上がったほこりとともに真っ白く部屋を満たしてしまう。


 私は先ほどと反対側の壁に貼りつき、かろうじて命拾いしていた。


 胸には未冥みめいのバレットM82 対物アンチマテリアルライフルを抱き、背を丸めて膝をかかえている。



『グラタン食べたい……あったか、い、グラタン』

『私も……マユのグラタン好きだよ』



 ヘッドセット越しに、肺から絞り出すような弱々しい声が聞こえてきた。


 マユとメグの声が微妙にダブって届くのは、ふたりが折り重なって倒れているせいか。



 そう言えば敵の攻撃にさらされながら、遠くに別の銃声を聞いた気がする。

 きっと、ふたりはすでに……



 そのとき、一番射角が足りないはずのサキが感情に任せてライフルを乱射し始めた。



『ちくしょぉぉぉぉガンッ、ガガガッ――』



 だが雄叫びは壁や床に何度も叩きつけられる擦過音さっかおんによって、すぐに掻き消された。


 ちょうど通話中にスマホを落としたみたいに。



 途端にバディであるヒマが、半狂乱になってサキの名を連呼し始める。


 それも銃声のあと唐突に途切れ、あとは暗号電波の中を無人のホワイトノイズが静かに残響していた。



 ああ……



 ――いざってときは、あんたが班のみんなを守ってよね



 もうもうと立ち込める粉塵ふんじんの奥で、やはり未冥みめいはピクリとも動かない。



 私だって、今日の任務が終わったらドトールに本当にタピオカがあるのか見に行こうって、たまには自分からみんなを誘ってみようと思ってたんだよ。


 本当に、ウソじゃないんだ。



 なのに私は未冥みめいより先に、未冥のM82に飛びついてしまった。



 おそらく上を取られた時点で、すでに勝負は決していた。

 でも、どうして私たちは敵の接近に気づけなかったのだろう?



 ヘリを使ったはずはないし、敵がのこのこ地上を歩き、

 さらにエレベーターが止まった商業ビルのなかを崩れかけた階段で三十五階まで踏破する間、

 いくら距離があるからといって誰も気がつかなかったというのか?



 あり得ない。

 曲がりなりにも、私たちは全員狙撃班の一員なのだ。



 まさか?



 その可能性に思い至り、たちまち冷たい汗が背筋を滑り落ちていく。


 敵は私たちが来る遥か以前から最初の狙撃位置に陣取っていたのではないか。



 実はこのタワマンは三十五階建て。


 なんらかの方法で私たちの哨戒しょうかいパターンを調べ上げ、ヤマを張っていたと考えたほうがしっくり来る。



 加えてスナイパーというのは、わざと急所を外して撃つことがある。


 味方を助けようと他の兵士が集まってきたところを狙い、次々と獲物を葬っていくのだ。



 マユに息があったのも、あえてそうした。

 だが普通なら、救助に向かうのは一番近くにいる子と考えるはず。



 なのに未冥みめいが撃たれたとき、あらかじめ彼女に照準してなければ絶対に不可能なタイミングだった。



 おそらくはタブレットの光だ。


 未冥みめいがカメラの映像を確認するとき、わずかに部屋の光量が上がっていたのを思い出す。



 それで彼女が班長と見抜き、もっとも優先すべきターゲットとみなしていた。



 〈鮮血せんけつ白百合しろゆり〉――私たちはずっと彼女に観察されていた。


 けど昼間に、外から、それも一千メートルも離れた場所から、たったそれだけの光を頼りに正確な位置を特定したとでもいうのか?


 そう考えて、ごく自然に口角こうかくが上がっていくのがわかった。



そんなことができる子がいたなんて!)



 ああ、きっとこの子は私と同じだ。

 間違いなく〈庭〉の出身者だと本能が確信を告げている。



 唐突に外壁を覆うセイヨウヒルガオの花とつた極彩色ごくさいしきの風となって、砕けた壁の向こうから舞い込んできた。


 たちまち白いもやが晴れ、傾きかけた日の光がスポットライトのように未冥みめいを照らし出す。



 まずい!



 そう気づいた瞬間、彼女の白い脚が赤い花を散らして跳ねた。

 わずかに遅れてくぐもった苦鳴が漏れ、まだ息があるとわかった。



「や、やめ……」



 間髪入れずに一発、さらにもう一発。

 続けざまに赤い花が咲き、未冥みめいの足をぐちゃぐちゃに潰して肉塊にくかいに変えていく。



 なんのためにこんなことをするのか? なんでこんなことができるのか?

 わかってる。



 あいつは、仲間を助けたければ私に顔を出せと誘っているのだ。



 白百合しろゆりは私の存在を忘れていたわけではなく、



「はあっ、はあッ……ははっ、ははは」



 一瞬の思考のスパークが、脳裏に夕暮れの教室を蘇らせる。

 未冥みめいは机に腰かけ、片膝を抱えていた。


近塔こんどう、あんたは卒業したらどうすんの?」

「私は歯科衛生士の資格でも取ろうかなって」

「まあ安定職だし、衛生兵として戦場へ送られることもなさそうだしね」

「そりゃそうでしょ? さらば戦場、こんにちは未来!

 卒業してまでやってられるかってのよ」



 瀕死の相棒が甲高い悲鳴を上げ、危うく私を現実へと引き戻す。


 未冥みめいは意味のないうめきを上げながら、血まみれのセーラー服で芋虫のようにのたうち回っている。



 ああ、歯科衛生士というのは、ほとんど立ちっぱなしの仕事で……



 なのに、なのになのに



 脂肪の白い玉が弾けて血が溢れ、

 砕けた膝が脱ぎ捨てたソックスみたいな角度で曲がってしまったら、もう――



 ――よし、リセットしよう。



 私は本当にリセットボタンを押したみたいに、

 胸を埋めつくす感情の濁流を、コンマ一秒で波ひとつない鏡の湖面に変えてしまう。



 〈庭〉で受けた精神を摩耗まもうさせる苦行じみた訓練と人格改造は、

 いつでも自分自身を自らの意思で冷徹れいてつな戦闘マシーンに変えることができた。


 代償として、大きな情動じょうどうの源流となった人との思い出も消える。


 そうすれば執着は消え去り、遠くの国で放映された出来の悪い映画を鑑賞するように感情のさざ波さえも起きようがなくなってしまう。


 目的だけは胸に刻んでおけばいい。



 それがリセットだ。



 そうして大きく息を吸い込み、肺腑はいふの中を血と硝煙しょうえんの匂いで充実させる。



 思考はクリアに、目的の純度を高めて明確にしていく。


 動揺も友情も愛情さえも彼方へ追いやり、

 主観を抹殺し、感情論を締め出して、

 客観と合理によってのみ行動を決定すべきなのだ。


 狙撃手は冷静さを失った者から死ぬ。

 大丈夫、私はちゃんと敵の撃った弾を数えている。



 またも発砲炎がまたたくや、ついに私は遮蔽物しゃへいぶつから身をおどらせる。




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